18話 いつもの朝


 全てが終わった翌朝、カイルはいつもどおりにイズミの護衛の為に扉の前の騎士と交代して護衛任務に勤しんでいた。


「おはようございます。カイル様」


「…ああ」


 そうカイルに挨拶をしてきたのは聖女様専属の侍女であるイリーナだ。騎士団内でも例がないほどに友人のいないカイルにこんな早朝に声をかけるものなど彼女しかいない。


 いつもならそれで終わるやりとりで彼女はイズミの身支度のために部屋と入るのだが今日の彼女はいつまで経っても室内に入ろうとしない。


 それどころか何故かじっとカイルを見つめて固まっている。


「…なんだ、何か難癖をつけるところがあったか?」


「なんですかそれは。まるで私がいつも難癖をつけているようではありませんか」


「自覚がないのか、普段散々ちょっかいをかけてくるではないか。

あれが難癖出なくてなんだというのだ?少しは客観的に自分を見てみろ」


 いつもとは違う彼女の様子に問うてみれば、かえってきたのはいつも通りの反応だった。カイルもイリーナも互いにテンポよく違いに難癖をつけあう。


「それはすいませんでしたね。

ですがカイル様だけには、言われたくありません」


 だけ、という部分を随分と強調して、イリーナはカイルに言い返す。実際、客観的に自身を見るという点においてこの男ほどできてないものは少ないだろう。


「…ちょっと、2人とも煩いわよ。なんで朝からやり合ってるのよ」


 朝っぱらから扉の外でやりとりされる言葉の攻防に、室内にいたイズミが

扉をわずかに開けて顔を覗かせる。


 体をドアで隠すような仕草からおそらくまだ寝巻きなのだろう。


「イズミ様、寝巻きのまま扉を開けてはなりません。はしたないですよ」


「誰のせいよ!…朝っぱらから扉の外で煩いから注意しただけじゃない」


 イリーナの側からはイズミ様の姿が見えるのだろう。


 イズミ様に目を向けてイリーナはいつものように主人に苦言を呈するがイズミは目を見開いてツッコミを入れるだけで反省している素振りは全くない。


 いつもの光景である。


 ぎゃーぎゃーと朝から元気に騒ぐイズミをイリーナは、はいはいとうまくそらしながら室内へと連れ入って行く。


 カイルがその姿を横目に護衛の為に周囲へと意識を戻し始めた時、


「カイル様、あまり無理はなさらないでくださいね」


 去り際に静かに呟かれたイリーナの言葉に、カイルは思わず扉へと振り返るがそれとほぼ同時に扉はバタンと閉じた。カイルは一瞬、呆けたように扉を見つめ、ハッとしたように護衛へと意識を戻す。


 実のところ確かにカイルの身体の具合は好調とはいいがたい。本音を言えば何故イリーナが自らを心配するような言動をしたのか疑問で一杯だ。具合が良くないことを悟られるような仕草をした覚えがカイルには勿論ない。


 何故具合が悪いのかと言えば、原因は昨夜の魔素を使った身体強化にある。魔素を高めた身体強化というのは危険であるが故に誰も使用されてこなかった。というより見向きもされなかった技術というのが正しいだろう。極めればリターンは大きいが当然リスクも大きい技術。そんな秘技とも言える技術を使ったのだ。カイルが具合が悪くなるのも無理からぬこと。


 カイルも当然そのことも承知であの技を使っている。これまでも何度もあったこと。故にこの僅かに体が重いような反動にはカイルも慣れているのだ。これまで通り、特段酷いものでもないし、護衛にはさしさわりはないと判断していつも通りに過ごしていたつもりだったのだが、先のやり取りでイリーナには察せられてしまったようだ。


 顔に出したつもりも体の使い方も何もいつもと変わらないはずだが、彼女には気づかれた。心配するような口調で去り際に放たれた言葉にカイルは少しだけむず痒いような感覚を覚える。


(なんだこれは?)


 なんだか少し心が暖まるような感覚に頭を振って護衛に集中しようとする。妙な感じだがこの感覚は悪くない。


 初めて覚える感覚に戸惑いながら、聖女の身支度が整うまでカイルは再び護衛を続ける。





「で、結局昨日はどこに行ってたわけ?」


 そうして現在、身支度の終わったイズミにカイルは正座という変わった座り方で審問されていた。カイルとしては何故イリーナにわかったのか問いただしたかったのだが、こうなってしまっては困難である。


(ひとまず、イズミ様のお怒りを鎮めなければなるまい)


「専属の騎士でありながら御身から離れたことは大変申し訳ありません」


「いや、そうじゃなくて!……うん?そうじゃなくもないのかな?と、とにかく、カイルが昨日何をしてたのか聞いてるの!」


 カイルは精神誠意謝罪しているがイズミの質問への答えにはなっていない。イズミもカイルが誤魔化そうとしているわけじゃないことは勿論分かっている。だが、持ち前の勘の良さで何か良くないことがあったということはさとっている。


 カイルとしては困った状況だ、主人とは言え内容が内容だけに簡単には喋れない。少なくともことの採決が出るまでは騎士長の許可なくイズミに告げても良いものかと、存外にもカイルは色々配慮している。


「…落ち着いてください、イズミ様。カイル様も困ってらっしゃいますよ」


 ここで珍しいことにあのイリーナからカイルに援護が放たれる。

 普段散々突っかかってくる、あのめんどくさい女が自らの援護をするなどどんな裏があるというのか、とカイルは戦慄した様子でイリーナを見るが


「分かりました。二度とカイル様に手助けなどしませんので、面倒な女がご迷惑をおかけしましたね」


(しまった!)


 全て口からだだ漏れである。こめかみに血管を浮き上がらせて怒りを露わにするその侍女は顔だけはにっこりと笑顔だ。だがそれを見たとしても誰一人として彼女が笑っているとは思えないだろう。


 明らかに背景に豪炎が浮かんでいる。


「……君ってやっぱり実は馬鹿でしょ。なんで口から全部出ちゃうかなぁ」


 イズミの口から飛び出した言葉にカイルは衝撃のあまり、ぐふっと口に手を当ててうずくまる。


「なんで!?」


 それに驚くのは勿論イズミだ。自分が発言した直後に吐血するかのように口を押さえて蹲ったのだ。あまりに突飛な反応にイズミは驚いて目を見開く。


 カイルの頭に浮かぶのはただ一つイズミに馬鹿と言われたことだ。そのたった一つがカイルの頭の中で永遠に廻り続けている。


(イズミ様に馬鹿と言われた、イズミ様に馬鹿と言われた、イズミ様に…)


「おそらく、イズミ様に言われ一言がカイル様には相当の衝撃的だったのではないかと思われます」


 エスパーがいた。


「えー、今私そんな酷いこと言ったっけ?」


 無論、思ったことをすぐに口にする現代っ子に悪意など微塵もない。


「恐らくカイル様には酷い言葉だったのでしょう。……ここは私にお任せください」


「イリーナ!」


 頼り甲斐のあるその言葉にパッとイズミは笑顔になってイリーナに喜んでお願いした。が、それはとんでもない勘違いである。普段から散々犬猿の仲を見せている両者が親切で相手を慮ることなどない。


 そっとカイルの耳元に口を近づけるイリーナにイズミは両手を合わせてキラキラとした瞳で見つめる。普段いがみ合っていてもなんだかんだこの二人が仲が良い、きっとイリーナもカイルが心配になって……


「カイル様、…イズミ様から馬鹿と言われてしまいましたね。

馬鹿と思われてしまいましたね」


「ごはっ!?」


イリーナの攻撃!効果は抜群だ。

カイルは痛恨の一撃を受けた。

カイルは気絶した。


 吐息が当たるほどの距離でそっと耳元で囁かれた一言にカイルは血を吹き出して倒れた。


「えー!?何してるのイリーナ!!」


「いえ、これで戻ってくるかと思ったのですが…」


「なに不本意な結果みたいに言ってるの!明らかに戻ってきてないじゃん!

 もう戻って来れないところまで押し込んじゃってるよ!」


「申し訳ありませんイズミ様。

つい面白く、…もとい、心配になって余計なことをしてしまいました」


「本音じゃん!明らかに本音じゃん!自分の趣味全開か!

…もう!イリーナはすぐに遊ぶんだから、少しは真面目に仕事してよね!」


「がはっ!」


「なんでよ!?」


 イズミから超豪速球ストレートなその言葉に今度はイリーナが吐血し手を口に当ててうずくまる。勿論、イリーナの頭に浮かぶのもただ一つである。


(イズミ様に真面目に仕事してないと思われてた。イズミ様に真面目に仕事してないと思われてた)


「……私、とりあえず朝ごはん食べに食堂に行ってくるわね。はぁ、なんだか朝から疲れたわ」


 イズミの頭に浮かぶのもただ一つである。


 (もうめんどくさい)


 イズミは部屋にうずくまって呪詛のようにぶつぶつと言う二人を放置して、扉の外で待機していたもう一人の騎士と共に食堂に向かって行った。

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