17話 彼女の願い


 パチパチと小さく響く薪のはぜる音は聞く者の心を落ち着かせ、暖炉でゆらりと揺れる篝火は見るものを深い眠りへと誘う。


 季節はまだ秋。

 火を焚くには少々早いだろうこの時期に何故、暖炉など焚くのだろうか。無論、理由はあるが決して寒いからなどという理由では勿論ない。

 その理由とは単純にして明確、この部屋の主人が燃やさなければならない物を燃やしているだけだ。


 ここは聖教国で最も発達した都市であり、世界で唯一女神の加護を賜ったと言われる街、瘴気という脅威から人々が求める安全を唯一実現したその都市の名は聖都。


 そんな聖都の中でも一際巨大で、厳かな威厳に満ち溢れた建物、聖殿と呼ばれるその場所の一室で、その男は暖炉に向かいながら1人の黒い影から静かに報告を聞いていた。


「……以上がパラムの町の襲撃の顛末になります。

聖女一行は予定通り浄化を終えたのちに2日ほど滞在し、次の街に赴く予定となっております」



 報告を聞き終えたあと、男は僅かに目を伏し、息を吐く。


 —これでまた聖教国へ牙を向くものが消えた—


 聖女に何もなかったこと、襲撃そのものを未然に且つ秘密裏に処理できたことに、男は安堵した。今回の聖女を餌にした異端者共の釣り上げは男の予想以上にうまくいった。


 それにしてもと、男は目の前で報告を終えた者を再度その目で捉える。

 全身を黒い装束で覆い、顔にはあつらえたように仮面がかぶせられパッと見ただけでは性別も定かではない。


 だが、男にとってこの報告者も立派な道具だ。当然その正体は分かっている。起伏の少ないその身体付きからは誤解されやすいが声を聞けば立派な女性であることがわかる。


「……よくやった。今回の件は君の情報収集能力無くしては不可能な結果だっただろう。相変わらず君の能力は実に有能で便利だ」


 満点と言ってもいい今回の襲撃の結末に男にしては珍しく目の前の手駒を絶賛する。


「勿体無いお言葉です」


「何、謙遜することはない、聖女の監視に加え今回の件の情報収集は多忙を極めたことだろう。君には大変な負担を掛けたと思っているよ。……何か望みがあれば報酬として準備するが、どうだ?」


 男は目の前の有能な手駒を実に気に入っている。男の持つ駒数は確かに多いが、その多くは使い捨てにしても構わない程度の能力しか持たない。


 だが、目の前の存在はなかなかに変えがきかない実に希有な能力を持った駒だ。


 まるでその場にいないかのような存在感の希薄さ、分身という特異能力。この駒は文字通り1人で数人分の働きをするのだ。


 使える道具は重宝するのが男の理念だ。


「これは私の仕事ですし、その分の給金はいただいておりますので。

 ……ですが、お一つお伺いさせていただきたいことがございます」


 男が用意するという報酬を仕事の分はすでに頂いているといつものように丁重に断る様子を見せながらも女は男に質問の許可を取ろうとする。


 その珍しさに、ほぅと男は僅かに目を細め女の様子を見る。今までどのようなことにも疑問を抱かず、唯言われた通りに実行するだけだった駒がここに来て何かに興味を持ったようだ。


「……ふむ、珍しいこともあるものだな。

良かろう。その働きに免じて、答えられる範囲のことであれば答えてやろう」


 男としてもこの女が何に興味を抱いたのか知りたくなったのだ。男の許可を得て、僅かに安堵したような様子で女は男に礼を言い問いかける。男の想像もしなかった内容を。


「ありがとうございます。

…では、何故、カイル・ケーニッヒを始末しないのでしょうか?」


 その質問は実に直球であった。この質問を受けた男はピタリとその動きを止め、興味深そうに女を観ていたその目を伏せた。


「……何故、君はカイル・ケーニッヒを消さなければならないと思ったのかな?」


 次に目を開けた男が見せた表情はまるで能面のように感情が見えず、それを見た女は全身に怖気が立つのがわかった。


(…不味かったか)


 この質問がどれほど危険なものであったかを理解した女は内心で自身の失敗を咎める。だが、すでに問うてしまったことは仕方ない。


 何よりすでにこの男は自身を消すかどうかの算段をつけ始めている。


「あの男が危険であるとそう思ったからでございます」


 女は慎重に自身の放つ言葉を吟味しながら、男の問いに答えていく。下手なことを言えば、この男は自身を消すことに何の躊躇もしないだろう。


 どれだけ有能で希有な能力を持っていようと必要であれば消す。それが自身の目の前にいる男だと女は知っている。


「危険か、なるほど君は彼が瘴気を身に纏う姿を初めて見たのだったな。

あれを危険と思うのは女神教の一員として間違いない感覚であろう」


 どうやら自身の選んだ言葉は男の琴線に触れずに済んだようだ。男の感情のない能面のような表情から、理解したと言った風な表情へと変化した様子を見て女は安堵し、強張ったその体から僅かに力を抜く。


「君のいう通り、確かにあれは危険だ。

 あれの行いは間違いなく我らの教義に反する行いだ。女神教の中枢たるこの聖殿の神殿騎士、それも精鋭たる近衛騎士がそのような行いをしていると知れれば、批難や反発は当然、聖教国の名に大きな傷をつけることになるだろう」


 続く、男の言葉に女は内心首を傾ける。先ほどの男の様子ではカイルを始末するということは非常に男にとって不都合なことだった筈だ。


 だが、今続く言葉はカイルという存在の危険性を肯定するばかりで、女に一層始末した方が良い存在だと印象づけているようにすら感じる。


 女の内心の疑問に答えるように男は言葉を続ける。


「だがね、あれは確かに危険だが、非常に強力で利用価値の高い存在でもあるのだよ。聖教国は多くの国に神殿騎士を派遣し、魔獣を討伐し、瘴気を浄化している。にも関わらず、瘴気の浸食は拡大し、各地に出現する魔獣の数は増加する一方だ。

 ……我々にはね、時間がないのだよ、聖女一人では瘴気を浄化することはできても点在する魔獣を全て討伐することはできない。質の低下した騎士達に倒せない魔獣は今後、どんどんと増えていく。強力な魔獣を倒すのには強大な力がいる。だからね、あれはまだ必要なのだよ」


 嘆かわしいことだがね、と教義に反する行いを肯定せざる終えないほど今は力が必要だと訴える男の表情に悲壮感などまるでない。


 女は自身に目を向けながらどこか遠くを見るかのように目を細める男に、不気味な物を感じる。今のいいようでは要らなくなればすぐに捨てると言ったようにも聞こえる。


 だが、最も重要なのは女が言った危険という意味合いがこの男が語った内容からまるで出てこないことだ。


 女が危険と言ったのは教徒達に青年の行いがしれることではない。


「閣下、確かに聖女様お一人で瘴気と魔獣の両方を浄化するのは困難であることは私も理解しております。あの青年の力が魔獣の討伐に有効なのも間違いないと考えます。……ですが、あれほど濃密な魔素を身に纏う行為を続けるのであればいつ魔獣と化すか、わかったものではありません」


 魔獣は瘴気によって生まれる化け物のことだが、何も無の空間から突然発生するのではない。

 どんな生物もそれが生命体であるなら魔素を持つ、瘴気は空間に発生し、その土地の生命を死滅させるが、稀に生命体の中の魔素に作用し異常なほど高濃度の魔素へと変化する。そうして生まれるのが魔獣だ。


 つまり魔獣とは本来、ウサギやネズミのような小動物、花や樹木のような植物、あるいは人間を媒体として変異した化け物を指す。


 あのカイルという青年が行った技は自身の魔素の濃度を高め、身体能力を上げるものだ。魔素の濃度が高くなればなるほど青年は身体能力を上げることができるが同時に理性を失い、魔獣となって暴れる危険性も高めている。


 故に自身の抱くこの疑問は当然の物である筈だ。いつ魔獣となって暴れるかわからない、そんな存在がこの世界の切り札である聖女の近くにいる。


 これが危険でなくてなんだというのだ。


 だが、そんな一般的な感性でこの男の考えなど理解できる筈もなかった。

 真なる疑問を突きつけた女は男の顔を見て、全身に冷や汗をかいてその悍ましさに身を震わす。


「だから聖女と一緒に居させてるんじゃないか」


 「何を言っているんだ?」と、そう言わんばかりの表情で当たり前のことのように男は語る。


「あれが、理性を失い、魔獣と化したならその時は聖女に浄化させればいい。

聖女召喚の前は私もあれが暴走した時のことで頭を悩ませたものだが、今は聖女という強力な手札が手に入った。

 聖女があれば、あの人形が暴走したとしても始末することは十分に可能だ。まさか、あの人形が聖女に誓いを立てるとは私としても予想外だったが、なんとも都合の良い話じゃないか」


 非常に喜しそうに語る男の表情は愉悦に口を歪ませて、嗤っている。


 —これが同じ人間か—


 あの粛正の日、女は人間という存在がどれほど醜く、悍しく、恐ろしいものかを目の当りにした。


 そして今再び、女は人が見せる業の深さをこの目で見ている。


「あれは聖教国が世界を救うのに非常に役立っている。あの粛正の日にもあれはとても役に立った。あれは非常に使える人形だ、使えなくなるその時まで使えばいい。……わかったかな?」


 男の問いかけに女は、はいという了承の言葉しか述べることはできない。


 それを機にこの密かな報告会は終了となり、女は男の部屋から静かに透けるようにその姿を消す。


 女が目を開け見渡す場所は聖女の眠る寝室のすぐ隣の部屋だ。横たえていた身をベッドからお越し、窓からさす月明かりにその視線を空へと上げる。


 女は聖女が召喚されて以来この男の命を受けてずっと聖女を監視してきた。


 だから知っている。あの少女があの青年をとても大事に思っていることを。


(……イズミ様)


 あの少女が果たして芽吹く想いに気づいているのかはわからない。


 だが、あの少女にとって、それがどれほど残酷な行いであるかは分かる。女神の呪いに抗う少女の姿を何度見てきた、だが抗いきれたことは見たことがない。


 もし、もしもそれが必ず来る運命の日だというのならその時は…。


(…カイル、イズミ様を泣かすことになるくらいなら私が貴方を殺す)


 青年の無表情な顔が脳裏を過ぎり、女の胸の内に僅かに痛みがはしる。自分にとってはとても気にくわないことだが、あの青年は少女に様々な良い影響を与えている。最近増えた3人で過ごす暖かい時間をことの他、女は気に入っている。



 ——だからどうか、どうかその時が来ませんように——



 少しでも長く、あの二人が長く笑っていられるように聖女の専属の侍女であるイリーナは静かに願う。

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