5話 浄化の祈り
その後、浄化の儀式のためにイズミ様は呼ばれ、自身も周囲の警戒にあたるためその場を離れた。
イズミ様は最後まで顔を赤らめて戸惑われていたので、儀式の為に呼びにいらっしゃった騎士長に「…貴様、何をした?」などといらぬ誤解を受けてしまったのは余談である。
事情説明した途端、心底下らないというか面倒くさいという表情を隠そうともしない騎士長に内心驚きながら弁明すると、
「何故、今なのだ。まあ、なんだ、貴様はもうちょっと上手くやれ」
全く持って意味不明な言葉を残して騎士長はその場をさって行った。
(上手くとは?僕の騎士の誓いの仕方はそんなに下手だっただろうか)
再度言うがカイルのコミュニケーション能力は決して高くない。騎士長の珍しく気を使った発言の真意も残念なことに、彼には全く伝わっていない。まあ後日その言葉の意味を彼は身をもって知ることになるのだが。
(そういえば、結局まだお許しを頂いていないな)
先ほどの騎士長の言葉の意味を考えながら警戒区域を周っているとカイルはふと思い出す。騎士の誓いは、誓いを立てた者より許可をもらうことで初めて意味をなすのだ。多くの騎士は女神に誓いを立て、祝福を持ってその返答を得たとするしかし今回、カイルが騎士の誓いを立てた相手は声の届かない相手ではない。
故にカイルの誓いは聖女の許可を持らって初めて意味のあるものとなるのだ。
(儀式の後で伺おう)
この時、カイルはもっとよく考えるべきであった。世界が違う、常識が違うということの意味と自身の言葉が普通はどうとられるのかということを。もっともそれが出来るのであれば決して騎士団内でひいては貴族社会でボッチなどとは言われないのだが。
日が傾き始めた夕刻に浄化の祈りは始まった。
ほの少し前までは活気で溢れ、多くの人々が行き来していたこの町の中心部
今、その場所にそのような面影はまるで見ることができない。
静寂なその広場でポツリとたたずむ1人の少女、夕日をその背に浴びた彼女の姿はただそこにあるだけでとても美しく、時折広場を吹き抜ける風が彼女のその黒く長い髪をたなびかせることで少女の美しさと儚さを一層際立たせる。
彼女はただそこに立ち両手を握り合わせ、祈りを捧げる。その瞬間、世界は彼女の祈りを受け入れたかのように輝き始める。
浄化が始まったのだ。
彼女を中心に広場に黄金の光りが輝き始め、徐々に町の外縁部へ円形に広がっていく。神秘、まさにそう言うにふさわしい光景がそこにはあった。
この光景をあるものは奇跡と呼び、あるものは女神の慈悲と呼び、あるものは世界の終わりだと言う。その光景を見て何も思わないものはいない。その光景が例えられるものは人によって変わり、様々でその全てが別のものを表している。だが共通点はある。
それらが全て人間には体現することが出来ない景色を表しているということだ。
地面に溶け込み、瘴気とかした濃度の高い魔素が、彼女の持つ膨大な魔力によって浄化され空間に溶けていく、まるで天地が逆転し、地面から空に向かって雪が降るように小さな光の玉が次々と空へと昇り消えていく。聖女の祈りは全ての異常な魔素を無へと返す。
この世界において魔素とは生命の源、全ての生き物の根源なのだ。故に異常とかした魔素を浄化する聖女の祈りは異常濃度となった魔素に侵された身体を等しく消し去る。ネズミだろうが人であろうが大小に関わらず、その姿を等しく光の粒子へと変えていき、そのあとには何も残らない。
故に、町に入ったとき大通りに見えたたくさんの亡骸も、その身をもって汚染地域の拡大を阻止した、彼らのその小さな身体も光の粒子となって消えていく。普段の浄化の時よりも多い、この無数とも思える光の数はそれだけの瘴気の量を、瘴気に侵された生命の数を表しているということになる。それを考えれば確かにこれは酷く恐ろしい光景なのかもしれない。
死体も何も残らない、全てを無に還すこの浄化を残虐だという者も確かにいるが、何故か、この景色が僕は嫌いではない。
この光景を見ると確かにすごく切なくて苦しくて、哀しくなる。
きっとこんな思いを抱くのは場違いなことだろう。
黄金の輝きの中で懺悔するかのように祈りを捧げる彼女の姿はとても、とても綺麗だった。
浄化の祈りが始まってしばらく、黄金の輝きが町全体に広がりきった時それは起きた。まるで意思をもっているかのように町のあちこちから光の粒子が聖女の前に集まり出したのだ。
この二年間でただの一度も起きたことがない現象に周囲が騒然とし慌て始める。周囲の護衛が走り出し、イズミに退避を促すが、彼女は一度チラリと近づく護衛を見て、「大丈夫だから来ないで」とそういうだけで祈りをやめて逃げようとしない。
本来ならカイルも、駆け出すところだ。
騎士の誓いを立てた相手が見たこともない謎の現象の目の前に立っているのだ。その危険性は言うまでもない。
だが、不思議なことに彼にはあの光がイズミに危害を加えるようには思えなかった。あの光の塊はイズミの祈りに応えて顕たようにカイルにはみえたのだ。
そうこうしている間にも光の粒はさらに集まり、遂にまるで人の姿のような形になっていく。その人の形をとった光を見て、彼は驚愕し息を呑んだ。
(そんな、あれは!?)
それは彼の知っている人物だったからだ。
光が象ったのは2人の子供の姿だった。
その子供を自分は知っている。分からないはずがない、2人を見たのはついさきほどのことだ。門に背を預けるように座り込み、力なく手を繋ぎ、互いに頭を預けあっていた少年と少女。眠っているようにすら見えた彼らの穏やかな表情をカイルはよく知っている。
顕れた光の子供達は何をするでもなく、ただ聖女を見つめ続ける。2人の子供は悲しそうに頬えんで、僅かに口を動かし、次の瞬間には霧散した。あまりに一瞬で、幻想的な光景に誰もが唖然とし動けなかった。光の子供が霧散して消えた時、聖女は呆然とその瞳を見開いて涙を流していた。今にも泣きじゃくり出してしまいそうなみっともない顔をしながらそれでも彼女は浄化を止めず祈りを続ける。
少年と少女の声がカイルまで聞こえることはなかった。
ただ、その口の動きが「ごめんね、ありがとう」と言っていたように思うのは僕の都合のよい願望なのだろうか。
聖女の祈りは光が消え切るまで絶えることなく捧げつづけられる。
それから丸一日、光の輝きは消えることなく彼女の祈りは続いた。湧き出る全ての光の玉が消え、町の外縁部から徐々に黄金の輝きは収まっていくそうして広場の輝きが完全に消え、浄化が終わった時、彼女は崩れ落ちるように倒れた。
浄化に必要な魔力は膨大だ。
聖女でなければこの規模の街を浄化しきるのに何日もかかることだろう。それをたった1日でそれも1人で行ったのだから、倒れるのは必然と言っても良い。今までの浄化でも彼女は何度も倒れている。これからだって何度だって倒れるのだろう。そう思うと、自身の無力感からか自然と両手に力が籠る。
倒れた彼女に駆け寄って、無事を確認したい衝動に駆られ、ついでそんな自分に酷く驚いた。今までの浄化で彼女が倒れても駆け寄ったことなんて一度だってないし、そんなことをしようと思ったこともない。
だが今はどうしようもないほどの焦燥感に駆られじっとしていることが難しい。何故このような感情を抱くのか、この衝動は一体何なのか、自分には分からない。ただ、感じたことのない感情に戸惑いながらも自身の役目をカイルは忘れてはいなかった。
駆け寄って無事を確かめたい、だがそれは今の自分の役目ではないのだ。
倒れた聖女に駆け寄っていく担当の護衛達を視界の端に捉え、カイルは駆け出しそうになる自身の足を必死に抑えながら周囲の警戒を続ける。
しかし、その日の自分は周囲の警戒などきっとできていなかったと思う。
周りの安全を確認し続けなければいけないのに、気がつくと倒れたカイルは彼女をその目で追いかけていた。
何より、彼女が倒れているときに、こうして周囲の警戒しかすることができないことが自身がいかに無力であるかを一層際立たせるのだ。
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