4話 選んだ選択 後編
翌朝、町の内部に潜入するべく数名の騎士と共に僕は防壁の前に立っていた。
あの後、聖女様いないことに気づいたイズミ様の護衛担当が慌ててやってきてイズミ様を天幕へと連れて帰って行った。
その際、「必ず生きて戻って」などと死亡フラグ満載の命令を下してくださったのは余談である。
(果たして生きて帰れるだろうか?)
あのセリフのおかげでそう不安に思う気持ちこそ消えないが、何故かその気持ちに昨夜は感じていた重さはない。
(イズミ様のおかげなのか、不思議なお人だ)
ふと、すでに自分が聖女であるお方の名前を呼ぶことに違和感も抵抗もなくなっていることに気がついて、思わず笑みが溢れる。
その様子を見たのか隣にいた1人の騎士が驚いたような口調で話かけてくる。
「お前……笑えたんだな」
なんとも失礼な発言だ。
いつもなら、無視するか、嫌味でも返すところだが今はそんな気にならなかった。
「……僕はそんなに笑っていなかったか?」
だから思わず素直にキョトンした表情で聞いてしまった。
それがおかしかったのかその男は急に笑い出しながら
「いや、すまん。お前は騎士団の中じゃ、氷の人形だって評判だったからな。
それが実際、話してみるとなかなか可愛い少年だったもんだから、ついなぁ」
氷の人形とは随分な言われようだ。
そういえば、僕は周りの騎士と任務以外で話をしたことはなかった気がする。
実際、目の前の男の顔は知っているが名前は知らない。
「僕も人間だ。笑いくらいするし、今年で17だぞ。少年と言われる年齢ではない」
そう答えて、僕は他の騎士が防壁にかけた梯子を登っていく。
「カイル! 帰ったらうまい酒を分けてやる!今度ゆっくり話そうぜ!」
(……こいつ、実は僕を殺す気か)
そう思うくらい、完璧なタイミングで死亡フラグ満載の言葉を伝えてくる。
文句の一つでも言いたいところではあるが、正直なところ青年の内心は驚きに満ちている。今まで彼にこのように話しかけてくる者など騎士団にはいなかったし、青年の方から話かけることもまずなかった。
彼が騎士団内で話すのはもっぱら任務報告や引き継ぎ等のやり取りのみで先ほどのような気やすいやりとりではなかった。
普段の彼なら無駄口などと考えてそのまま梯子を登って行っただろうが、今日の彼はそのまま無視して行くことが非常に悪いことのようなに感じた。
「……聖都に戻ってからな」
梯子を登りながら発した、言葉数は決して多くはなかった。
だが、これまでの青年のコミュニケーション力を考えるなら及第点と
言えるだろう。
伝えるべきことは伝えれたと思う。
少しずつ小さくなって行く下の風景の中、返事を受け取った騎士が嬉しそうに笑いながら「おう!」と返事をするのが青年の視界の端にうつった。
街の中は静かなものだった。
町の外壁上に降り立った彼は町の風景を見下ろして、気配を探る。
生き物が動く気配を一切感じない、脅威となり得る魔獣のような存在を感じることもなく、門をあけることにさほどの苦労もなさそうだとこの時はそう思った。
だが外壁上から門の方に向かって歩いて行くうちに徐々に、痛感することとなる。自身のその考えがどれほど甘いものかを。
特筆すべき障害は何もない、強いてあげるなら防壁を超え街の内部に入った瞬間から感じる濃密ともいえる魔素の存在。体が重くわずかに息苦しささへ感じる。
(やはり原因は瘴気、だが、街の外と中で何故こうまで差が出る?)
女神の加護を受け、尚且つ近衛騎士として鍛えている自分ですら息苦しくなるような感覚に襲われているのだ、おそらく一般の市民ではまともに動くことすらもままならないだろう。
カイルは静寂であることの意味を理解しているつもりでいた。
こうなっているであろうことはこの街に入る前からわかっていたことだ。
この風景を見るまでは本当にわかったつもりになっていたのだ。
かつては多くの人々が動き、賑わっていたはずの大通りにはもはや動くことのない魂の抜け殻がたくさん横たわっている。
街の衛兵、商人、農民、老若男女、身分を問わずそこには死が広がっていた。
死屍累々。この世の地獄がそこにはあった。
門に近づくほどに足の踏み場もないほどに通りに広がる亡骸を見下ろしながら少しずつ門へと近づく。
門を開けることは簡単なことだったはずだ。
早くあの地獄の並木道から抜けだす為にも門を開けて外に出たかった。
足を止める必要などなかったのだ。
だが、止めざる終えなかった。
それを見たのは門を開ける為に外壁から町の中に降りて門の前に立った時だ。
門に体を預けるように座りこんでいる、二つの小さな亡骸。
それを目にした瞬間、僕の足はその動きを止めた。
兄弟か、あるいは小さな恋人達か。
力なく手を繋いでお互いに頭を預けあったその姿から青年は目が離せなくなる。
瘴気と死に溢れたこの場所でなければ疲れて眠ってしまっているだけのようにも見えるその様子は、僕に門を開けることを躊躇わせるのには十分過ぎるものであった。
この光景を前にして、葛藤を抱かない者が果たしてどれだけいるだろうか。
少なくとも自分にはこの幼い2人を引き離すことが、酷く残酷な仕打ちに思えた。
だが、任務である以上、門を開けないわけにはいかない。
門を塞ぐように眠る2人の前に立ち、一瞬の逡巡ののち、青年は目を伏せる。力なく繋がれた手をほどき、門の脇にそっと移動させる。1人づつ丁寧にゆっくりと地面に横たえ、一度離れた手をもう一度繋ぎ合わせる。もう二度と彼らが離れないでいいように。
たったそれだけの動作で僕は酷く疲れたような気がした。
横たえた2人を視界の端に捉えながら、重い手を持ち上げて門のレバーをゆっくりと引く。
重厚な音を立てながら硬く閉ざされた門が少しづつ開いて行く。
広がっていく門の隙間から入り込む風は夏だというのに、酷く冷たかった。
門を開けば自分の任務は概ね終了である。
門の外で警戒待機している騎士団を内部に招き入れ、町の状況を報告する。
これで任務は終了だ。
もっとも町の状況に関して言えば一目で明らかであるので報告する必要があるかは微妙なところである。
「……これは」
門より入ってきた誰もが息をのみ、目を背ける。
無理もない、門の外ではあれほど穏やかだった静寂が門の中を見た途端、恐怖すら感じるおぞましい光景へとその姿を一変させたのだから。
ただ、イズミ様だけは瞬き一つせずその光景を見ていた。
まるで、その光景を瞳に焼き付けるかのように。
「なんという魔素の濃さ、やはり瘴気が原因か」
入ってきた1人の騎士が思わずと言った風に呟く。
加護を受けた騎士ですらこの街の中に長時間いるのは命の危険を伴う。
加護のないものが入れば、数分とたたず動けなくなり、その命をおとすだろう。
「カイル、報告しろ」
ふと気づくと自分の後ろには騎士長が立っていた。全く気配を感じなかった。
この光景に気をさかれすぎていたようだ。
「はい、防壁を超えた瞬間から息苦しさすら感じる程の濃密な魔素を感じました。少なくとも外壁上からは街の内部に魔獣の存在を確認することはできませんでした。破壊痕のようなものも見当たりません。
……この現状からも原因は瘴気で間違いないと思われます。」
瘴気にのまれた人間は眠るように死に至る。
ここに横たわる人々には刀傷もなければ毒をうけたようなのたうちまわったあともない。
そこで、ふと先ほど自身が横たえた二人の子供に目を向けた。
貴族の子供か、豪商の子供か身なりのいい服を着たあの二人は何故あのようなところで死んでいたのだろうか。
瘴気にのまれ蝕まれていくことをもし自覚出来ていたならそれはとてつもない恐怖であったはずだ。
だが、2人の子供の顔に恐怖の色は見当たらない。
(なぜ、そのような穏やかな顔をしている)
「騎士長、計器類の反応では街の中央方面に行くほどに魔素量は濃くなっています。汚染はそこから広がっているのではないかと」
魔素の観測を行なっていた騎士からそう報告が上がり、探索班を街の中央に派遣することになった。
探索班が汚染源を確認し、残りの騎士が周囲の安全を確かめ、聖女が汚染源にて浄化の祈りを捧げる。そうして町の瘴気を除去すれば、今回僕たちにできることは終了する。
「騎士長、なぜ町の内外でこれほどまでに魔素の濃さが違うのでしょうか?」
今回の件、あきらかにただの瘴気による汚染だけで片付く問題ではないはずだ。瘴気は通常汚染源から離れれば離れるほど薄くなっていく。
だがこの街では町の内部では異常なまでの魔素の濃度を見せながら外部では全く異常が見られない。
それに、なぜ門が閉鎖されていたのか。
門は通常、夜間以外は閉めておくものではない。
町の中の様子からして瘴気の広がった時間は少なくとも人々が寝静まるような時間帯ではなかったはずだ。
誰一人として逃げることができないほどの速度で濃度の高い瘴気が広がったの
なら一体誰が門を閉めたのだ。
あまりに、不可解な点が多い。
(門が開いていたならあの子供達は助かったかもしれないというのに)
脳裏を過ぎる記憶に、もし、というありもしない現実に考えが赴く。
直接あの光景を見たせいか青年はひどく感傷的になっているようだ。
「現時点では不明だ。観測班の報告では確かに先程まで街の外の魔素量は平常値だった。だが貴様が門を開けた瞬間から外部の魔素量も尋常ではない速度で増加しているようだ」
苦々しい表情で放たれた騎士長の言葉に、一瞬思考が止まる。
ありえない。
彼が言ったことはつまり、門によって、いや、おそらく街を囲う外壁によって瘴気が広がることが防がれていたということになる。
街一つが壊滅するほどの瘴気が発生していながらこの周辺が汚染地域となっていなかったのは、あの門が瘴気の拡散を防いでいたからだと。
だがそんなことが可能などとは聞いたことがない。
もし、それができるなら汚染地域を丸ごと壁で覆えば瘴気は広がらないし、逆に、瘴気の侵入を防ぐこともできるということではないか。
だが実際にはそうなってはいない。
瘴気は物質の有無に関係なく拡散し、今なお汚染地域は拡大し続けている。
だが、騎士長の言葉通りで門の解放によって瘴気が広がっているというのならば得られる推測は一つだけだった。
(この街の門は、瘴気の拡散を防ぐために閉められたというのか!)
思わず周囲を見渡す、眼前に広がる多くの亡骸が目に移り、ついで先程の二人の子供の姿が脳裏を過ぎる。
この光景は、被害を最小限に抑える為に仕方のない処置だったというのか。
一瞬、自分でも理解できないほどの憤りを覚え、ついで誰が行った処置なのか疑問を覚える。
町の支配者が行った処置ならこの一行に先触れなり、なんらかの形で報告があってもおかしくはないはずだ。
だが、そのような報告はなかった。
そこでふと思い出す。
門の開閉はレバーを上げるか下げるだけの単純な操作だ。
だが、その開閉は内側からしかできない。
門を閉めたものは内側、町の中にいたことになる。
これほどの瘴気ならば加護のないものなら瞬時に動けなくなる。
近衛騎士の自分たちですら長時間の活動は死の危険がある。
多少の加護程度では動けて数十分、その数十分で誰かが門を閉めた。
加護を授かるには多くの場合、聖教会の祝福を受ける必要があるがそれにはかなりの大金がかかる。故に加護を持っているのは貴族や豪商など身分の高い者ばかりだ。加護もちの平民など滅多にいるものではない。
多くの者達が門に触れるまでもなく、通りで息絶えている。
至った思考に思わずば門の脇を振り返る。
先ほど疑問に思ったことだ。貴族か豪商の身内でなければあのような身なりのいい服を着れるわけがない。そんな者達がなぜあのような場所に居たのか、何故死の直前でそれほどまでに穏やかな顔をしているのか。
自分が見たこの光景の中で、門まで到達出来たのはたったの2人だけだ。
まるで何かをやり切った後のように穏やかな表情で眠る彼らはその小さな身体で広大な範囲の土地を、この町の何倍も多くの人々を瘴気から守ったのだ。
「……先程も言ったが現時点で原因は不明だ。
イリスの町は聖教国建国以来よりある古い町だが、ここの町の門や壁にそのようなことが可能などついぞ聞いたことがない。
原因など、我々騎士が考えることではないが、貴様の報告と現状からして、もし我々の想像通りなら、彼らの選択はこれ以上ないほどに尊いものだろう」
(何が尊いというのだ!逃げればよかったのだ。自己犠牲など!!)
制御しきれない怒りに自身の拳に力が入り、ぎしぎしと音を立てるのがわかる。
「…聖女様が浄化の祈りを捧げられる。
この光景を見て、その想いに身を焦がすのは貴様の自由だが、近衛騎士の務めを忘れるなよ」
それだけいうと騎士長は門前から町の中央広場に向かっていく。
騎士長の言葉に歯痒いものを感じ、再度彼らの姿を見る。
その穏やかな表情に後悔の様子などかけらも見られない。
どうにもならない無力感を拭えぬまま、自身も浄化の場に赴くべく門に背を向け、歩きだす。その光景に後ろ手を引かれながら。
無力感に打ちひしがれながら、広場に赴き自身の担当班に戻った自分を待っていたのはとても単独任務に及んだ者に対する扱いではなかった。
戻ってそうそう同班の騎士から「聖女様がお呼びだよ」と、虫を払うように追い払われ、駆け足でイズミ様の元へと向かうと、
「やっときた!遅い!」
と怒られる始末、全くもって随分な扱いである。しかし、相手は聖女様なので当然反論など論外である。
「申し訳ありません。
伝言を受け、すぐ向かったのですが」
とはいえ、弁明する程度は許して欲しいものである。
そもそも、浄化の祈りを捧げるという段階に至って自分がイズミ様に呼び出される理由がわからない。
「君、遅刻していいわけする男になっちゃダメだよ」
時間を決めれていたのも知らなかったのだが突っ込むのはやめておこう。言葉にしないだけで心の中では突っ込みまくりである。
「……御用とお伺いしましたが。いかがなされましたか?」
そんな青年の心中を察してか、少女はジト目で青年を見るが青年の方は構わず話を進めていく。
「まあいいけど。
だいぶ見られる顔色になったみたいだね」
アルティメス騎士長のおかげかな?とキョトンと首を傾ける。
そう言われて初めて自分が気を使われていたことに気づいて、青年は驚きに一瞬、目を見開いて少女を見る。
すると少女の方はふふっと笑いながら
「君、顔真っ青で、なんだか迷子の子供みたいにおろおろしてたんだもの」
まるで年下の子供を見るような目で見られたうえ迷子の幼子のようと言われてはさすがの僕も恥ずかしい。とはいえ心配してもらっているの間違い無い、それに今までこのように気遣ってくれるものなど青年にはいなかった。
言い訳をしようにも咄嗟のこともあってなんといっていいのかわからず、口を開けたり閉じたりしていると。
「ふふふ、何それ。
はぁあ、まああんな光景を見て、冷静じゃなかなかいられないよね。」
そう言われて、また脳裏に門前の光景が蘇る。パッと少女の顔を見るがその顔色はまるで達観したように落ち着いた表情で自分のような無力感に打ちひしがれた様子はまるで見られない。
それを確認した途端に自分の中に黒いモヤモヤとした感情が湧き上がるのを感じた。なぜ、あのような光景を見てあなたは
思わず目を伏せるが一度湧き上がった感情を青年は抑えることが出来なかった。そうして口から出た言葉は普段の彼なら絶対に言わなかっただろう言葉で何より騎士としてはあるまじきものだった。
「イズミ様は、何故笑っていられるのですか?
あなたにとっては確かに別世界の、関係のないものたちかもしれませんがこの街に住んでいる「関係ないなんて言わないで」っっ!」
静かに被せらた言葉に息を詰まらせる。
同時に自身が言おうとした言葉の愚かさも理解できた。伏せた目をあげ、見えた彼女の表情は先ほどまでとうってかわって怒りと悲しみに満ち溢れ、達観したような落ち着いたものでは全くなくなっていた。
「私は確かに貴方の言う通り、この世界とは別の世界の人間で、やりたくて聖女をやっているわけでもない。
だけど私はあの日から、この世界では間違いなく聖女で、今はこの世界で聖女として生きてる。
……あと数日でも早ければこの街の人達を救えたかもしれない。
私が大好きな料理を食べて、喜んでいる間に誰かが望まない決断を迫られて、先のない選択をさせてしまったことが、悔しくて仕方がない!」
言葉が出なかった。
この様子からして、すでに町の真実をイズミ様は報告を受けたようだ。はたからは全く分からなかった彼女の胸の内が今、自身の前で吐露されている。
(なんと愚かなことを。彼女は最初から笑ってなどいなかった)
外見から見えた達観したような表情は彼女がつけた聖女という仮面だ。
聖女たるものが平民のために嘆き悲しむことは民衆に伝えればさぞ盛り上がり、聖女の慈悲深さを喜んで広めることだろう。
だが、現実にはつけ込まれる隙など与えない為に彼女は感情を表に出さないことを教育されている。
この世界では貴族ならばある程度は身につけておかなければならない必須技能だ。護衛とはいえ騎士も貴族だ。そうそう胸の内など明かせるものではない。
彼女はこの世界に拉致同然で連れてこられ、望まない仕事をさせられ、逆らえば気絶するほどの痛みに襲われ、彼女が望んだ願いも叶わない。
この世界が彼女に犠牲を強いている。
関係ないわけがない。
関係を強いているのは他ならぬ僕たちだというのに。
だが、彼女の本音を見て青年には同時に疑問が湧き出る。
何故、彼女はこんな世界の為に苦しむ?
彼女は何故、この世界を憎まない?
何故?どうして?
理解できない彼女の心根が、あの2人の子供の姿と重なって見えた。彼らと目の前の少女に見えているものが自分には見えない。
「何故、貴方はこんな世界の為に苦しむのですか?」
気がつけばポツリとそんな言葉を溢してしまっていた。
憎くないのか?
ざまぁみろと、そう思わないのか?
あとから考えてみると非常に残酷な質問だ。答え方によっては女神の呪いが発動していてもおかしくはなかった。だが少女は躊躇う様子など一切見せずその心根をあらわにする。
「……私は世界の為に祈ったことなんてないよ。
ただ、目の前で苦しんでいる人が、笑顔になる瞬間を見たかっただけ。最初は、それこそこんな世界のために働くのなんてごめんだったよ。拉致同然で連れてきて、逆らったらすぐに呪い発動で悶絶級の痛みを味わせるんだもん」
「もー思い出しただけで痛いと」苦笑いしながら両手で体を抱きしめる彼女の姿にこんな世界のためと言いながらそんな雰囲気を全く感じさせないその姿に矛盾に満ちたその姿に呆然となった。
そんなこちらの様子にはまるで気づかずに彼女は話を続ける。
「でもね、ありがとうって、お礼を笑顔で言いにきてくれる人たちがいたから。誰かにあんなに笑顔で感謝してもらえることなんて今までなかったから。誰かを笑顔にできるのが嬉しくて、そういう仕事なら苦しくても続けていけた。
……私は世界の為にも女神の為にも祈らない。私はあの人達が笑顔で、ありがとうって言ってくれるように、自分の為に祈ってるんだよ。
……だから本当は聖女なんて呼ばれる資格、ないんだけどね」
そう言って寂しそうに微笑む彼女が酷く儚く、美しく見えた。
彼女の語った事は聖女たりえないものなのだろうか。
自分の為に、それが真であったとして、誰かを笑顔にできることに喜びを覚える人が、かつて有った幸せを全てを奪われてなお、自身の幸福の為に、今ある全てを利用し、使う彼女に聖女の資格がないなどと言えるものだろうか。
よりにもよって、彼女のかつてを奪った長本人が。
だが、危うい。
彼女のあり方を理解すると同時にカイルには危機感が募る。彼女は自身の行いを認めながら、その行いによって得られる対価に喜びながらその感情を抱く自身を卑下している。本当はそんな資格はないと、そう思っている。
彼女の行いが思いが聖女としてではなく一人の人間として正しいもので、とても尊いものだということを彼女はわかっていない。彼女のそのあり方はお礼をいう人間にとって間違いなく聖女なのだ。
そしてそれはカイルにとっても同じだ。
彼女は聖女だ。
彼女の思いを何人が咎めようとも、カイルにとって彼女のそのあり方は間違いなく聖女だった。
近衛は聖女の騎士だ。
この身は近衛の立場だが、自身は近衛になる前より騎士だった。
女神を信奉するでもなく、誰を主人とするでもなく、未だ彷徨う力無き騎士だ。物語の英雄のように幾千もの魔獣を倒す力もなく、国を救う力もない。それどころか町一つ守ることすら出来なかった。
だが、この時この想いを見て、この身の道は示された。
「……この身はすでに近衛、聖女様の騎士です。
近衛として聖女様に誓いは立てましたが、ただの騎士としての誓いはまだ、イズミ様にたてていませんでしたね。」
脈絡のない発言に彼女が困惑してキョトンとしているが、青年は構わず続ける。騎士の誓い、僕の騎士としての道は彼女と共にありたい。
「この時より、我が道は貴方の道と共にあり貴方の想いの後ろに我が想いがある。イズミ様、どうか僕に貴方の道を貴方と共に歩むことをお許しください」
そう跪き、彼女の左手に手を添えてそっとそのお顔を伺う。
「へ?……えっえええーーーー!?」
意味がわからずキョトンとしていた表情が一拍おいてボンッと一瞬でお顔が赤くなっていく。
先ほどまでの儚げな様子とうって変わって戸惑う彼女がとても可愛らしくて、面白くて、ついつい笑ってしまう。
この世界が彼女に求める役割は過酷で、身勝手だ。
成果を求めるが対価は払わない。
この身は彼女にとって対価になどならないが、せめて彼女が走らされる道の露払い程度はして差し上げたい。
この世界に生まれた僕も例に漏れず、やっぱり身勝手この上ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます