6話 騎士長の助言
あれから2カ月イリスの街の壊滅は聖都や世界各国に驚きと絶望をもたらした。住民二千人が逃げる間もなく死に絶えたうえ、瘴気の発生場所が街の内部だと発覚したからだ。安全な場所などどこにもない、いつどこで瘴気が広がるのか人間には全くわからないのだ。
聖都周辺の街はともかく辺境の多くの村や町の住人はいつ自分たちの住む町に瘴気が発生してしまうのか戦々恐々としながら過ごさねばならない。それに耐えられなかった者達が少しでも助かる可能性が高い聖都へと毎日のように避難してくるようになった。
聖女の近くにいれば大丈夫だ。
聖都なら女神の加護があるから大丈夫だと。
人々は恐怖に駆られ、唯一の希望へと群がるように集まってくる。
まるで、光に群がる虫のようにすら見えるこの光景を聖都の貴族達は酷く嫌った。だが、他の街の貴族すらも聖都へと逃げてくる状況に表立って、非難する言動は避けているようだ。聖都の周りはあっという間に避難民で一杯になっていった。
そんな世界中が瘴気の恐怖に怯える中、僕はと言うと、何故か聖女様ことイズミ様に避けられていた。
(僕は何をしたんだろうか?)
カイルには避けられる理由は皆目見当もつかない。
僕が話かけようとしてお顔を見ると顔を赤くしてそっぽを向いたり護衛として後ろに立つと妙にちらちらこちらを伺うのだ。そんなイズミ様の状況を見て、騎士の誓いの承諾を確認できるほど僕も図太くはない。
強いて何か問題があったか考えるとすればイズミ様が倒れたというのに警戒任務で近づけなかったことだ。確かに騎士の誓いを立てた身としてはあってはならないことだったかもしれない。などとカイルは検討違いも甚だしいことを考えはじめていた。
とはいえこのままでは仕事にも差し支える。
ろくに話しかけることすら出来ない上、自分が背後に立つと明らかに緊張して集中力を欠いているように見えるのだ。下手をすれば近衛騎士の任を外される可能性も否めない。そう考えたカイルは喫緊の問題として上司たる騎士長に相談を持ち掛けたのだが、
「……貴様、正気でそれを言っているのか?」
結果はこれである。
相談を持ちかけた部下に対して正気がどうかを確かめるなど上司として如何なものか。何よりも大変、失礼である。
というのがカイルの心境であるが、騎士長のこの反応は至って正常である。
カイルがいる時だけ明らかに言葉数も少なく、チラチラとカイルの方を見ていることは他の騎士にも当然わかっている。がカイルとは違い、他の騎士は聖女様の心情をもちろん理解している。というか丸わかりである。何しろ顔が赤くなっているし、カイルがいない時などはもっぱら彼の様子を伺うのだ。他の騎士団の男の名前は呼ばないのに「カイルって普段はどんなことしてるんだろう?」とか「カイル、今日はいないのか」などと溢しているのを聴けば、普通はどんな者でも理解する。
聖女は明らかに1人の騎士に心を寄せている。あるいは寄せ始めていると
当然、騎士長も理解しているし、これについては彼にとって非常に頭の痛い問題である。
カイルはその能力こそ騎士団内では非常に高いうえ、その出自は公爵家に連なるものなのだ。家柄もよく、騎士としての能力も非常に高い。本来なら手放しで喜ぶ人材であるが、この青年は致命的なまでに人付き合いが苦手である。
騎士団内での彼の立場はハッキリ言って良くない、周囲と連携をとらず単独で任務を遂行してしまうし他の騎士と仲良く仕事以外の会話をするということがまるで出来ていない。彼には味方が少ないのだ。
だが、昨今の世界情勢から鑑みても彼のような戦闘力の高い騎士を遊ばせておく暇は全くといっていいほどない。近衛騎士は名誉ある職務であるが故に、能力の高い者が集まりやすい傾向にはあるが激務であり消耗も激しい。優秀な騎士は1人でも多く確保しておきたいのだ。
そこに来て聖女とのこの問題である。
他の多くの男性騎士からは当然よく思われていないし、上層部の一部で何やらカイルと聖女様の仲を利用した政略が動き出そうとしている節がある。どうしたものかと考えていたところに渦中の本人から状況を全く理解していない相談をされたのだ。
「……あの反応を見て気づかんとは。気付いたところでどう出来るわけでもないが。とはいえ、さすがに聖女様が不憫にすぎるな。こういう感じの方がモテるのか?」
あまりのカイルの鈍感っぷりに騎士長は唖然としたように呟くと小声でぶつくさ言い始め、衝撃のあまり最後に至ってはもはや全く関係ない思考へと陥っている。
「そのおっしゃりようでは騎士長は何故、自分が聖女様から避けられているのかご存知ということでしょうか?」
先程の失礼な発言はともかく、この上司は何かを知っているようだと確信を持ったカイルは原因を究明し対策を検討すべく、何が何でも聞き出すという勢いで騎士長に詰め寄る。
「ふむ、知っているというか、多くの者は気付いていると思うがこれは私の口から言って良いこととも思えんしな」
騎士長としても職務上、解決した方が良いのは間違いないが、単に聖女の心の内を教えるというのも問題である。彼からしてもこの青年の鈍感差と人付き合いの苦手っぷりは目に余る者がある。それにこの手の問題に下手に第三者が関わると状況を悪化させかねない。
「……まあ、貴様が聖女様に嫌われていないのは間違いない。もし、嫌われているのならとっくに首を切っているしな。直接伺ってみたらどうだ?」
そこで、彼は簡単な助言に留めておくことしたのだがこれを受けたカイルの反応は実に顕著だった。
(それが出来ないから貴方に聞いているのだが、そのあたりを察せないところがこの男のモテない原因の一つだろう)
思わずジト目になるのも我慢できずに全く役に立たない助言を下さった騎士長に感謝のあまりカイルは溜息をつく。
「……貴様、全て口から漏れているぞ。不敬罪で首をはねられたいか。というか、貴様にだけは言われたくない」
ただし、カイルの心の内は全て騎士長に伝わってしまっている。
おっと、いけないいけない。「危険を顧みず上司に忠言をいう、良い部下を持ちましたね。」こういう時は下手にひいてはいけないにっこりと微笑んでいうと効果倍増である。
などと全く反省もせずに飄々とした態度を見せるカイルに僅かに騎士長は驚く。他の騎士達から聞く彼の印象とも以前自分がカイルと接した時のどの印象とも今の彼の反応は違ったからだ。今までの彼で有ればこのように笑顔で嫌味を吐くなど到底しなかっただろう。
毎日、何を警戒しているのかというほど明らかに他人を避け、会話もしない。
氷の人形とも表されていたはずの彼が僅かな時間で随分と人間らしい表情で笑い、喋るようになっている。
(……随分と変わるものだ。これも聖女様のお力かあるいは女神様の魔法か)
彼個人からすればこれは非常に喜ばしいことだが、それ故に危機感も募る。
「……今のを忠言ととるかどうかは別問題な気がするが。
まあ、忠言と言うなら私からも一つ、自身の立場を忘れるなよ」
カイルからすれば怒鳴られるかなくらいの感じのところだったが、肝心の当人は呆れた顔をしたかと思えば急に真面目な顔をして、忠言というよりは忠告のような言葉を告げてくる。一瞬では理解できずカイルはよく分からないと言ったふうに首を傾けている。
「貴様は騎士で、あのお方は聖女様だ。それを忘れるなということだ」
結局カイルからすればそれは妙な忠告だった。今も昔も、自身は騎士であることを自覚しているし、イズミ様が聖女であることなど分かり切っていることだ。
カイルが一層困惑した表情をしていると
「今はいい、だがその意味が理解できた時、この難しさがわかる。少なくとも世界が無事な間はな」
なんとも意味深にカッコつけて振り返るとマントをたなびかせながら歩いていってしまった。
カイルが理解していないことなど騎士長とてわかっている。だがカイルが理解できるようになってからではおそらく遅いのだ。
近い将来、彼がこの言葉をどう取るのかは分からない。だが何も言わずにおくというのは余程残酷であると彼はそう思ったのだ。
リード•アルティメス騎士長はかつて人徳の騎士として知られる人間味あふれる優しい騎士であった。それ故に多くの人間に慕われ、教えを請われ、そして政治的に利用されてきた。優しい彼がいうのだ。彼が言うのならそうなのだろうと多くの民衆に注目され信頼されるその言動は、神聖的な政治を行う上でとても有効であった。
どんな優秀で厄介な聖教国の否定派も彼を旗頭に処分してしまえば大抵の民衆の意見を味方につけ先導出来たのだ。無論当時の彼はそれを知らなかった。上が用意したでっち上げの証拠を信じて女神の名の下、異端者を断罪したことなど数知れない。だから、彼が自分が利用されてきたことを理解し、その行いの真実を知った時彼が自身の中に自負した人徳の文字は消え、かつての優しい笑顔ではなく、厳しくて恐ろしい顔つきへと変わっていった。
そうして10年近く、今では蛮族のような強面で知られる彼は近衛騎士の団長として自身の経験を話せる範囲で部下に諭すのだ。
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