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 暗闇の中、タクシーは疾走する。


 景色がよく見えないので、何処に連れて行かれるのか少々不安だった。


 やがて工場の建屋の様に広い建物が立ち並ぶ区画に入ると、その不安も消える。


 タクシーは、その内の一つの前で止まった。


「着いたよ。じゃあ降りて」


 そう言いながら、ミクがタクシーを降りると、勿論僕もそ、の後に続く。


 彼女は、無機質な建物のエントランスに仕掛けられたコンソールに、先程のカードを置くと、コンソールの画面を見ながら、またもやフォネティック・コードを唱える。


「シエラ・ツリー、オスカー、マイク、ゴルフ・ワン」


 彼女が全て言い終わると、エントランスの扉が開く。


「じゃあ、ボクから離れない様について来て」


 その彼女の言葉に頷くと、エントランスをくぐる彼女の後に続いて、愛想の全く感じられない建物の中へ入る。


 エントランス付近は吹き抜けになっていて、左右に居室らしき二階建ての建物が、二層になった広い廊下を挟んで立ち、建物のの奥の方まで続いている。


 二階部分の廊下へは、建物の脇に沿って取り付けられた階段を利用する様だ。


 正面から見て左側の階段を上がり、左側の建物沿いに歩く。


 建物に取り付けられた等間隔で並ぶ扉は、刑務所か収容所を彷彿させる。


 直ぐ脇を、清掃用のBOTが通り抜ける。


 背の低い円筒形のそれは、足下にあるブラシを回転させて廊下を掃いて掃除していた。


 突然ミクが立ち止まる。


 そして側にある扉に向いてコードを唱える。


 すると扉が開き、彼女が中へ入るので、そのまま後に続いて中へ入ると、扉が勝手に閉まり、部屋の照明が灯る。


 部屋の中は思ったよりも広く、内壁は外側の壁同様、無機質な金属のタイルで囲われている。そして、部屋の中央には、オレンジ色の液体で満たされた円筒形の大きな水槽の様な物が鎮座し、殺風景で何も無い部屋で唯一、存在感を示していた。


 好奇心に誘われて、よく見てみようと水槽へ近付き、中で漂っている物を見てギョッとする。


 中で、人らしき物が浮かんでいたからだ。


 人らしきと言うのは、人の様な五体はしているが、手と足が極端に小さく、それとは逆に頭は胴体と同じ大きさにまで肥大していた。丁度、母親の胎内に居る胎児を想像すると分かり易いだろう。


「赤ん坊? 胎児?」


 すると側に居たミクが、軽く横に首を振って僕の勘違いをただす。


「一応これでも成人だよ。ちなみに女の子だから、余りじろじろ見たら駄目だよ」


「どうしてこんな事になったんだ?」


「世の中が便利になり過ぎたからだよ。発達した乗り物や機械は、人から強靱さを奪ったし、インターネットの様に発達したIT《インフォメーションテクノロジー》技術によってもたらされた膨大な情報は、人から記憶する事や考える事を奪っていった」


 極端な彼女の物言いに、少し反感を覚える。それが人類にもたらした恩恵は、彼女が言うマイナス面など軽く払拭して、大きな成果を生み出しているではないか。


「便利になるなら良いじゃ無いか。その分人は、他の事にリソースを割く事が出来て、世の中の更なる発展に繋がっているだろ!」


「うん、君の言うとおり、得られた恩恵は計り知れないよね。でも、人間という種としてはどうだろうか? 人間の能力を補完する技術は、人が元来から持っていた能力を奪っていくんだ。道具と英知を身につける以前の人類は、それまで以上に身体能力が高かったはずだよ。そうで無いと厳しい自然界の中で、アッという間に淘汰されるからね」


 そして視線を、目の前で液体漬けになっている彼女に移して、更に話を続ける。


「今ここに居る彼女は、ネットワーク越しに、大量の労働BOTを自在に操って生計を立てているんだ。それだけでは無く、そのネットワークは何の不足も無く自在に買い物が出来るし、情報も好きなだけ手に入れる事が出来る。旅行だって遊びだって、アバター用BOTを通して行うから、自ら体を動かす必要も無い。嗜好品や贅沢品も、脳に直接信号を送る事で味わった気分になれるから、肥満の心配も健康を害する心配も無い、SEXだってバーチャルだから、ウッカリ妊娠する事も無いし、逆に自分の遺伝子を使って人工的に子供を作る事も出来るから、種が途絶える心配も無いんだよ」


 そこまで一気に話すと、再び僕の方へ向いて真剣な顔で話し掛ける。


「でもね、そんな彼女も、そこの水槽から外へ出てしまえば、自力で生活するのは不可能だし、子孫を残す事だって出来ないんだ。これって、種としてどうなんだろうね?」


 そう、あくまでも彼女は、ネットワークのとして生きる分には支障無い。


 だが、人間という一つの個体として生きていくのは、正直厳しいと思う。


 今の状態に至るまで、どれだけの歳月、どれだけの代替わりをしたのかは分からないが、文明に依存し過ぎた末路だと言われれば、危機感を抱かずには居られない。


 思わずミクに尋ねる。


「こうなりたくなければ、どうしたら良いと思う?」


 言ってしまってから後悔する。


 この世界に生きる彼女に、答えを求めるのは酷だろう。


 よしんば正しい答えを見つけた所で、今の彼女ではどうしようも無いだろう。


 人は、手にしてしまった便利な物を、中々手放す事が出来ない。


 原子力エネルギーや地球温暖化ガスの様に、実害が分かり易い物はまだ良い。


 多くの者が問題を自覚して取り組むのだから、いずれ手放す事も出来るだろう。


 だが、実感しにくいものや、実害が分かりにくいものだったらどうだろうか?


 恐らく自覚の無いまま、現状を受け入れるだろう。


 目の前の水槽に浮かんでいる彼女も、きっとこう思うに違いない。


『生きていくのに何の不都合があるの? 余計なお世話よ、と』


 言ってしまった事を後悔していると、しばらく沈黙していたミクが口を開く。


「やはり君には、これが異常に見えるんだね」


 その問い掛けに、口をつぐむ以外の答えを見つけられない。


「いいさ、その反応で充分だよ。問いかけの答えだけど、正直な所、君が世界で屈指の進化学の学者でも、この流れは止められないだろうね。だから君は・・・・・・」


 彼女が結論を言いかけたその刹那、けたたましい音が警報音が鳴り響いた。



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