リハビリ 鬼と悪魔の昔恋語(2)
今日の業務は無事終了した。
朝のいつもの業務。それを何部屋もこなしていく。唯一の救いは間取りが違うことぐらいだろう。ずっと同じ間取りだと、頭が混乱してしまう。
メイドは業務を終え、自室にて少しばかり休憩をする。
――そういえばメイド長が「今日、新しいメイドの子が入ってきます」と言っていたな、と思い出す。誰が教育するのだろう。――私はしたくないな、などと思う心と、私のような最年少メイドから何も教わることなぞないだろう、という自虐の心が行き来する。メイドよりも年少の子なのであれば、教育係に任命されたりするのだろうか、などと現実的ではないことを考える。
別にうれしいことではない。この屋敷に仕えるメイドのほとんどは、身寄りがない者ばかりだからだ。例にもれず、メイドもその一人。ただ特殊なのは、生まれた時からこの屋敷に住まわせてもらっている――いや、仕えるしかなかっただけだ。
だからこそ、ここに来る者を歓迎こそしても、向ける目は同情。だが、自我がある状態で来ているだけ、メイドよりはましなのかもしれない。自我を忘れなければ、自立できれば自分の人生を歩みなおせるからだ。メイドは生まれて今日まで、何人もそのような人を見てきた。
だけど、少女にはここしかない。外の世界を見る機会などないし、あったとしても少女の自我なんて作られたものでしかないと自覚しているからだ。
――私は、先輩たちのようには死んでもなれない。そう、心のどこかで諦めている。諦めることを心の救いとしているのかもしれない。
今日新しくメイドが来るなら、明日以降に存在する雑用を今日いくつか終わらせておいたほうがいいかもしれない。少なくとも一週間は基本的な作法などを教え込むだろうから、その後に他の雑用を覚えられるように、今日時点で雑用をいくつか終わらせておけば、作法を教えている間の雑用を減らせて負担が少なくなる算段である。
頭の中で思いを巡らせた後、ならばなるべく早く取り掛かろうと軽く伸びてから席を立つ。
手始めに植木の手入れから始めようか。まだ十五時半。時間はまだまだあるのだから、規模の大きい雑用を終わらせよう。
――バダンッ!
植木手入れ用の鋏を持った時、唐突にドアが開く。
「ここにはいったい何があるんだー!」
非常に元気な男の子の声、よりも勢いよく開かれすぎて壁との音を立てるドアのほうに驚くメイド。大きな鋏を持ったその手は、胸の前で縮こまり、くしくも――少なくとも男の子にはメイドが鋏を構えているように見えてしまう形になる。
「――ってぇー……ええ!?」
叫ばれてメイドは初めて気づく。私が悪いみたいになっていないか。
「待て待て! その鋏をこっちに向けないでくれ!」
「――。すみません。少し取り乱してしまいました」
胸の前に掲げた大きな鋏を下ろし、お辞儀のような形で頭を下げる。
「客人に無礼な態度をとってしまい、申し訳ございません」
下がったまま発せられたその言葉にあまり耐性がないのか、男の子がそわそわとしながら答える。
「そっそんなことよりだな――今追われてて、ちょっとの間隠れさせてくれないか……?」
「え、は、はい……承知しました」
急いで返事をしたからではない。――否定する理由がなかったからそう答えただけだ。別に、誰に迷惑をかけるでもない、だろう。
「――っと――。ちょっとー!」
待ちなさい! という元気な声が廊下に響く。
まさか、男の子を追っているのはまさか。
「ようやく、追いついた――って」
やっぱり、お嬢様だ。
――さきほどと打って変わって、静寂が二人を包む。
さて、この状況どうしたものか。メイドはどちらの信用をとればいいのだ。先に約束した男の子か、それとも長い間身をささげてきたお嬢様か。
「メア! ――ここに、男の子が走ってこなかった?」
メイドの名を呼び、息を切らしながら質問を投げかける。
私は、なんと答えたら……。
「あ、の……」
お嬢様は、メイドの顔を見て返答を待っている。メイドはたじろぐ。
生まれてこのかた、これほどまで長くお嬢様と向き合ってきただろうか。毎朝起こしに行く関係だというのに、顔を、目を合わせることがこんなにも恥ずかしいなんて。
メイドの――意味の違う――戸惑う様子を見て、お嬢様は勘違いをしたらしい。
「――ここには来てないみたいね」
と言い、部屋を出ていった。
それよりも――お嬢様の丁寧ではない物言いを、偶然かもしれないがメイドは初めて聞いた。あんな風に、子供らしい一面も持ち合わせているのか。
残された部屋に立ち尽くし、のんきにそんなことを思う。
「あぶねー……」
メイドの身長の二倍はあろう棚の後ろから安堵の声が漏れる。もちろん、男の子の声だ。
何か見つかってはいけない理由でもあったのか。
「ありがとな、助けてくれて」
「い、いえ。そんなことよりどうして――」
「あ! まだいた」
どうして助けてほしかったのか。そう聞く前にドアがまた開かれた。
開くと同時にお嬢様の声。
メイドの体は大きく跳ね上がる。やましいこともないのに。もしかして、男の子の心配でもしているのだろうか。
「ど、どうされましたか? お嬢様」
少し驚いた状態のメイドを不思議そうに見て、なんでもなかったかのようにお嬢様は言う。
「? まあいいわ。二人きりになるときがないからね。こんなときにでも言っておかないと、と思って」
「何を、でしょうか? お気に召さないことがあったのであれば、申し訳ございません」
「違うわよ、その逆――いつもありがとね。私と同じ年なのに、すごいなって思ってるわ、あなたのこと」
「――」
「それだけよっ。――早く探さないと」
そう言ってまたドアを閉め、廊下をかけていくお嬢様。
――ありがとう。すごい。お嬢様が? 私を?
すごいのはお嬢様のほうではないのだろうか。私と同じ年齢で、お嬢様として生きていることがすごいのではないか?
「今度こそ、あぶねー――ってそれより、なんだよその顔」
ようやく棚の陰から出てきた男の子は、メイドの顔を見るなりそう言う。
「?」
おかしな顔をしたままメイドは首をかしげる。
「まさか、お前。今の理解してないな?」
理解していない。そういうことではない、受け入れがたい、のほうが正確だろう。
「俺はあいつの立場だから分かるぜ。あれは本気だ。あーいう気持ちは受け取ってやらないと逆に失礼だぞ」
男の子がメイドに説教をする。メイドは何が何だか分かっていない様子だが。
――受け入れたほうが、いいのだろうか。
「私ごときが、そのように言われる資格はございません」
「だから、その資格をお嬢様直々にくれたんじゃないのか? お前に褒められる資格をやるって」
――そうなのだろうか。そうなのだとしたら、どうすれば。
「ほめたのに、喜んでくれないなんて、かわいそうだぞ」
男の子は本気の顔で訴える。そういう立場、というのは本当なのだろう。不思議とそういった重みを言葉尻から感じる。
「分かり、ました――努力します」
「まあ、今はそれでいっか」
「でも、どうしてそんなこと急に?」
「いや、見てられなかっただけだよ――子供なんだから、もっと自分勝手に、自分に素直に生きたらいいのになって」
子供らしく。
そう言う男の子の表情が、今までで一番大人びて見えたことをメイドしか知らない。その表情に心奪われたのも――メイドしか知らない。
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