二十章 角権現の宝(3)

「お里ばあ。宮司殿。お教えかたじけない。では、私はこれから鏡権現に行ってきます」


 和真先生は紙と筆を懐にしまうと、年寄りたちに頭をさげました。

 すると、勢いよく花野子ちゃんが立ちあがりました。


「先生。俺も行きます!」


「それはダメだ。御家来衆に見つかったらどうする」


 先生はあわてて押しとどめましたが、花野子ちゃんは手をはなしませんでした。


「いやです。連れていってください。お願いします!」


「ばかを言うな。花野子はだめだ!」


 老宮司も血相を変えて孫をひきとめました。


「なんでだよ。じいちゃん」


 花野子ちゃんは祖父をきつい目でにらみました。


「角権現は素羽鷹を守るお宮だろ? ここで跡取りが逃げてどうすんだよ!」


 その剣幕に老宮司は思わずたじろぎました。


「だっておまえ、あそこには桔梗の井戸があるんだぞ」


「井戸がどうしたんだよ!」


 そのとき、拝殿の方から声高に人を呼ぶ声が聞こえました。


「はあい。ただいま参ります」


 冬青さんが皆に目配せをして腰を上げました。

 拝殿の前には数人の御家来衆が並んでいました。みんなの表情の消えた石の目に、冬青さんは背筋が凍りました。


「ここに虎千代は来たか」


 尋ねたのは与三郎でした。日頃の陽気な笑顔はみじんもありませんでした。


「昨日は来ましたが、今日は見かけておりません」


 冬青さんは面を伏せたまま応えました。


「嘘ではあるまいな。隠すと火を放つぞ」


「まさか。嘘など申しません」


 そこへ石蕗宮司が進みでました。


「虎千代ならば、さきほど城へ戻りましたぞ」


 御家来衆の石の目が老宮司に集まりました。


「うそだ。ここを出たなら、鳥居の石段で我々とすれちがうはず」


 与三郎の腕が腰の刀に掛かりました。しかし宮司は顔色ひとつ変えませんでした。


「嘘ではない。裏道から戻っていった」


「角権現の裏道など聞いたこともないぞ」


「いまから特別に教えてやる。ついてこい」


 言い捨てるなり老宮司は拝殿の角をまわったかと思うと、草深い森へ駆けこむなり一本のクヌギの木にスルスルと登りました。そこから梢から梢へ飛ぶように渡る姿はまるで猿のようでした。御家来衆は慌てて後を追ってゆきました。



 本殿で息をひそめていた和真先生は、花野子ちゃんに袖を引っ張られました。


「先生。行きましょう。いまのうちです!」


「ええっ? どこに?」


「来ればわかるから。急いで!」


「しかし宮司殿が」


「うちのじいちゃんなら、放っといて平気です」


「花野子の言う通りだわ。あれは素羽鷹のサルより身が軽い」


 お里ばあが、けたけたと笑いました。


「さっさと行ってこい。年寄りとこんなとこに隠れておっても、つまらんっぺよ」


 先生を連れて花野子ちゃんが向かったのは社殿の裏山でした。

 和真先生は高い崖を見上げて、かすかにうなりました。分福と呼ばれた頃から木登りは苦手だったのです。身の軽い若様よりもだいぶ苦労して崖を登った先生は、必死に抜け穴をくぐり抜けましたが、つるはし岬を目にすると、その場にうずくまりました。


「すまん。この先は私には到底無理だ」


「先生、安心してください。あっちには行かないから」


 花野子ちゃんは足下の岩の端まで歩いてゆくと、ひらりと身を躍らせました。


「花野子!」」


 先生は四つん這いになって花野子ちゃんが消えた場所に駆けよりました。すると岩が垂直に裂けた狭い亀裂を花野子ちゃんが手と足を突っ張って、いとも軽やかにおりてゆくところでした。


「先生は、そこんとこに綱が下がってるから、それにつかまっておりてください」


 花野子ちゃんが顔を仰向かせて指示を飛ばしました。確かに岩に打ち込まれた金輪から太い綱が下がっています。握ってみると露に濡れて今にも滑りそうでした。


「先生。人目につくから、早くおりて!」


 下から花野子ちゃんが急かします。


「よしきた」


 和真先生は骨が浮くほど力をこめて綱を握ると、つま先を伸ばしました。

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