二十一章 目覚めた龍(1)

 奇数の亀の甲羅から甲羅へと渡って行った若様は、いつしか深い霧を抜けて静かな波打ち際につきました。空には大きな十五夜の月がのぼり、白砂の浜には甘やかな花の香りがします。若様は胸に抱いてきた虎千代を砂浜におろしました。


「亀さんたち、ありがとう」


 若様と虎千代は、月明かりの波に揺られている亀たちに御礼を言いました。


「帰るときに、また乗せてね」


 亀たちはなにも答えませんでしたが、浮きつ沈みつしながら、可愛らしい顔を出しては引っ込めました。


 濡れたような満月の光が、この島のまるい輪郭を浮かび上がらせていました。龍宮島は金木犀キンモクセイの森でした。島を包む天蓋てんがいのように、こんもり茂った梢には細やかに寄り添う花が黄金色の花弁をそらせています。。足元を埋めるほどに散り敷いた小花は、手ですくうと切ないほどに甘い香りで溢れました。


「もう冬が近いのに、こんなに金木犀が咲いているなんて不思議ですね」


 虎千代がつぶやきました。


 木々の間を縫って細い流れが森の奧から渚へと密かな水音とともに注ぎ込んでいました。若様と虎千代はその川筋を遡って夜の森へと入ってゆきました。やがて二人は木立に囲まれた丘の上で、月明かりを浴びた泉を見つけました。ここが川の源でした。白い月が碧色みどりいろの水面に姿を映しています。瑠璃色るりいろの小さな実を鈴なりにつけた、リュウノヒゲと呼ばれる青草がこんこんと湧きいでる泉を縁取っていました。


「おん、おん。わかさま、ここに何かありますよ」


 虎千代が見つけたのは、角権現の奧の院にあったような小さな石のほこらでした。若様と虎千代はいっしょに祠の中をのぞきこみました。


「これはいったいなんだろう」


 若様がつぶやくと、虎千代も不思議そうに匂いを嗅ぎました。黒い石の三方さんぽうの上に、小さな素焼きの珠が祀られていました。赤土の色をした珠は、若様の手のひらに収まるほど小さなものでした。若様がそっと手に取ると。クルルと鳩が喉を鳴らすようなこもった音を立てました。


「これは鈴だね。ほら、切り込みがあるよ」


 若様が言いました。


「もしや、これを鳴らせば龍神様が出てくるのでは?」


 虎千代が勢いこんで言いました。


「そうなのかな」


 若様も胸がどきどきしました。


「いくよ。虎千代」


 鈴を握って振ってみました。でも小さなこもった音がするばかりでした。


「鳴らないね」


「鳴りませんね」


 若様と虎千代はがっかりして首をひねりました。


「そう言えば、鈴って普通はぶら下げてあるよね」


「角権現でもぶら下がってましたね」


「これ、どうやって、ぶら下げるんだろう?」


 若様は丸い鈴を手のひらの上で転がしてみました。すると、鈴の切れ込みの反対側に、小さなくぼみがあって、穴があいていることに気がつきました。


「わかったぞ。ここにを通せばいいんだ」

 

 さっそく家老の縄を取りだそうとして、行李を開けました。


「あれ、無いぞ。しまった。井戸のシダにからまったままだ」


「忘れて来ちゃいましたね」


「しまった。刀も置いて来ちゃった」


 家老に怒られる心配は後にまわして、わらじの紐を通してみようとしましたが太くてダメでした。龍のヒゲの葉をちぎって入れようとしましたが、うまくいきません。そのとき、虎千代がはっと後足で立ちました。


「わかさま! 勾玉のひもは?」


「あ、そうか!」


 若様は印籠を開けて母上の巾着袋を出しました。勾玉の古いひもをはずして鈴の穴に通してみると、うまく通ったばかりか、昔の艶を取り戻したようにきらきらと輝きました。若様はひもの端をつまんで、そっと鈴を振ってみました。


 ――ころろんろん ころろんろん。


 やさしく澄んだ音色が水面を転がるように渡ってゆくと碧の泉にさざ波が立ちました。


「わかさま!」


「虎ちゃん!」


 水面がくるくると渦巻いたと思うとぐっと持ち上がり水柱が立ちました。水柱は高く高く空へと伸びて月まで届くかと思えました。月明かりに白く輝く水柱は天守閣から見えた、あの光の柱にそっくりでした。

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