十一章 鬼将軍(5)

「この剣をだと?」


 ――この剣こそ天地も切り裂く龍の剣。しかして、こちらから先に打って出るのだ」


「なんと。こちらから先にだと?」


 ――兵法を知らぬおぬしではあるまい。


 たしかに敵が多勢を頼んで攻め寄せるつもりならば防備は手薄に違いありません。先手を取って攻めかかれば勝機はあります。幼い頃から抜きん出て知略に優れ武勇に秀でたお殿様は御初代様の再来とうたわれておりました。自分が素羽鷹の一族郎党を率いれば、印波六国をたやすく手に入れる自信はあります。しかし、そんな戦は許されないのです。素羽鷹には不戦の誓いがあるのですから。

『以和為貴。不可戦。(和を以て貴しとなす。戦うべからず)』

 これが素羽鷹家の家訓でした。若くして城主となったお殿様も代々の城主にならってきました。家訓に従って印波六国と絆を深め、遠い他国とも交情を交わし味方を増やしてきたのです。父祖の地をこれまで通り穏やかに守りぬき、先祖の墓に葬られる人生もやぶさかではありませんでした。しかし、幼い頃から兵法の書を読み漁り、弓馬の道に励んできたお殿様は、ときにさいなまれるような渇きを覚えてきたのも事実でした。


(戦ってみたい。思いきり知略を巡らし、馬を駆って刀を振るって、敵を打ち負かしてみたい)


 しかしそれは決して見てはならない夢だったのです。


「だめだ! 素羽鷹は攻め戦はしないのだ!」


 お殿様は頭をきむしって叫びました。


 ――考えてみよ。敵はもはや勝ち戦と決めてかかり、守ることなど考えてもおらぬぞ。


 誘いかけるように、影が低くささやきました。

 確かに五対一で不意打ちを仕掛けるつもりならば、さぞや油断していることでしょう。おそらく今こそ隙があります。まずは一国を急襲して落とし、同時に他の国が寝返ったと噂を流せば、敵は浮き足立つに違いありません。そこをさらに狙えば――。


「ならぬ! 俺は戦はしない!」


 お殿様はまぶたを閉じて頭を振り立て、息を荒げました。


 ――腰抜けが。それだから貴様はこんな泥沼で死んでゆくのだ。


 影がせせら笑いました。


「泥沼だと」


 俺の人生は泥沼か。底無し沼に突き落とされたように呼吸が苦しくなりました。

 すると鏡の影がこれまでとは違う優しげな声音で言いました。


 ――智恵も武芸もおぬしは誰よりも抜きん出ておる。そのうえ家来衆は一騎当千のつわものばかりだ。牧場には駿馬が蹄を轟かせ、剣は研がれ矢は磨かれ、城の蔵は蓄えで溢れておる。おぬしなら、いや、おぬしこそ天下が取れる。


「天下を」


 そのとき、凍てつくような風が吹き込んで、火皿の火を消しました。暗闇に、龍の剣だけがぼんやりと浮かびあがりました。


 ――われの血を継ぐ者よ。地の果てまで敵を蹴散らせ。奪え。殺せ。火を放て。


 影の声は石室にこもるこだまのように陰々と響き、お殿様をたじろがせました。


「嘘だ。俺の御先祖様が、そんなことを言うものか」


 ――目を逸らすな。素羽鷹そばたか龍恩たつおき。しかと、吾の姿を見定めるがよい。


「見てやろうとも」


 お殿様は棚板に突き立てた剣を引き抜くと、逆手に握って刃を覗きこみました。

 すると刃の水紋が素羽鷹沼のように波立ちました。目を凝らすうちに水面はしずかにいで、影法師の輪郭がくっきりと定まります。お殿様はあっと息を飲みました。刃に映っていたのはいにしえの甲冑かっちゅうを身にまとった武人でした。そして、そのぎょろりと眼を血走らせた顔は、お殿様にそっくりだったのです。


 ――素羽鷹の殿よ。いや、吾の可愛いすえよ。


 剣の影がお殿様そっくりの顔でニタリとわらいました。


「誰だ。お前は!」


 ――あいにく首も名も仇に奪われた。


 お殿様はあまりの驚きに天地が揺れ動いたかのように感じました。


「……では、まさか……鬼将軍か?」


 ――吾の血を引く者までがその名で呼ぶのか。悲しいのう。


「俺が鬼将軍の裔だと?」


 ――そうとも。お前は吾の生まれ変わりじゃ。これほど似ているのが、その証拠。


「違う! 俺は鬼の血など知らぬ!」


 ――吾の目を見よ。おぬしの運命さだめから目を逸らすな。


 あらがうこともできず、お殿様は鬼将軍の目を見つめました。すると、あれほど生き生きと心の内を映していたお殿様の目が古い石のようになりました。

 石の目をした素羽鷹龍恩は喉をそらせ、乾いた砂を吹き散らすような声で嗤いました。

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