十一章 鬼将軍(4)

「何者だ!」


 剣を放り出したい恐怖に堪えて、お殿様は尋ねました。

 するとやいばの影は低くわらいました。

 

 ――腰抜けめ。腕が震えているぞ。


 たったいま影がゆらりと揺れて、こちらに近づいたように見えました。

 背筋に冷たい水を浴びたような心地がしましたが、そこは勇猛果敢なお殿様のこと。歯を食いしばって気合いを入れました。


「妖怪めが! 退治してくれる!」


 ――天下の噂を言うたまでよ。素羽鷹の殿も家来も、うち揃って腰抜けだそうな。


「黙れ、黙れ。無礼者め!」


 かっと頭に血がのぼったお殿様は剣を神棚の棚板に突き立てました。

 すると逆さに立った剣から、影がまた嘲笑あざわらいました。


 ――戦さを知らぬ、血を見たこともない兵者つわものにどれほどの働きが出来ようぞ。とは天下の噂。


「ほざくな! 我が素羽鷹の兵者は、一騎当千の猛者揃いだ!」


 ――戦となれば役立たずよ。とは天下の噂。


「黙れ! いざとなれば敵など皆殺しじゃ!」


 お殿様は怒りに我を忘れて大声でののしりました。


 ――ほほう。それは重畳ちょうじょう。して、近々、その敵がまとめて攻め寄せてくるぞ。


 お殿様は虚を突かれて息をのみました。


「まさかそんなはずはない!」


 素羽鷹は周囲を五つの国に囲まれています。東に東條とうじょう。西に相馬そうま国分こくぶ。北に大須賀おおすが。南に武石たけいし。 素羽鷹を含めた印波六国いんばろっこくは、歴代の御先祖様の努力の甲斐あって、固く不戦の契りを交わしあう仲でした。


 ――笑わせてくれる。不戦の契りなど信じておるのは、おぬしだけじゃ。


「なにを言うか!」


 ――奴らは手を組み素羽鷹を裏切ったのだ。素羽鷹の地を山分けにする目論見もくろみよ。


「ばかな。そんなことがあろうはずがない」


 影がまた嗤いました。


 ――ほとほとあきれたものよ。ろくな物見をおかぬと見える。


 物見役ものみやくというのは他国の動向を探る役目のことです。素羽鷹も各国に物見役を送ってありましたが、他国が攻めかかる気配など一切聞いていませんでした。


「でたらめを言うな!」


 ――でたらめで無かったら、どうする。


「どれほどの敵が来ようと、打ち伏せてくれるわ!」


 お殿様が目をむいてにらみつけても、影はいっこうに応えた風ではありません。


 ――素羽鷹がいかに強かろうと、五国から一度に攻められれば、ひとたまりもあるまい。


「うぬ」


 お殿様は奧歯をぎりりと食いしばりました。たしかに一度に攻められればどうなるか。それは苦しい戦いになるに違いありません。


 ――おぬしの子供は八つ裂きにされような。家臣どもも皆、打ち首になろうぞ。


「そんなことは、俺が許さん!」


 怒りに体が震えました。お殿様にとって七法師や御家来衆の命より大切なものはありませんでした。


 ――許さぬとな。では、どうする。打つ手はあるか。


「それは」


 ――さて、どうする。


 お殿様の額からたらたらと汗が流れました。七法師や家臣たちの身が危ないとしたら。考えただけでお殿様はわなわなと震えました。どうする。どうする。目の前が暗くなったとき、影が言いました。


 ――素羽鷹の殿よ。この剣を使うのだ。

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