十一章 鬼将軍(2)

「そう言えば、倫太郎さんは、僕の父上のことを知ってるの?」


「ええ。お見かけしたことは何度かありますよ」


「ちがうよ。ほら、素羽鷹のお殿様に御世話になってるって言ってたでしょ」


「おお、そうですとも。若様のお父上にも御先祖様にもお世話になってますよ」


「なにそれ?」


 若様が首を傾げると、倫太郎は、はははと笑いました。


「昔っから、素羽鷹のお殿様は絶対にいくさをなさらないでしょう?」


「うん。うちの家訓だからね」


 素羽鷹家の家訓とは「もつとうとしとなせ」という言葉でした。が起きても決して争わず、なごやかに話し合いなさいというのが御先祖様からの言いつけです。それも身内同士だけでなく他国とも全力で仲良くし、攻めいくさは決してするなというものでした。


「リスにゃあ、こんなにありがたいことはねえんでさあ」


 倫太郎はにっこりと笑いました。


「どうして?」


「そりゃあ、山火事にならないからですよ」


「戦と山火事って、なんか関係あるの?」


「大有りのコンコンチキでさあ。若様は御存知ないでしょう。昔の戦と云やあ、火ですよ。ボウボウ燃える火! 相手の領地に片っ端から火をつけるんだ。勝っても負けても焼け野原ですさ」


「なにそれ。侍が、槍とか刀で戦うんじゃないの?」


「そいつは今どきの新しい流行りですがね。お侍が殺し合うだけで済むようになったかと思えば、最後はやっぱり火をつけるんだから冗談じゃねえや」


「そうなのか」


 若様は青ざめました。


「翼が無い連中はみんな焼け死ぬんだ。卵も赤ん坊も丸焼けさ。ひでえもんだ」


 倫太郎が顔をしかめたので、若様はひどくつらい気分になりました。


「知らなかったよ。そしたら僕の御先祖様たちも、みんなにひどいことをしたんだね?」


「ところがどっこい、素羽鷹のお殿様は最初から違ったんですよ」


 倫太郎はにやりと笑いました。


「倫太郎さん。うちの御初代様を知ってるの?」


 若様は身を乗り出しました。実は素羽鷹の最初のお殿様は謎の人でした。名君と伝えられ「和を以て貴しとなせ」という家訓だけは遺っていますが、墓の在処はおろか、本名さえも伝わっていないのです。


「さすがに、お目にかかったことはねえが――」


 倫太郎は小さな両手でヒゲをクシャクシャとかきました。


「聞くところによるとね。素羽鷹の最初のお殿様は、隣の国といざこざが始まるてえと、たった一人で先方に乗り込んでって、膝詰ひざづめ談判に持ち込んだそうですよ」


「ええっ! そんなことして大丈夫なの?」


 殺気立った敵の陣地に一人で乗り込んだりしたら、殺されてしまうかも知れません。


「それがね。誰一人、お殿様に手が出せねえってんですよ」


「どうしてだろう?」


「度胸の良さに飲まれちまうんでしょうね。なにしろ背中に大鍋を背負しょって、素羽鷹名物の鴨とレンコンとどぶろくをかついでいくんだってからね」


「それでどうなるの?」


「まずは大鍋を火に掛けて鴨鍋を作り始める。てえと、たまげて見ている相手にどぶろくをすすめる。自分も飲む。つらつき合わせて鍋をつついて酒を酌み交わした日にゃあ、ケンカにゃならないもんだそうでね」


「鴨鍋で?」


「そう。鴨鍋で。それでね、じっくりと相手の言い分を聞くそうですよ。そうするってえと相手も、こっちの言い分を聞く気になる。気心が知れた仲になれば、いさかいもおさまるってもんだってね」


「そうか。仲良しになっちゃうのか」


 若様の胸がわくわくと弾みました。


「だけどね。よほどの知恵と度胸がなけりゃ出来ねえよ。たいしたもんですよ」


 倫太郎は自分のことのように得意気です。


「いきなり敵が攻めてきたことは無かったのかな」


「ありましたよ。そのときばかりは危なかったそうですよ」


「どうやって助かったの?」


「素羽鷹は昔から馬をいっぱい飼ってるでしょう」


「うん。うちにも馬がいる」


「御初代様は素羽鷹中の馬や牛にありったけの旗指物はたさしものをくくりつけて、足りない分には赤ん坊のおむつなんぞ、ぶら下げたって。それで御家来衆にかねやら鍋やらをカンカン叩かせて、敵に向かって追い立てたんですってさ」


「ええっ? なんで?」


「不意打ちをかけたつもりの敵どもは驚いたのなんの。大軍勢が待ち伏せてたと思い込んで、慌てふためいて逃げだしたそうですよ。そこに鴨鍋で仲良くなった国がこぞって駆けつけてくれたんで、力を合わせて追っ払ったって話ですよ」


 若様は大喜びでぴょんぴょん跳ねました。


「すごいや。僕も戦なんかしない。それで仲良しをいっぱいいっぱい作るんだ」


 御初代様の話は若様の小さな胸を熱くしました。


「ありがとうございます。わっしの子も孫もひ孫も、決して御恩は忘れません」


 リスがまた深々とお辞儀をしたので、若様は真っ赤になりました。


「でもさ、なんで御初代様を知ってるの? 倫太郎さんて、そんなに長生きなの?」


 倫太郎が吹き出しました。


「わっしが見たわけじゃないですよ。昔話ってやつですさ」


「なんだ。昔話か。僕もさっき素羽鷹の龍の昔話を聞いたよ」


 倫太郎はうなずきました。


「若様、昔話はね、うそじゃありませんよ。これだけは忘れずにいたい話ってのは、子どもに聞かせたくなるもんでね。そんな話が子から孫へと語り継がれるってわけさ。人間だって素羽鷹の龍からもらった恩は忘れないでしょう?」


「そうか。昔話は恩返しなんだね」


 若様は一人うなずきました。


「昔話は恩返しか、さずが若様だ。いいことを言うね」


 倫太郎が笑いました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る