十一章 鬼将軍(1)

「これで龍の三宝を探す手間がひとつ省けて、良かったではないか」


 お殿様がニヤリと笑いました。


「しかし、取りあえずは、これを人目につかぬように隠さねばなりませぬ」


 思案顔の家老は扇子で額を叩きます。


「なぜ隠すのだ。昨日まで誰でも龍尾権現に行けば見られたものを」


 お殿様が無邪気な笑顔で訊きました。


「まさか誰も龍の三宝とは誰も思っておりませんでしたからな。正真正銘の龍の剣と知れ渡れば、物見高い者が押し寄せまするぞ」


「それもそうか。では、うちの天守閣の神棚にお供え申しておくのはどうだ」


「よき思案かと存じまする。そう致しましょう」


 なんだか楽しそうなお殿様は腕組みをして天井を見上げ、目玉をぐるぐる回しました。


「石になった山伏とやらの検分には、誰を行かせたものかな」


「皆、嫌がるでしょうなあ」


 お殿様が扇子でひょいと自分の鼻を差しました。


「俺、行こうかな?」


「それだけは、なりませぬ!」


 二人のやりとりをクスクス笑って聞いていた若様を、和真先生が指でつつきました。


「若様。我らはそろそろ退散いたしましょう」


「僕、父上から話があるって呼ばれたのに」


「この分では、いつになるか分かりませんよ」


 ふくれっ面の若様の背中を押して送りだすと、和真先生も四阿へ戻りました。




 若様が一の丸舘に戻って居間の障子を開けると、いつも若様の坐る敷物の上で、虎千代が仰向けになって眠っていました。おなかを丸くふくらませ、前足の先を折り、実に心地よさそうな寝顔です。若様がヒゲを引っぱっても起きる気配がありません。そこに御女中のお晴が甘い湯気の立つお盆を運んできました。お晴は若様のお世話をする係で、もうすぐ一五になる娘です。


「若さま。お帰りなさいませ。おやつをどうぞ」


 茶色い蒸しまんじゅうが小皿にのせてあります。若様は目を輝かせました。


「うわあ、美味しそう。また、お晴が作ってくれたの?」


「この前、若さまが褒めてくださいましたから」


 お晴は鈴を張ったような瞳を恥ずかしげにまたたかせました。


「やったあ。いただきます」


 温かいおまんじゅうを手にとると、若様は胸一杯に甘い匂いを吸い込みました。ぱくりとかぶりつくと、やわらかな皮のほのかな甘みがふわりと口に溶けました。それから皮にくるまれた小豆の甘さが舌先に熱く広がります。小豆は荒くつぶした粒あんで、粒の舌触りの愛しさといったら飲み込むのが惜しいようでした。もぐもぐと味わっていた若様は、口の中に残った甘味を抱きしめるように、まぶたをきゅうっと閉じて、はあとため息をつきました。


「ああ、美味しかった! お替わりある?」


「いけませんよ。晩御飯の前ですよ」


 そう言いながらも、お晴は嬉しそうに頬を染めました。


「ちょうだい。あとひとつ。ねえねえ、お願い」


 とび跳ねて身をよじる若様に、お晴は声を上げて笑いました。


「そしたら、小さいのをもうひとつだけですよ」


「わあい」


 いそいそと台所に戻っていくお晴の後ろ姿に、若様はふと母上のことを思いました。僕の母上も、あんなおまんじゅうが作れるのかなあ。僕は母上によく似ているらしいけど、どんなお顔なのかなあ。僕が三つになる前に、白鷺の舟で生まれ故郷のお月様に里帰りされたと聞いたけど早く戻ってきて欲しいなあ。一緒におまんじゅうを食べたいなあ。


「おまちどおさま」


「ありがとう! いただきます!」


 お替わりのおまんじゅうが来た途端、母上の幽かな面影はどこかに消えてしまいました。若様が幸せな一口目を頬張ると、お晴が思い出したように言いました。


「そういえば、さっき若様の手拭いを洗ったら、可愛い赤い石が出てきましたよ」


「う」


 若様はむせそうになって胸をたたきました。聞き耳ドングリのことを今まですっかり忘れていたのです。


「あら、大丈夫ですか。ほら、お茶ですよ。なくさないように若様の印籠に入れておきましたからね」


「うん。ありがとう」


 若様がいつも腰にぶら下げている塗りの剥げた印籠は父上のお古でした。中には母上が大事にしていたという翡翠の勾玉が入っていました。勾玉には穴が開いていて古い縒り紐が結んでありました。

 もうすぐ晩御飯だからドングリを返しに行くのは明日にしよう、と考えながら二口目をかじっていると、縁側の先の梅の枝をするする伝わる茶色い影を見つけました。


「倫太郎さん!」


 慌てて印籠から聞き耳ドングリを出して耳に入れると、若様は裸足で庭に降りました。


「若様。こちらにお住まいでしたか」


 葉の落ちた枝垂れ梅の枝先から倫太郎が笑いました。


「ごめんね。僕、聞き耳ドングリを持って来ちゃった。お返しします」


 若様がドングリを差し出すと、リスは目を丸くして若様を見つめました。そして若様の指からドングリを受け取ったかと思うと、袖から肩へと飛びうつって若様の耳にスポリと戻しました。


「あれ?」


 若様が驚いてまばたきすると、リスはおかしそうに笑いだしました。


「そいつは若様に差しあげたんですよ」


 若様は目を見開いて顔を左右に振りました。


「だめだよ。こんな大事な宝物を貰うわけにはいかないよ」


 倫太郎は、はははと笑いました。


「まいったね。若様は。ほんとうに欲がねえんだな」


「だって」


「リスが後生大事にしたところで、芽が出てたまげるのが関の山でさあ。あのね、若様。宝ってえのは、いつか誰かに譲るためにあるんですよ」


 倫太郎の言葉に、若様は胸がいっぱいになりました。


「倫太郎さん、ありがとう。大事にします」


 深く頭を下げる若様に、倫太郎は背中を向けて毛づくろいをはじめました。


「やめてくださいよ。堅っ苦しいのは苦手だぜ」


 若様と倫太郎の笑い声が重なりました。

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