十章 龍の剣(3)

 さすがの家老が、とっさにものが言えませんでした。

 若様の開いた口を先生の片手が押さえ、もう一方の手が自分の口を押さえています。


「それはまことか」


 お殿様の大きな目玉がこぼれ落ちそうになっています。


「どこぞの旅土産ではあるまいな」


 家老が疑わしそうに訊きました。


「なにを言うか!」


 老宮司は手にしたしゃくで、袴の膝をぱんぱん叩きました。


「正真正銘の本物じゃ。これぞ我が龍尾権現の宝。素羽鷹の龍の尾!」


「分かった。落ち着け。坐ってくれ、宮司殿。疑って悪かったから」


 慌ててお殿様がなだめました。


「その子細しさいをうかがいたいものだ」


 袴を払って家老がまず坐り直しました。


「心得ました」


 片波見宮司は鼻息も荒く烏帽子をかぶり直すと、早口に語りはじめました。


「今を去ること千年の昔。龍が雷に引き裂かれたおり、その亡骸なきがらが素羽鷹沼一帯に飛び散った顛末てんまつは御承知の通り。そのとき千切れた尾の先を、我が片波見一族の先祖が見つけ申し、ねんごろに荼毘だびにふしたところ、灰の中から現れたのが、この剣じゃ」


「なんと。龍の尾から剣が出たと申すか」


 お殿様は片膝立ちになって身を乗り出しました。若様も襖の陰で立ち上がりかけて、先生に押さえつけられました。片波見宮司はエヘンと咳払いして先を続けます。


「龍の尾の落ちていた跡に建てたやしろが龍尾権現にござる。その後ながく、我が一族はこの剣を御神体としておまつりして参りました」


「待て。わしは違う話を聞いておるぞ」


 家老が口を挟みました。


「これなる剣は妙見菩薩様の持物ではなかったのか」


 老宮司は不敵な笑みを浮かべました。


「そのことよ。これより我が一族のみの知る真実を申し上げよう。エヘン、エヘン」


 若様と先生は襖に耳を近寄せました。


「龍の昔より四百年の後、すなわち今を去ることおよそ六百年の昔でござる。天子様に謀反の兵を挙げた鬼将軍がその郎党を引き連れて、この地に陣を構えたのでござる」


「うわあ! 鬼将軍、ここに来たのか?」


 興奮したお殿様は立ち上がろうとして、家老に扇子で腿を打たれました。若様といえば、じたばたして和真先生に羽交い締めにされています。


「鬼将軍は龍尾権現の縁起を知るや、龍の剣を献上せよと命じたのです。ただその替わりに妙見菩薩様の像を寄進しようと。ときに鬼将軍といえば天子様でさえ手をこまねいておられるのですから、逆らうことなど考えられませぬ。しかしながら、ときの当主、六代目片波見酉之介は、ならず者の大将ごときに世に二つと無き宝をくれてやってなるものかと、一計を案じました」


 お殿様と家老は、わくわくと膝を乗り出しました。


「即ち、鬼将軍から寄進された妙見菩薩様の剣と、本物の龍の剣をすり替えたのでありまする」


 お殿様と家老は、手を打って快哉を叫びました。


「たいした策士じゃ! のう。家老」


「いかにも。あっぱれな切れ者でござる」


 すっかり機嫌を良くした宮司は、うはうはと笑いました。


「鬼将軍は見事にだまされたあげく、天子様が差し向けた大軍に討ち取られました。しかし、いつまたどんな不心得者が龍の剣を狙ってくるか知れませぬ。そこで我が片波見一族は、妙見菩薩様の剣が龍の剣であることを秘中の秘として参ったのじゃ」


「なるほど。見上げた一族じゃ。頼もしいのう、家老」


「いかにも。お見それ致した。片波見殿。これまで通りに御一族でおまつりくだされ」


 すると片波見宮司がまたもヒゲを振り立てました。


「冗談じゃない! お二方とも、わしのはなしを聞いておらなんだか!」


「いや。なんで?」


 お殿様は思わず逃げ腰になりました。


「己をたばかった者の子孫が未だに龍の剣を護っておると知れたら、甦った鬼将軍にどんな目に遭わされるか分からんではないか!」


「待ちなされ。いまにも鬼将軍が甦るようなはなしだが」


 相手をなだめようとする家老に、片波見宮司は血相を変えて叫びました。


「その通り! 龍の三宝が空に現れたる朝、こともあろうに盗人は石になったのですぞ。鬼将軍が甦って、龍の三宝を探しはじめているに違いありません!」


「いや、待て、待て。話が早すぎる」


 あわててお殿様が言いました。


「落ち着きなされ。そうと決まったわけではあるまい」


 家老も言いました。


「いやいやいや。わしは怖ろしくて生きた心地が致しませぬ。龍の剣は、こちらでお預かり願います! では、これにて御免!」


 返事も待たず、十六代目片波見酉之介は素速く席を立ったと思えば、あっという間に衣擦きぬずれの音が廊下を逃げていきます。お殿様と家老はため息をつきました。


「自分さえ良ければいいのか。神に仕える神職のくせに」

 

 家老がいまいましげにつぶやきました。


「よい、よい。面白いはなしが聞けたではないか」


 お殿様が苦笑いしました。

 こうして龍の三宝の一つ。龍の剣が素羽鷹城にやってきたのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る