十章 龍の剣(2)

 若様と家老が二の丸屋敷に戻ると、一の間からお殿様と誰かの話す声が聞こえました。


「しかし。預かれと言われてもなあ」


 珍しく弱々しげに口ごもっているのはお殿様です。


「そこをお願いすると、言っておるのです!」


 お年寄りの声が声高にお殿様の言葉をさえぎりました。


「殿。大椎でござる。ただいま戻りました」


 襖の前に膝をついて家老が声を掛けました。


「おう。家老! 入れ! 待ってたぞ!」


 お殿様の声がいきなり元気になりました。


「ごめん。若様をお連れしました」


 家老のお尻にくっついて若様も入ってゆくと、お殿様が顔をほころばせました。部屋の隅の文机に向かっているのは書記係の森田岩之助で、お殿様の両脇に控えているのは御小姓の杉本三十郎と松藏末広丸でした。


「これは七法師様。御家老様。お久しぶりでございます。龍尾たつお権現ごんげんの宮司、片波見かたばみ酉之助とりのすけでございます」


 着古した狩衣に胴服を羽織ったお年寄りがかしこまってお辞儀をしました。烏帽子えぼしを乗せた髪はすっかり銀色で、ふわふわした白いひげを垂らしています。まるで玉手箱を開けた浦島太郎のようだと若様は思いました。


「若様。殿はお忙しいようじゃ」


 様子を察した家老が若様に言いました。それで若様が「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」と御挨拶をして次の間に下がると、ふすまの陰に和真先生がひそんでいました。


「先生。何してるの。こんなとこで」


 和真先生は唇に人差し指をあてました。


「宮司殿のおはなしを拙者にも聞いておけと、お殿様の御指示でござる」


「僕も聞く!」


 若様はさっさと先生の隣に坐り込みました。


「こら。若様」


 先生に叱られても、若様は笑って人差し指を唇にあてました。


「やれやれ。それで若様、虎千代は?」


 苦笑いした先生は、耳元でひそひそと尋ねました。


「いま台所でおやつを貰ってる」


 若様はささやき返しました。虎千代は御女中たちの人気者です。みんなに撫でられたり抱っこされたりするうちに、いつもご機嫌で眠ってしまうのです。

 襖の向こうでは、お殿様から宝剣を手渡された家老が目をむいていました。


「この見事なつるぎはいったいどこから?」


「龍尾権現の妙見菩薩様の剣だそうだ」


 お殿様の答えに、家老はもう一度目をむきました。


「なんと。昨夜、盗まれたと聞いておりましたが」


「先程戻ってきたのです。お殿様のご家来衆が取り戻してくださいました」


 片波見宮司がしかめつらしくお辞儀をしました。


「それは良かった。して、盗人はどうなった」


「それがな」


 お殿様が言いかけると、片波見宮司が甲高い声でさえぎりました。


「お殿様、おそれながら、お人払いをお願い致します!」


 家老がうんざりした顔で目くばせをすると、若い家来たちは嬉しげに廊下に下がり、そそくさと襖を閉じました。その足音がとおざかるのを待って、宮司は口を開きました。


「盗人には、鬼将軍の呪いが下りました!」


 若様は和真先生の袖にしがみつきました。


「呪いが下った、とは?」


 家老の片眉が上がりました。


「石になっておったそうです!」


 宮司の大声は舘中に響きわたりました。


「これ。人払いの意味がなかろう。お静かに!」


 宮司をなだめながら、お殿様が家老に耳打ちしました。


「蔵六と与三郎の報告ではな、首無塚のふもとに砕けた石仏が落ちていたそうだ。天狗のなりをしていたらしい」


「天狗ではありません。山伏です。わしが朝飯をさんざん食わせてやった山伏です!」


 宮司が真っ赤な顔で口を挟みました。


「宮司殿。すこし落ち着きなされ」


 家老が眉をひそめましたが、宮司は白いヒゲを振って、まくし立てます。


「石の体はバラバラに砕け、首が無かったのです!」


 その目で見たかのように、体をわなわなと震わせました。


「首無塚だけには行くなと、わしはあの男を止めたのです。怖ろしい目に遭うぞと。それなのに、あやつは行ったのじゃ。盗人めが、きっと墓荒らしをもくろんだに違いない!」


「首無塚を墓荒らしだって? そいつ、並外れた度胸があるな」


 目を輝かせて膝を浮かせたお殿様は、家老ににらまれて居住まいを正しました。


「この剣が何よりの証拠! 石になった盗人の手が握っておったのですぞ!」


 さすがに家老も顔色を変えました。


「この剣が、盗まれた御神体というのは間違いないのか」


「間違いございません!」


 激しく頷いたので宮司の烏帽子がずり落ちました。


「そうか、なるほど」


 家老は目を閉じて、しばし考え込みました。その顔を宮司が鼻息も荒くにらんでいます。お殿様がハラハラと見守っていると、ようやく家老の眉毛が上がりました。


「では、わしらで、その石像を詳しく調べるとしよう」


「ありがたい」


 老宮司が満足げな顔を見せたので、お殿様はほっとしました。しかし。


「では、これなる宝剣は、そこもとにお返し致す」


 と続けた家老の言葉に、宮司はバッタのように跳ね上がりました。


「とんでもない!」


 お殿様がやれやれと肩を落としました。


「あのな、さっき俺もそう申し出たのだが。宮司殿がどうでも城で預かれと申されてな」


「なんじゃと。厚かましい!」


 ついに家老が癇癪かんしゃくを起こしました。


「なんで、おまえの神社とこのガラクタを、うちで預からにゃならんのだ!」


 片波見酉之介が負けずに言い返しました。


「ガラクタとはなんじゃ! この剣は龍の三宝じゃあ!」

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