十章 龍の剣(1)
家老の雷がなかなか落ちてこないので、若様は薄目を開けてそっと様子をうかがいました。家老は眉間にしわをためて、まぶたを閉じています。頬には、しわが幾筋も浮き、ひどく年寄りめいて見えました。いつにない様子に若様は恐ろしくなりました。もしかしたら自分はとんでもない間違いをしでかしたのかしら。
「家老。ごめんなさい。もう致しません」
若様は頭を膝につくほど下げました。すると。
「素羽鷹のお世継ぎたる若君が、家臣に
待っていた雷が落ちました。
「はい。すみませんでした!」
ほっとしてもう一度頭を垂れると、足元の虎千代と目が合いました。
「分かればよろしい。肝に銘じなされ」
あっさりとうなずいた家老は、節くれだった手のひらを花野子ちゃんの肩に置きました。
「花野子。このたびの働き、まことに御苦労であったな。殿もいたくお喜びじゃ」
「はい。あの。え?」
怒られるどころか、ほめられてしまった花野子ちゃんは口をパクパクさせました。
「家老。どうして花野子ちゃんの見つけた古文書を信じないのさ」
お調子にのった若様が横から口を出しました。
「不心得者! 人が話しているときに口を挟むでない!」
家老のひとにらみで涙目になってうつむくと、虎千代が若様の手をなめました。
家老は花野子ちゃんに向き直りました。
「許せ。取りあわぬ振りをせねばならぬ事情があったのじゃ。お告げが真実なればこそ」
家老は花野子ちゃんにだけ聞こえる声でささやきました。
「法師は犬護法に従いて、の法の前に、七の一文字が隠れておった」
「七。七ですって?」
花野子ちゃんは顔色を変えました。
「賢いおぬしのこと。意味は分かるであろう」
家老の白い眉がわずかにかげり、花野子ちゃんは唇をかんでうなずきました。
「それで、他言無用と
「すまぬ。そういうわけじゃ」
家老は虎千代と遊んでいる若様を呼びました。
「若様。殿もわしも花野子の注進を信じております。いっかな疑ってはおりませんぞ」
「ほんとに?」
振り向いた若様が顔を輝かせました。
「敵にこちらの動きを悟らせてはならぬ故、信じぬ振りの芝居を打ったのです」
「なんだ。そうだったのか」
若様はこの上なく幸せそうに笑いました。やっぱり父上も家老も花野子ちゃんの話が嘘じゃないって分かってくれてたんだ。
「御安心召されよ。すべて殿にお任せなされ。よろしいな」
「はい!」
「花野子もよいな」
「はい。心得ました」
子どもだけで龍の三宝を探さなくて良くなったので気は楽になりましたが、花野子ちゃんはなぜか胸騒ぎがしてなりませんでした。
「では、若様。急ぎ城へお戻りください。お殿様より改めておはなしがございます」
「はあい!」
若様と虎千代を鞍の前に乗せると、家老はひらりと馬にまたがりました。
「そしたら花野子ちゃん。また明日ね」
若様がこちらに顔をひねって言いました。虎千代も「おんおん」と咆えました。
「ああ。若さま。また明日な」
花野子ちゃんが手を振ると、馬は飛ぶように駆け去りしました。
後ろ姿が見えなくなると、花野子ちゃんは懐から古文書の写しを取り出しました。
「ここに、七の一文字。七法師」
読み解けなかった一文が、意味を持って繋がりました。
「そうすると、犬護法というのは虎千代のことか。ちびとワンコで龍宮に行ってこいって? そんなの無茶だろ」
ぶつぶつ文句を言いながら、文字をたどっていた指が止まりました。
「ちがう。龍宮じゃない。龍宮島だ。龍宮島ってたしか、うしとら沼にある島のことだ」
花野子ちゃんは身をひるがえして駆けだしました。角権現の丘のすそをめぐって素羽鷹沼の岸辺に出ると、目の前につるはし岬がそそり立っています。御神木の松を見定めてから、視線をゆっくりと「うしとら」の方角、つまり北東へ移しました。
「そうだったのか」
間違いありませんでした。龍の卒塔婆は龍宮島の方角を指し示して倒れていたのです。
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