九章 首無塚(3)

 カンコロ島から角権現の境内に戻った若様と虎千代と花野子ちゃんは、二の鳥居から石段を降りてゆきました。


「奥の院に比べたら、こんな石段なんか、目をつぶっても歩けるよね」


「落ちるからやめろよ、若さま」


 ふざけあう二人の耳に馬のひずめの音が近づいてきました。谷津のあぜ道を黒い馬が疾走してきます。白髪の乗り手には見覚えがありました。


「家老だ」


 若様がひっと息を飲むと花野子ちゃんも顔色を変えました。二人は石段の左右に逃げ道を探しましたが、それは難しいことでした。神橋の手前で、ひらりと馬から下りた家老はすぐさま二人を見つけました。


「若様。そんなところでどうなされた」


 若様と花野子ちゃんはうろたえた目を見交わしました。


「なんでもないよ。花野子ちゃんと遊んでただけ」


 若様はとぼけましたが、鋭いまなこにひたと見すえられると顔が真っ赤になりました。


「話が遠くてかないませぬ。こちらまで降りて参られよ」


「はい」


「はい」


「くうん」


 二人と一匹はびくびくしながら石段をくだって、家老の前に並びました。


「若様。これはまた、お召し物が泥だらけでござるな」


「うん。ちょっと山登りしたから」


「ほう。どちらに行かれましたかな」


「奥の院だよ」


 言ってしまった後で若様はしくじった気がしました。


「わたしが御案内しました。勝手なことをして申しわけありません」


 若様の脇腹をひじでこづいて、花野子ちゃんが頭を下げました。


「いや、構わぬ。良くやったぞ。花野子」


 その言葉に二人は、えっと目をみはりました。


「若様は素羽鷹の御世継ぎなれば、いずれは奥の院にお詣りすることじゃ」


 家老の眼差しが静かに若様に注がれました。


「そもそも素羽鷹家の御当主は、出陣の折には必ず角権現の奥の院で戦勝を祈られたものでしたが、不戦を誓ってよりは、年に一度の立春の日に世の平らかなるを祈るしきたりと変わりました。若様もそろそろお連れせねばと考えておったところでござる」


「そうなんだ」


 怒られないですみそうなので、若様は顔を上げました。


「若様、あの崖登りは難儀なんぎでしたろう。よくぞ龍の岩戸まで登れましたな」


 めずらしく家老に褒められたので、若様はすっかり嬉しくなりました。


「登るのは面白かったよ。降りる方がちょっと恐かった」


「さようか。では岬の細道はいかがでしたかな」


「風が吹くたびに転げ落ちるかと思った。花野子ちゃんが手をつないでくれたの」


「さもあらん。花野子、大儀たいぎであったな」


「おそれいります」


「それで」


 家老の鍾馗眉がかすかに上がりました。


「龍の卒塔婆は御覧になりましたか」


 花野子ちゃんの肩がびくっと跳ねましたが、若様はまったく気がつきません。


「うん。あの卒塔婆が千年もあそこにあったなんて、胸がわくわくした」


 家老のけわしい眼差しが、若様の丸い目を真っ直ぐに見つめました。


「お告げの話を聞かれたのですな。若様」


「うん!」


 元気よく返事をした若様の背中で、花野子ちゃんが後ずさりました。


「あ!」


 たったいま隠しごとが露見したことに、ようやく気づいた若様は、短い髷がピョンと跳ねるほど深く頭を下げました。


「ごめんなさい! 僕が花野子ちゃんに無理に頼んで教えてもらいました。申しわけありませんでした」


 家老には潔く謝るのが一番です。ごまかそうなどと考えたら、どんな目に遭うか分かりません。人のせいにするなんて以ての外でした。


「御家老様。わたしが悪うございました。お約束を破って申しわけありません」


 花野子ちゃんも並んで頭を下げました。


 震える二人を前にして、家老は静かにまぶたをつむりました。

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