八章 龍の卒塔婆(3)
「素羽鷹中の小舟をありったけ借り集めて縄で繋ぎあわせ、舟橋をかけて渡るのじゃ。七法師は身が軽い。容易にたどりつけようぞ」
「それは一考の価値がございまするな。しかし」
家老の眉間のしわが深くなりました。
「その舟橋をかけるのは誰でござるか」
「それは。うちの家中の。ええと、誰がいいかな」
「舟橋をかける者がそのまま島まで行けば、手っ取り早いのではございませぬか」
「うん。それはそうだがな。古文書に、ほら」
「若様が舟橋の一本道で鬼将軍にあいまみえたらどうするおつもりか。子どもが立ち向かえる相手ではございませぬぞ」
「そこも考えてある。俺がこっそり後ろからついて行ってだな、万が一、危なくなったら守ってやるのだ」
「なんじゃ、それは!」
御家老は腰を浮かせてお殿様をにらみつけました。
「万が一どころか、うちの若様は、間違いなく危なくなられます!」
火を噴くような目ですごまれて、お殿様は思わず後ろに手をつきました。
「殿がついて行かれるくらいならば、最初から家中の者にお任せ願いたい。余計な手間で皆をわずらわせなさるな」
「しかし、それでは七法師の楽しみを取り上げてしまうではないか」
「殿が日頃からそうやって甘やかすから、若様はあんなにヘナチョコなのですぞ」
家老は鼻息も荒く言いました。
「うちの子はそんなにヘナチョコか」
お殿様は、あははと乾いた声で笑いました。
「ヘナチョコでござる! 今朝も、わしに一太刀も返せなんだ」
「大椎が相手では無理もなかろう」
「殿が八つの時分には、落とし穴を掘ったり、煙幕をたいたり、石弓を仕掛けたりされたもの。無駄な抵抗といえども、なんとしても勝とうという創意工夫がござった」
「俺、そんなむなしいことしたっけ」
お殿様は苦笑いしました。
「七法師様は泣いて逃げ回るばかりでござる。勝負にもならぬ」
あの子の小鳥のような身の軽さには毎度舌を巻くが、とは口にしないでおきました。
「しかしなあ」
お殿様は扇子で頭をかきました。
「どんなにヘナチョコであろうとも、攻めるときは先頭に、引くときはしんがりに立たねばならぬ。七法師はあれでも城主のせがれだからな」
「黙らっしゃい!」
家老が扇子を握った拳でゴツンと床を叩いたので、お殿様は息を飲んでのけぞりました。
「好んであんたのせがれに生まれついたわけではないわ!」
「ええー?」
お殿様はあんぐりと口を開けました。
「負けず嫌いな殿とは違うて、あの子は気が優しゅうてリス一匹殺せぬのじゃ。七法師様をむざむざと妖怪の
ここまで言って、はっと我に返った家老はおもてを伏せて平伏しました。
「御無礼つかまつりました。なにとぞ
一の家老、大椎権乃介は、若様が実の孫のように可愛くてなりませんでした。しかし生まれつき気立ての良い若様は素羽鷹中の誰からもちやほやと愛されて育ってきましたので、このまま甘やかされていったら、ろくでもない高慢ちきが出来上がると深く
それと察したお殿様は上を向いてカラカラと笑いました。
「恩に着るぞ、家老。大椎にそこまで
「御勘弁の程を」
「いや。許せ。確かに俺の考えが浅かった。七法師をうしとら沼にやるのは、もうすこし大椎に鍛えて貰ってからとしよう。しかし、ああ、びっくりした」
「そうじゃ。殿。和真には口止めしたでしょうな」
けろりと起き直った家老は、鍾馗眉をひそめて尋ねました。
「勿論じゃ。昨日のうちに申し含めた」
「よろしい。このことを若様に知られてはなりませぬぞ」
「うむ。あれは絶対行きたがるからな。そんなところは俺にそっくりじゃ」
お殿様はまた嬉しそうに笑いました。
「して。殿。花野子には」
「あ」
お殿様は大きな目玉をグリグリと泳がせました。
「まさか殿?」
御家老は膝をすすめて詰め寄ります。
「他言無用とは言っておいた気がする。うむ、言ったぞ。まことじゃ」
お殿様の額から汗がにじみ出ました。
「若様にだけは絶対に漏らすなと、よく言い含めなされ、と申し上げたはずですな」
家老の目玉がそこまで迫ってきています。
「ごめん。そこを言うの忘れた」
お殿様の額から冷や汗が流れました。
「なんたることか!」
席を蹴った家老は一気にきざはしを駆けくだりました。
「誰かおらぬか。花野子を呼び戻せ」
通りかかった御女中が答えました。
「花野子ちゃんでしたら、とっくに帰りましたよ」
「なにい! では、若様を呼んでまいれ」
「花野子ちゃんの大事な忘れものを届けるとかで、角権現にお出掛けになられました」
「がああああ」
家老は白髪をかきむしりました。
「誰か。馬をひけ!」
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