九章 首無塚(1)

 その朝、家老の命を受けた御家来衆の与三郎よさぶろう蔵六ぞうろくは、いましがた光の柱の立った地を探し求めて馬を駆けさせていました。与三郎は槍を、蔵六は弓を抱えています。北へと向かう街道の左手には枯れ野が広がり、背の高い銀色のススキが波打っていました。


「おい、このあたりだったよな?」


 与三郎が叫ぶと「おう!」と蔵六が応えました。


 二人は馬より背の高いススキの間に馬を乗りいれると、草を分けて奧へ奧へと進んでゆきました。やがてススキがアシやマコモに変わりはじめました。馬の蹄が柔らかな水辺の草を踏みしめます。いきなり湧きおこった水鳥の声に空を見上げると、雁の群れが舞いあがったところでした。鳥たちは仲間に遅れまいと鳴きかわしながら、この朝の風に乗って旅立つのでした。


「素羽鷹は鳥の国か」


 手綱をゆるめて蔵六がつぶやきました。


「なんだ、それ?」


「他の国の奴に言われたんだ。ここは人より鳥が百倍多いなって」


「言われてみれば、違いない」


 与三郎が笑って空を舞う鳥たちを見上げました。ガン、カイツブリ、ホシハジロ。ヒシクイ、ゴイサギ、カワアイサ。アトリ、オオバン、カワラヒワ。タゲリ、セキレイ、トラツグミ。素羽鷹にすむ鳥の種類もその数も、どれほどいるのか誰にもわかりませんでした。

 そのとき、馬たちがいなないて後ずさりました。足元から暗い水辺が広がっていました。そこからは、いくらけしかけても決して進もうとしません。


「底無し沼か」


 蔵六が眉をひそめました。素羽鷹の馬たちは賢いので決して踏み込まないのですが、ここから先に進もうものなら、馬でも人でも沈んだが最後、決して浮かび上がれない恐ろしい底無し沼なのです。しかし光の柱が立ったのは、たしかにこの沼地の奧なのです。


「なあ、うしとら沼って聞いたことないか?」


 与三郎が腕組みをして、水辺の先をにらみました。


「素羽鷹の龍がいたっていう龍宮淵か?」


「そこなんじゃないか? 今朝のやつは」


 これまでうしとら沼に行って戻って来た者は、誰もいません。


「参ったな」


 目的の果たせなかった二人は、うなだれて城に戻りました。素羽鷹城の御家来衆のなかでも、この二人は一二を争う負けず嫌いです。満面の笑みを浮かべたお殿様から御ほうびをちょうだいすると、かえって気が沈みました。




 広間で屈強な大男二人がどんよりとした顔を並べて昼ご飯を食べていると、お里ばあが里芋としめじの味噌汁を運んできました。


「どうしたね。若い者がそろって。しんき臭い。夜逃げの相談け?」


 おばあは顔中を笑いじわにして二人をからかいました。


「お里ばあ、放っといてくれよ」


 トドのようなひげ面の与三郎が鉄砲漬けをほおばってうなりました。このやせて背の高い大男は、坐っているのに立っているお里ばあと、さほど高さが変わりません。


「まったく人の苦労も知らんくせに」


 味噌汁をすすりこんだ蔵六が、眉毛の太いタヌキのような顔で鼻を鳴らしました。こちらは小柄ながら筋肉ではち切れそうな体をしています。


「なんじゃ。偉くなりよったな。こわっぱどもが」


 おばあがふんと横を向くと、二人は決まり悪い顔で頭を下げました。


「すまん」 「すまんかった。おばあ」


 素羽鷹では馬とお年寄りはたいそう大事にされています。とくに経験豊かなお年寄りは「生き字引」と呼ばれて尊敬されていました。お里ばあほどにもなるとお殿様よりもおろそかにはできなかったのです。


「でもよう。いくらお里ばあだって、うしとら沼には行かれんだろが」


 ヤセの与三郎がそう言うと、お里ばあは鼻でわらいました。


「なんじゃい。きょうびの若い者は、そんなことも知らんのけ」


「ばあちゃん、知ってるのかよ?」


 チビの蔵六がむせて胸をたたきました。


「なんで知ってンだよ」


 顔色を変えた二人は箸と茶碗を握りしめて立ちあがりました。


「年寄りをなめる奴には聞かすもんか」


 おばあはすまして目をつむると後ろを向きました。


「待ってくれよ。さっきはわるかったよ」


「この通りだ。勘弁してくれ」


 さむらい二人が床に手をついて交互に頭を下げると、小さなお里ばあは歯の無い口を開けてヒャッヒャと楽しげに笑いました。


「ええか。まずは首無塚くびなしづかだわ」


「げえっ! 首無塚?」


 二人は顔色を変えました。首無塚といえば、素羽鷹の者ならこの世で一番行きたくない場所でした。


「あの塚のふもとっから、ヤブん中、入えるべえな。したら、キラッキラした白い土っこの筋があるっけが、古い枯れ川だわ。もとはうしとら沼から流れてきとったんだわ。したっけ、そこを、はいつくばって、いくがいくが行くっけが、ちっとでも雨が降りゃあ、消えっちまうだで、そんときゃ諦めんだわ」


「底無し沼はどうやってわたるんだ」


 蔵六が顔を引きつらせて訊きました。


「枯れ川から外れんかったら、知らんうちに通りすぎるわ」


「そいつは、ほんとうかよ」


 与三郎が目をむきました。


「したっけ、底無し沼ってとこは、真っ昼間に夜みてえな霧が出るべえよ。したら、なんも見えんでな。霧が晴れるまで動いたらいかん。二日でも三日でも、じいっとだ。なんもしたらいかんのだわ。できっけ?」


 お里ばあは心もとない目で二人を見ましたが、どちらもまるで気づいていません。


「ありがとよ、おばあ! こいつは御礼だ!」


「ばあちゃん、恩に着るぜ! 受け取ってくれ!」


 お殿様からちょうだいしたばかりのごほうびを全部、おばあの手に押しつけると、二人はお城を飛び出してゆきました。 

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