四章 妙見菩薩の剣(2)

「これこれ。旅のおかた」


 朝日が昇っても眠りこける山伏を見つけたのは、お社を毎朝掃き清めにくる神主さんでした。飛び起きた山伏は慌てふためいて叫びました。


「知らない。俺じゃない!」


「はい。おはようございます」


 お年寄りの神主さんはすこしばかり耳が遠かったので、山伏が元気に朝の御挨拶をしたと思ったのです。


「夕べはこんなところで寒かったじゃろう。うちで朝飯を食べてゆきなされ」


 どうやら妙見菩薩様の剣が無いことには気づいていない様子です。ここで逃げてはかえって怪しまれそうなので、山伏はびくびくしながら親切な神主さんの家について行きました。


「うちの妙見菩薩様を御覧になったかね」


 囲炉裏端に坐ると神主さんは鍋のおかゆを木のお椀によそって差しだしました。


「ひえっ? ああ、ああ。見たとも。見ましたさ。あれはたいしたものですな」


 いきなり妙見菩薩様のはなしになって一瞬呼吸が止まったものの、二日も食べていなかった山伏は熱いおかゆに飛びつきました。


「左手に巻物。右手に剣を捧げた立ち姿は、珍しいものじゃからなあ」


 神主さんは得意そうに言いました。


「おお。あのように高貴なお姿の妙見様は初めて拝見した。仏師の腕が違うな。ありがたくて泣けた、泣けた」


「そうかね。そうかね」


 山伏の並べたてるおせじに神主さんはすっかり気を良くしました。


「これから、どこに行きなさる」


 気前よくお替わりをよそってやりながら、神主さんが訊ねました。


「それはそれ、月山、羽黒山、湯殿山」


 お粥を盛大にすすり込みながら山伏はでたらめを答えました。神主さんが微塵にも自分を疑っていないと気づいて気が大きくなったのです。


「それはけっこうなことじゃ」


 旅を知らない神主さんは羨ましそうにため息をつきました。


「では、ここから北に向かうのですな」


「いかにも、いかにも」


「ではな、ひとつお教えいたしますがな」


 神主さんは三杯目のお替わりをよそいながら言いました。


「ここから街道を北へと行くと分かれ道があってな、東へ行けば東篠とうじょうの国。西へそれた細道の先にあるのが首無塚くびなしづかじゃ。草木も生えぬ岩山でな。お前様のような修験者しゅげんじゃが好みそうな景色ではありまするが、それはそれは恐ろしいところでな。間違っても踏み込んではなりませんぞ。祟られてひどい目にあいますでな」


「ほお、祟るとは?」


 神主さんはエヘンと咳払いして、声をひそめました。


「首無塚には鬼が封じられておりまする」


「なんと。鬼が」


 そう言いながら山伏はまたもやお椀を差しだしました。


「その昔、この素羽鷹の地で首をはねられた謀反人むほんにんを御存知か」


「もしや鬼将軍のことか」


「いかにも左様」


 鬼将軍とは数百年前にこの地で兵を挙げた謀反人でした。都の天子様からこの国を奪おうとしたのです。そして天子様の大軍勢といくさになり、敵も味方も大勢の兵が命を落とす激戦の末についに敗れたのでした。鬼将軍の首は天子様の兵が都に持ち帰り、大路おおじの辻にさらしたのですが、幾日たっても目をかっと見開いたまま、恐ろしいまなこで都の人々を睨みつづけました。そしてついに或る日、鬼将軍の首は故郷を目指して空を飛び、その行方は今もわからないといいます。


「首無塚は鬼将軍の胴体を埋めた塚ですわ。首無しの鬼となり果てた将軍が近づく者に祟りをなすのじゃ」


「左様な山か。あな恐ろし。御教示かなじけない」


「なんの。湯殿山の帰りにはまた寄ってくだされや」


「おお。必ず寄りましょう」


 立ち上がるのも苦しいほどに食べた山伏は、神主さんに見送られて逃げ出したのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る