二章 聞き耳ドングリ(1)

「なんだこれ?」


 つかんだものを目の高さにかざすと、つぶらな瞳が若様を見つめ返しました。えりまきよりもヘチマの芯に近いように見えますが、手のひらには生き物の温もりを感じます。


「逆さまにぶら下がったリスみたい」


 若様がつぶやきました。するとヘチマの丸い先っぽが、ふるふると震えたかと思うと、口から大粒のドングリを吐き出して、キイと甲高く鳴きました。


「うわあ。ほんとにリスだった!」


 びっくりした若様は、リスを枯れ草の土手に放りだしました。するとリスは見事なとんぼを切って着地するや、全身をビビビビビと震わせて水気をはじき飛ばしたので、たちまち茶色いフカフカした毛皮を取り戻しました。


「うわあ。すごいなあ」


 感心しながら若様も土手に這いあがりました。


「ひゃあ、寒い!」


 若様は思わず悲鳴をあげました。水の中より外の方がよほど寒かったのです。ずぶ濡れの体がカクカクと震えて止まりません。気持ち悪くまとわりつく袴を脱ごうともがいていると、リスがちょこまかと足元に駆け寄ってきて、輝く瞳でまっすぐに若様を見つめました。


「うわあ。かわいいなあ」


 若様は生きものが大好きでした。


「さっきはゴメンね。尻尾を持ったりして。痛かったよね?」


 つい友達のようにリスに話しかけると、リスは口を開けてキイキイ鳴きました。


「おや。逃げないぞ」


 若様は草に膝をついてリスに顔を近づました。するとリスは若様に向かってしきりに甲高い声で鳴き続けます。


「え、なあに?」


「ききい、きいきい、きききい!」


 若様はリスの声に熱心に耳を傾けてみましたが、やっぱりさっぱり分かりません。


「ごめんね。君が何を言ってるのか、分からないや」


 すまなそうに若様が謝ると、リスは目を丸くして黙りました。そして右手の小さなこぶしで、左手の小さな手のひらをポンと打ったと思うと森の中に駆けこんでゆきました。


「ああ、行っちゃった。リスさん。さよなら」


 一人になるとあらためて寒さが身にこたえます。小袖も脱いで絞ってみましたが着心地はまるで変わりません。ここは思い切って全部脱ぐべきでしょうか。


「だめだ。寒いや。やっぱりお城に戻ろう」


 ついに諦めて帰ろうと決めたところに、茶色い毛並が草むらに見え隠れしながら、流れるように近づいて来るのが目に入りました。


「あれって、さっきのリスかなあ」


 あっという間に足元に到着したリスは、驚いている若様の肩の上まで、するすると駆けのぼりました。そして赤い小石のようなものを若様の耳の穴にスポリと入れました。


「もし、もおし。聞こえますかあ」


 肩先から、リスが威勢いせいよく話しかけました。


「うわあ! リスがしゃべった!」


 若様は寒かったのも忘れてビックリしました。


「聞き耳ドングリってんでさあ」


 リスは得意そうに丸い目を細めました。


「聞き耳ドングリだって?」


「へい。そいつを耳に入れりゃあ、どんな相手とでも、はなしが通じるんです」


「へええ。大したものだなあ」


 若様がすっかり感心していると、リスは小袖の肩から胸元を伝わって若様の手のひらに跳び移り、かしこまったお辞儀をひとつしました。


「さきほどは命をお助けくださいまして、ありがとうございました」


 若様は真っ赤になりました。


「ど、どういたしまして」


 あがってしまって上手な受け答えが思いつきません。


「申しわけないです。わっしのせいで、こんなにびしょ濡れにさしちまって」


 リスは額に前足を添えて頭を下げました。


「ううん。平気だよ、僕、こんなの、いつもだから」


 うわずった会話を交わしながら、若様は嬉しくてたまりません。


 ――うわああっ! 僕、リスとしゃべっちゃった!


 跳びはねたくて体がムズムズするのですが、リスが手のひらにいるので、若様は肩に力をいれて懸命にこらえました。


「風邪を引きますぜ。早いとこお着替えにならねえと。お宅はどちらですか」


「すぐそこだから、大丈夫さ!」


 若様はニコニコしました。もう寒いのも冷たいのもどうでもよくて、体が火照ほてって熱いくらいです。


「元気な坊っちゃんだなあ」


 リスが笑いました。


「わっしは木登り倫太郎りんたろうと申します。以後お見知りおきを願いやす」


 深々と頭を下げるリスを両手に捧げ持って、若様もお辞儀を返しました。


「僕は七法師です。まだ元服前の前髪者ですが、ナニトゾよろしくお引き回しください」


 お正月に家老からおそわった通りに御挨拶をすると、リスが目を丸くしました。


「こいつは御丁寧にありがとさんです。おさむらいさんのお坊ちゃんですね」


「うん。そうだよ」


 父上がお殿様だというのはなんとなく言いそびれました。

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