一章 お城の若様(1)
素羽鷹に今年はじめての木枯らしが吹いた、あくる朝のこと。
城山の森を大波のように揺るがせた風も明け方にはおさまり、つづら折れの山道は一晩かけて散りつもった枯葉に厚く埋もれていました。朝を迎えた喜びに鳴きかわす鳥たちの声がふいに途絶えたと思えば、落ち葉を蹴散らす足音がにぎやかに駆けくだってきました。
あさぎ色の
その名は
若様は太い木組みの山門をくぐるとお堀をまたぐ木橋へと向かいました。敵が攻め寄せてきたときに備えて丈夫な板を二枚並べただけの簡素な橋でしたが、今朝はそこに散り敷かれた山桜の紅葉が目にもまばゆいほどでした。
「うわあ、きれいだなあ」
思わず若様の足が止まりました。そのときです。
「若さまあぁ」 「若さまあぁ」
山門の奧から、若様を呼ぶ声が近づいてきました。
「しまった!」
若様はウサギのように跳ねて木橋を渡ると、対岸のシラカシの根方に飛びこみました。
足さばきも軽やかに山道をくだってきたのは、白髪を高く
「七法師さまああ。どこじゃあああ!」
その声に驚いた鳥たちが雲のように飛びたちました。若様はやぶの中で縮みあがります。かつて
続いて息を切らしてやってきたのは、髪をうなじでくくった背の高い青年でした。幼顔の残る丸顔に円い眼鏡を掛け、着古した茶色の
度会先生は深く息を吸い込むと歌うように呼びかけました。
「ご家老さぁまーあ。しばしぃー、おー待ちくうだあさあーい」
家老は
「どうした、和真」
小さな国のことゆえ、家老は先生が産声を上げたその日から知っていますから、こうしていつも名前で呼ぶのです。しかし追いついた先生が家老の隣に並ぶと、小柄な家老よりも頭三つ分も背が高いのでした。
「申しわけございませぬ。御家老様。足がつりました」
先生は丸顔をほころばせて謝りました。地顔が笑顔なので、かしこまった顔をするのが難しいのです。
「なにい!」
敵を串刺しにするような家老の一声に、若様は胸を押さえてうずくまりました。
「
「申しわけありませぬ!」
先生は
「えい、ほれ。そんなときは親指を引っこ抜く勢いで引いてみよ!」
この家老は厳しいだけでなく、とても面倒見の良い人でした。
「ははあ。かしこまりました」
先生はすぐさまその場に膝をつくや、小脇に抱えてきた小さなけものを、そっと地面におろしました。
「さあ、虎千代。足を出せ。ありゃ、親指はどれでござろうか」
家老の眉がかくんと下がりました。
「なんじゃ。足がつったというのは、虎千代か」
虎千代と呼ばれたけものは「くうん」と鼻声で鳴いて、黒目がちな瞳で家老を見あげました。笑っているような半開きの口から桃色の舌がのぞいています。小さな丸い耳も頭もおなかも、薄茶色のふわふわした
「あわてて若様を追いかけたせいで後足がつったようでござる」
先生は虎千代の丸くて短い後足を優しい手つきでさすりはじめました。
――ああっ! すっかり忘れてた。ごめん。虎千代。
若様は胸の内で虎千代にあやまりました。今朝はあまり急いでいたので、仲良しの虎千代を連れて出るのをうっかり忘れてしまったのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます