第15話
「今頃、我が国の勇者は死んだろうか」
静脈血のようなワインを浴びながら、ランド王が笑った。
「王もお人が悪い。せっかく呼び出した勇者を死地に差し向けるとは」
「それくらいの気概のない勇者なぞ、不要だわい」
国防大臣と王は、それぞれ両脇に美女を抱えた。
「死んだらまた呼び出せばよいのだ」
吐き捨てるように言うと、王はグイとグラスを煽る。深く吐息をつくと、国防大臣の下種な笑いが途切れたことに気付いた。
「おい、どうした」
見ると、大臣が顔を青くしていた。その視線の先を見ると、王も同じ顔になる。両脇に抱えた女達が彼らの様子に異変を感じて離れていった。
「お、お前……」
王が震える指でアロイスを指さす。従者や衛兵達がざわつく。姿形は彼らの知っているアロイスだったが、薄汚れて汗まみれになった彼は見たことがないほどに殺気立っていた。
王はしばらく放心したように彼を見ていたが、部屋中の視線が自分に集まっていることに気付いて咳払いをした。威厳を保とうと胸を突き出して見せたが、腹の方が出ているので滑稽だ。アロイスは不健康そうなのに、王は対照的にでっぷりと脂がのっていて、肌つやが良い。
アロイスは、黙っている王を見て、ゴリラ女を思い出していた。彼女はどれほどの鍛練を積んだのだろうか。それに引き換え、この男は何の鍛錬も研鑽もなく、唾棄すべきエゴイズムの塊である。
「おお、指導者殿。よく帰られた。ハウプトマン殿はご一緒ではないのか」
国防大臣が揉み手でアロイスに近付いた。酒臭い息がアロイスにかかる。アロイスがひと睨みすると、彼はゆっくりと手を下ろし、そそくさと部屋から出て行った。
国防大臣の去って行く背中から、王に視線を向ける。アロイスが睨み付けると、王は唇をわななかせた。
「ち、違うのだ……」
「何が、違うのだ? 私はまだ何も言っていないのだが」
アロイスから立ち上る湯気のようなものを、王は見ていた。湯気は徐々に禍を煮詰めたように形作り、己を見つめているように感じた。もちろん、それは王の心の中のイメージであったが、彼はまるで幼い子供のように尻餅をついて、大口を開けてそれを見上げた。それが見えるのは後ろめたさからだろう。
その場にいた誰もが、部屋の温度が急上昇したように感じていた。女中がそそくさと部屋から出て行く。アロイスの口元にはまだ血の塊がこびりついており、目には隈が降り、服は汗に濡れていた。敵国の甲冑は外で脱ぎ捨ててきた。あんな重いものを着てここまで歩いてくるのはしんどかった。脱出した直後に脱いでも良かったのだが、途中で敵にあってしまったら絶体絶命である。アロイスを守ってくれるのは甲冑しかなかった。
「よ、よく戻ってきた。さすが召喚士が異世界から呼び出しただけある」
王は手を叩きながら、近付いてきて、アロイスの肩に手を載せた。アロイスは、その手に力がこもっているのを感じていた。
「申し訳ない。お借りした部隊は全滅しました」
部屋がどよめいた。
「信じられぬ。あのハウプトマン大尉がやられるとは」
どの口が言う。どうせ、あの男も厄介払いなのだろう。この男は、この戦争に勝てるとはつゆほども思っていないのだ。この国は勇者を召喚したと触れ回り、他国を牽制し、できるだけ戦いを引き延ばして、負けたら命乞いでもするつもりに違いない。国民を欺き、私腹を肥やす豚め。
「豚め」
「なんですと?」
小さくつぶやいた言葉に、王が聞き返すが、アロイスは何も答えずに部屋を後にした。「待たれよ」と王が言ったが、聞こえていなかった。
「薄気味悪い男よ」
王が吐き捨てた。
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