第14話

「夢の中くらいは、うまくいくと良いな」


 そう言うと、ゴリラ女は去って行った。一人残された衛兵が、アロイスを牢の中に連れて行った。


 衛兵は一緒に牢に入ると、アロイスの耳元で言った。


「クスリを……」


 阿片を渡した男だった。


「奴らが単純で良かった」


 アロイスが安堵のため息をついた。


 あのとき、アロイスはこの男に耳打ちしていた。クスリがなくなったら、夜中に訪ねてこいと。


「渡した分は全部吸ったのか?」


 男が思いきり頷く。思った通り、こいつは馬鹿者だ。馬鹿者はすぐに中毒になるから手間がかからなくて良い。


「他に人は?」


 男が首を振る。震えた手を差し出してくる。「は、早く」


 それを見ながら、アロイスは「その前に」と言って彼の顔の前に手を出した。


「ここから出してくれたまえ」


「そ、そんなことしたら俺が殺されっちまう」


「では、何のメリットもないのに、クスリを寄越せというのかね」


 男は押し黙った。睨み付けると、あの夜のことを思い出して男は震え上がる。アロイスにはわかっていた。彼が、本能的にアロイスには逆らえないと言うことを。埋め込まれた主従は、決して覆らない。


「ほ、本当にクスリがあるんだろうな? 見せてみろ」


 強がっているのが丸わかりだった。やれやれ、馬鹿者と交渉するのは本当に面倒だ。


「向こうを向いていろ」


 男は首をかしげながらも、後ろを向いた。


 いくら拷問の文化がないとはいえ、交流した敵兵士の持ち物をそのままにしておくほど、この国の人間もお人好しではないようだった。アロイスの持ち物も、ポケットの中身まですべて取り上げられている。しかし、それは想定内だ。


 喉の奥に指を突っ込む。アロイスの嗚咽に、兵士は振り返った。


 何度かの嗚咽の後、ようやく、糸のついた小さな袋が胃の中から出てくる。糸はアロイスの歯に巻かれていた。折れたのがこの歯だったら打つ手はなかったし、腹を思い切り蹴り込まれていたら、袋が破れて阿片中毒になって死んでいただろう。今、アロイスの作戦が成功したのは幸運でしかない。


「さあ、お望みのものだ。少し臭うが、それは勘弁してくれたまえ」


 アロイスは阿片入りのたばこを床に置いた。男は中毒者特有の落ちくぼんだ目を見開き、充血させた。彼は強烈な喉の渇きを覚えていた。舌が乾き、歯茎が乾き、喉、食道が焼けるように乾いて張り付いた。胃からは際限なく胃液が逆流し、今にも内臓ごとひっくり返りそうだ。ポケットから鍵の束を取り出した。手が震えて地面に落ちる。再び拾うと、それを鍵穴に差し込んだ。


 扉が開くと、彼はむさぼるようにたばこに飛びついた。あまりに慌てすぎて、紙巻き煙草一本を指に挟むことが困難な様子だった。


「まだ、一本だけだ」


 彼は言うのも聞かず、火をつけた。深く煙を吸い込むと、表情から緊張が抜け、ブルブルと震えた。


「さて、行くか」


「ど、どこへ」


 何度か煙を吸引すると、彼の目がトロンとし始めた。


「決まっているだろう。帰るのさ、我が国へ」


「そこにクスリはあるのかい?」


「あるさ。好きなだけ」


 男は破顔した。


「一緒に行く」


 アロイスは牢を出ると、他の兵士の牢の鍵も開けた。


「みんな、遅くなってすまない。さあ、逃げよう」


「ああ、貴方は本物の勇者だ……感謝します」


 先程までアロイスのことを口汚く罵っていたものも、まるで神を見るような目でアロイスを見上げた。現金なものだ。これから訪れる地獄も知らずに。


 見張りの兵はいなかった。あの阿片中毒が話をつけたのだろう。薬物中毒者は親をも売り飛ばすようになる。まして、この世界の人間は耐性がなさそうだった。あんな粗悪な阿片さえよく効くのだ。少しばかり手を加えた”特製”ならば、余計簡単に堕ちるのだろう。


 阿片中毒兵の案内で、ランドの兵士たちは牢のある建物から脱出した。


「おい、お前ら、何をしている!」


 頭上からの声に、ランド兵たちは顔を上げた。物見の兵だった。すぐに警鐘がかき鳴らされた。


 どこからともなく兵が集まってくる。相手は人を殺すための装備をした人間だ。対して、ランド側は丸腰の集団。


「予想通り」


 アロイスはまだ建物から外に出ていなかった。この展開になることはわかっていた。だから、あえて彼らを囮にした。そのすきに、阿片中毒兵から甲冑を奪い、アロイスは脱走者を囮にして城外に逃げ出した。


 今頃、捕まった兵たちは皆殺しになっていることだろう。彼らへの申し訳ないという気持ちは欠片もなかった。むしろ感謝したいくらいだ。


「楽しい経験をありがとう」


 遠ざかってゆく喧噪へ、背中越しに呟いた。

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