第13話

「今日は泣かないのか?」


 馬鹿にしたようにゴリラ女が言う。アロイスは口を閉ざしたまま一言も喋らない。


「だんまりか。まあいい。時間はたっぷりある」


 今日はどんな作戦のつもりだろうか。どうでも良いが、下手な演技をされると笑うのをこらえるのがつらい。


 それよりも――このままここにいて、戦争が終わったとする。その後、自分は無事にランドに帰れるだろうか。


 答えは否だ。


 たとえ無事に帰れたとしても、自分を歓迎してくれるだろうか。


 それも否だ。


 アロイスに残された道は、生きてこの戦争に勝つことだけである。


 それにはまず、ここから脱走しなければならない。では、どうやって脱走するか。


「トイレに行っても良いだろうか」


「ようやく口を開いたと思ったらそれか。まあいい。ここで漏らされてはかなわんからな」


 ゴリラ女が、部下に顎で指示を出す。ごつい衛兵がやってきてアロイスに腰紐を着けた。ゴリラ女ほどではないにしろ、彼も一端の軍人である。アロイスの細腕ではまず敵わないだろう。


 トイレは狭い個室だった。水タンクの上に小さい窓があったが、はめ殺しの窓だった。あのガラスを割ったとしても、外に出せるのは腕一本が精精だろう。


 何か使えるものはないか、目を走らせた。周到なことだ。タンクの蓋は取れないようになっているし、便器も蓋はない。


 床に這いつくばって何かないか探した。すると、便器の後ろに細い針金がおちているのが見えた。


 そのとき、トイレのドアが乱暴に叩かれた。


「いつまで入っている」


「もう少し待ってくれ」


 アロイスがうめき声を上げた。


「早くしないか」


 立ち上がって水を流した。個室を出ると、再び腰紐をつけられる。


「何か話す気になったか?」


 ゴリラ女が言うが、アロイスは黙秘を続けていた。


「ふん、まあいい。今日はもう終わりだ。牢に戻れ」


 先程の針金は反射的に手を伸ばして拾っていた。上着のポケットに突っ込んである。


 アロイスは針金の使い道を考えていた。今まで、針金で鍵開けを試みたことはない。いきなりやってできるものだろうか。


 いや、出来なければならない。そうしなければ、この先生きる道はないのだ。


「ああ、そうだ」


 再び腰紐をくくりつけられて部屋から出る直前、ゴリラ女がわざとらしく咳払いをした。


「戻る前に身体検査をさせてもらおう」


 冷や汗が流れた。


 ゴリラ女がにやついた顔で、アロイスの上着のポケットに手を突っ込む。


「なんだこれは」


 ポケットから針金を取り出す。とんだ茶番だ。アロイスはため息をついた。質の悪い罠だ。


「なんだろうな、いつの間にポケットに滑り込んだのか見当もつかない」


 アロイスは諦めたような目で、それが放り投げられるのを見ていた。


 扉が閉まる直前まで、楽しそうに笑うゴリラ女の顔がこちらを向いていた。


 牢に戻ると、アロイスは大きなため息をついてベッドに腰を下ろす。衛兵の足音が消えると、アロイスはおもむろにズボンとパンツを脱いだ。


 うっ、という声とともに、アロイスが肛門に指を入れる、ぬるりという感触とともに、針金が出てきた。シーツに汚れをこすりつける。他人の肛門をほじくり回したことはあるが、自分の肛門をほじくるのは初めてだった。


 あのとき、見つけた針金を二つに折って片方を簡単にばれるようにポケットに入れておいた。おそらく、あの針金は罠だろうと思っていた。こちらの心を折るための作戦だ。


 こんなことで折られる心だと思うな、と心の中でつぶやいた。やはりこの世界はぬるい。こちらは人をの心を折るプロフェッショナルなのだ。


 夜中まで待って、見回りの時間が終わると、アロイスは早速針金を牢の鍵穴に突っ込んだ。原理的にはわかっている。それに、鍵を見たところ簡易な作りのようだ。


 出来る。強く心にその言葉を思った。


 次の瞬間、カチリと音がした。


 ゆっくりと開く扉。心が高揚した。やったのだ。これで自由だ。


 アロイスが足を忍ばせて外に出る。気付いた他の兵士が声を上げた。


「俺もここから出してくれ」


 その声に、他の兵士も気づき一斉に声を上げた。


「馬鹿者、そんなにやかましくしたら気付かれてしまうだろう」


 アロイスは焦った。この世界の兵士はここまで間抜けだったとは。


 急いで出口へ走る。背後から罵声が聞こえるが、関係ない。彼らはここで死ぬのだ。自分さえ生き残れば、戦争に勝つ可能性が出てくる。


「そこまでだ」


 牢が並んだ大部屋を出ると、ゴリラ女が衛兵を連れて待っていた。


「ばれていないとでも思ったのか?」


 楽しそうにゴリラ女が言う。


「馬鹿め、針金が半分になっていることなど最初から気付いていた。どこに隠したかも想像はついた。わかったからと言って触りたくはないがな」


 笑うのがこらえきれなくなり、ゴリラ女は大笑いを始めた。それにつられて、他の衛兵たちも笑った。


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