第12話
蹴られた頬がひんやりして気持ち良い。目を覚ますと、石造りの牢屋の中に転がされていた。どこかの建物の地下だろうか。窓はなかった。
他に兵士が捕まっているのが見えたが、ハウプトマンのやかましい声は聞こえなかった。やはりあの一撃で死んだのだろう。甲冑を着ていないと、ランドの兵士なのかすらわからない。
手錠は外されていた。牢の中には、ベッドとトイレがあった。ベッドのシーツは湿っていて、かび臭かった。こんなところに寝るなら、床で寝た方がいくらかマシだ。
他の牢から漏れ出る声が聞こえる。中には泣いているものもいれば、悪態をついているものもいる。アロイスが涙を流して許しを請うたことに失望したと言っているものもいた。
馬鹿め、貴様らに何を言われてもどうということはない。種は植えた――アロイスはベッドから剥ぎ取ったシーツを床に置いてくるまった。あとは時が来るまで待つだけだ。
次の日も、同じ部屋でゴリラ女から尋問を受けた。今日は昨日よりも手ぬるかった。どこかソワソワしているようにも感じた。
机の上には食べ物が置いてある。そういえば、昨日は食事が出なかった。食べ物を見ると、自分が空腹であることを思い出した。元々、アロイスは食欲が著しく欠けていたが、それとは関係なく、食事をとれない理由があった。それに、食事などしなくとも、ペルビチンがあればすぐに元気になったものだ。
それでも――ああ、祖国のブルストが懐かしい。時折カレー風味のカリーブルストが恋しくなる。家族のつながりが薄かったアロイスにとって、唯一の母の味である。酒浸りの母は、まともな食べ物はカリーブルストしか作れなかった。あとはほとんど酒のつまみのようなものばかりだ。塩辛い魚の干物のようなものや、缶詰ばかり食べた。だからかもしれない、食事は苦痛で、人生で一度も太っていた時期がない。
目の前に置かれているのは、豆のスープと堅そうなパンだった。スープは湯気が立っており、甘い匂いがいくらか鼻腔を刺激した。
「どうした? 食べても良いぞ」
ゴリラ女が言う。「ところで」
不意に表情が険しくなった。
「貴様らの部隊に遭遇して、痛めつけられた兵士がいてな。命からがら逃げ帰ってきたのだ。貴様、一体我が国の兵士に何をした。奴が連れ帰ってきた遺体には、ずいぶん酷い攻撃の跡があった。あんな殺され方は、今まで見たことがない」
ゴリラ女は拳を振り上げた。殴るつもりがないのはわかっていた。本当に殴るつもりなら、昨日のように予告などせずに攻撃してくるはずだ。それに、おそらく今日は良い警官・悪い警官を一人でやって見せているつもりなのだ。そのあまりの大根演技に笑いをこらえるのがやっとである。
拷問のない世界とは、かくも生ぬるいのか。戦場ですら、死体を辱めることすらしない崇高な彼らには、拷問など思いつくはずもない。
アロイスがおびえた顔をしてみせると、案の定ゴリラ女はそのまま拳を下ろした。
「私は何もしていない。一人生き残った彼に聞いてみると言い。私は彼にクスリを与えただけだ。残忍なことをしたのはハウプトマンだ。貴殿らの兵士が殺した司令官だ」
「なるほど。薬か。手当てしたと言うことか」
「そう、クスリだ。そう思ってくれて差し支えない」
ランドには阿片が蔓延していたが、スターテンではどうだろうか。もっと上等なクスリがあるのなら、私の作戦も失敗に終わるだろう。
「入れ」
ゴリラ女が振り返って声を張り上げた。入ってきたのは、あの日逃がしてやった兵士だった。顔面に包帯を巻いている。このゴリラ女にでも折檻されたのだろう。
「この男か?」
兵士はオドオドとゴリラ女とアロイスを交互に見て、小さく頷いた。
「何かされたか?」
兵士が首を振る。「クスリを……」
「薬を?」
「クスリを……いただきました」
「貴様が戻ってきたとき、二人の兵士の亡骸も運んできたな? あれは誰にやられた?」
兵士がアロイスを見つめる。アロイスは小さく頷いた。
「ハウプトマンという男です」
「ハウプトマン……捉えた兵士の中にはそのような名はいたか?」
ゴリラ女がそばにいた兵士に尋ねる。「いませんでした」兵士は微動だにせず答えた。
「だから言っているだろう。一番最初に死んだ男だ」
それで、ようやくゴリラ女は信じたようだった。
「本当にあの間抜けが司令官だったのか。ランドはよほど人材不足と見える」
ゴリラ女が笑うと、兵士たちも笑った。「なるほどな。おい、貴様は行って良い」
ゴリラ女が言うが、兵士はその場にとどまったまま出て行こうとしなかった。
「なんだ? まだ報告することがあるのか?」
「あのクスリ……」
「あのクスリなら、まだある」
「馬鹿め。貴様の持ち物ならすべて没収してある。それに、薬なら我が国にだってあろうが。ランドのような小国にはない高品質のものがな」
ゴリラ女が兵士を殴った。彼女は容赦がない。彼は机に倒れ込み、豆のスープをひっくり返した。スープが顔面の包帯にかかって、熱そうに悲鳴を上げながら転がった。アロイスはその声に少々の興奮を覚え勃起した。
アロイスは皿を直すふりをしてしゃがみ込むと、倒れている彼にそっと耳打ちした。
「愚図めが。とっとと衛生兵のところへ行け。その程度では仕事は休ませんぞ。今夜から再び任につけ」
ゴリラ女に首を捕まれて引き起こされると、悲鳴を上げて、兵士は部屋から出て行った。
「まったく。お恥ずかしいところを見せた。スープも台無しだな。ところで、元いた場所では薬師でもあったのか?」
ゴリラ女は好意的な解釈をしたようだ。
「まあ、仕事柄そのようなものも扱っていただけだ」
「そんなに質の良い薬があるなら、見せていただきたいものだ」
「機会があれば」
牢に戻される途中、兵士たちが立ち話をしているのが聞こえた。この国の勇者も使えないらしく、笑いものにされているようだ。面白いことに、ゴリラ女がその勇者を囲っているという。彼女はペドフィリアだろうか。祖国でも、ペドフィリアは少なくなかった。彼女のように力を持つ者なら、異世界から来た珍しい子供を愛でるのもおかしくはない。
「勇者とやらは、蟻みたいにこの世界にぞろぞろ来ているのかね」
案内係の兵士に、アロイスが尋ねる。
「たまに聞くなあ。ずいぶん強い勇者もいれば、この国みたいに使えない勇者もいるようだ。おっと、あんたも使えない勇者だったな」
兵士は笑ってアロイスを牢の中に突き飛ばした。
おそらく、スターテンはランドを取るに足らない勢力と考えているのだろう。その慢心を利用させて貰うとしよう。
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