第11話
「血も涙もない悪魔だと聞いていたが、単なる間抜けだったようね?」
敵の隊長だろう。ゴリラのように体躯のがっしりした赤毛の女が言った。胸が飛び出ていなかったら、女だとは気付かなかったかもしれない。声もしわがれていて、見た目よりも年を取って見えた。服の上からでもわかるほど、筋肉が盛り上がっている。腕まくりをした軍服の袖口から、周りの屈強な男たちにも劣らない筋肉質な腕が見えた。あんな腕で殴られたら、アロイスの首など一撃で吹き飛んでいってしまうだろう。
狭い殺風景な部屋に、手を縛られて椅子に座らされていた。机はない。ただ、部屋の中にアロイスの座っている椅子だけがあった。
部屋の中には、ゴリラ女とその部下のような男が一人立っていた。
「そのようだ」
アロイスが背筋を伸ばしたまま言った。後ろ手に縛られた手が痛む。
「あなた、甲冑も何も着てないけど、何者なの? 軍師かしら?」
「広義ではそうなる」
「狭義では?」
「拷問官」
彼女は眉根に皺を寄せ、首をかしげた。
「ふうん。変な服。もしかしたら将軍なのかしら」
思わず笑ってしまった。ゴリラ女の目がつり上がったのを見た次の瞬間、頭部に衝撃を感じて床に倒れ込んだ。遅れて頬が痛んだ。歯が転がっているのが見える。あれは自分のだろうか。ゴリラ女がとがった靴の先を拭いて、転がった椅子を蹴り飛ばした。
「それで、貴様は何しに来た? あの悪魔の所業は貴様か?」
あの拷問した死体のことだろう。ゴリラ女がアロイスの髪を掴む。むき出しの歯の隙間から、生暖かい息が漏れた。これが、この世界での事情聴取だろうか。聞いてはいたが、拷問もなければヌルすぎてがっかりした。
「戦争中に軍を率いてきたのだ。攻め込んで来たにきまっているだろう。それとも何か、この世界では軍を率いてティーパーティでもするのか」
ゴリラ女はアロイスの首元を掴むと、片手で持ち上げ、部屋の隅の転がった椅子の上に投げ飛ばした。勢いよく投げ飛ばされたので、頭を打って視界がぼやけた。ゴリラ女は気にせず、そのまま話を続けた。
「この世界では、といったな。まさか貴様、勇者様と同じ世界から来たのか」
目つきが鋭くなる。
「貴殿らの言う勇者様とやらが何者かは知らない。だが確かに、私は別の世界から来た」
アロイスが口の中に溜まった唾液を吐くと、血が混じっていた。やはり、先程の歯は自分のものなのだろう。
衛兵がざわついた。
「それで、何が聞きたい?」
「貴様らの戦略はどうなってる?」
失笑。
「私はただの捨て駒だ。そんなこと知るわけがないだろう」
「嘘だな。勇者を捨て駒にするはずが……」
「ここにこうやって捕まっているのに?」
ゴリラ女がアロイスを睨み付ける。
沈黙が部屋に帳を下ろす。二人の放つ迫力に、部屋の空気は圧縮され、真空状態になったみたいに感じる。部下の兵は唾液を飲み込むことにさえ疲労を感じた。まるで粘り気のある液体の中にいるようだ。
記録用紙に汗が落ちた。
「本当に貴様は勇者なのか……? あまりにも……」
「断っておくが」
沈黙を破ったのはゴリラ女だった。アロイスはそれを途中で遮る。まるで言葉の殴り合いだ。
「貴殿ら、この世界のもの達が期待しているような超能力など我々にはない。少なくとも私には。だからがっかりされたのだろう。むしろ邪魔になったのではないか」
ゴリラ女はアロイスを見下ろし、哀れむような目をした。
「貴殿らも心当たりがあるだろう? もしかしたら、自分達が勇者とあがめているものが、ただの人なのではないかと」
ゴリラ女が後ずさる。彼女も覚えていた、勇者への違和感。それをズバリ当てられたことで、呼吸がしづらくなる。ゴリラ女はアロイスに悟られないように表情に力を入れた。汗がこめかみを伝う。
「でなければ、私をこんな前線に、あんな馬鹿者と一緒に出陣させるはずがあるまい」
「確かに……」
ゴリラ女がつぶやく。
小さいが、確かに彼女にほころびが生じるのを感じた。
やはりな――アロイスは確信していた。この国に召喚されたと言われている勇者も、自分と同じ世界から来た同じ人間だ。それならば、世界一の強さを誇る祖国から来た自分以上に有能なはずがない。
「その勇者とやらに会わせてもらえまいか。同じ世界のもの同士、話せばわかることもあろう」
アロイスは穏やかな声で言う。
「それは出来ない」
反対に、ゴリラ女が厳しい声で断じた。「決して、貴様のような悪魔と勇者様とを会わせることは出来ない。あんなに無垢な子供を……」
言いかけて、彼女ははっとした顔をした。
「子供?」
勇者のことを口にしたときのあのゴリラ女の反応。これで合点がいった。この国に召喚された勇者も、役立たずというわけだ。
勝った――。
アロイスは突然、何度も地面に頭突きをした。驚いたゴリラ女が顔をのぞき込む。
「気でも狂ったか? おい、やめさせろ」
部下がアロイスを後ろから羽交い締めにする。ゴリラ女は、アロイスの顔をのぞき込んで、はっとした顔をした。「貴様……泣いているのか」
アロイスは額から血を流し、顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。
「私だって、来たくてこちらの世界に来たわけじゃない。勝手に呼び出されて、勝手にがっかりされて、勝手に殺されて。なんとひどい世界か。クスリでもやらないと正気を保つことが出来ん」
しばらく見下ろしていたが、ゴリラ女はアロイスの肩に手を置いた。
「また話を聞く。この男を牢に入れておきなさい」
そう言うと、ゴリラ女はどこかへ行こうした。
「一つ聞かせてくれないか」
アロイスが鼻をすすった。
「何かしら」
「貴殿はスターテン人か?」
「もちろん。生まれも育ちも純粋なスターテン」
「ほう、なら憶えておくが良い」
アロイスが唐突に顔を持ち上げ、歯をむき出しにして笑った。額から流れた血が、口の端を伝って口の中に入った。涙を流しながら笑っている彼に、ゴリラ女は今まで感じたことのない恐怖を覚えていた。
「貴様ら汚れた血は、全員狭い部屋に送って焼却してやる。この世に一欠片も残さず、殺菌消毒してやる」
血を吹きながら、アロイスは笑った。
「いかれたか……」
ゴリラ女は哀れみと困惑の混じった視線を向け、部屋から出て行った。代わりに厳つい体躯の衛兵が入ってきて、アロイスを殴った。何度殴られても、アロイスは笑うのをやめなかった。
「絶対に……殺してやる」
アロイスはつぶやいて意識を失った。
「いかれてるぜ、こいつ」
衛兵が不気味そうにつぶやいた。
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