第8話

 王の言う戦とは、ランドによるスターテン侵攻作戦だった。要するに、敵国を落としてこいと言うことだ。


 王はわざとらしく、すまなそうな顔をして言った。


「すまなぬなあ。今、指導者殿にお貸しできるのは一個小隊しかないのだ」


 この男は戦争を知らないのか。一個小隊で出来る戦争がどこにある。精精が偵察程度しか出来ない。道中、敵の部隊に遭遇しただけで全滅する。


「だが、勇者たる指導者殿ならば、これくらいで敵を圧倒できるだろう?」


 子供のように無邪気に笑った。ドブのような臭いが口から漂ってきた。


 この男に反論するのは無駄だ。本物の悪意の前には、どんな正義も太刀打ちが出来ない。


 アロイスは「善処する」と言って、部隊を招集した。作戦部や司令部に協力を仰いだが、無視された。王の指示だろう。なめられたものだ。アロイスとともに戦いたいという有志もいたが、それすら王に潰された。彼に与えられた小隊には、アロイスの演説に参加したことのないものだけが集められていた。


 アロイスは孤立した。


 部隊をまとめるのは、ハウプトマンという男だった。階級は大尉。彼に作戦を尋ねると「正面からぶつかりましょう」という答えが返ってきた。それだけで、この男に期待するのは無理だとわかった。とにかく、今回は敵情の偵察だけを目的としようという提案をした。ハウプトマンは不満げだったが、そのほかの兵士たちはほっとした様子でそれを支持した。ハウプトマン以外の誰も、この戦に対して前向きな気持ちを持ち合わせていなかった。


 出立の当日、アロイスは城内で演説を行った。今回は戦に出向かない他の軍人たちも聞きに来るように命令を出した。だが、集まったのは、徴兵された農民ばかりだった。それも王の策略だった。


「なぜ、我々は戦わねばならないのか。それは、悪しき敵国が我々を虐げているからに他ならない。では、なぜ虐げいているのか。それは、ランド人が優秀だからだ。だからこそ、突出した才能は絶望故に自死を選び続けている。諸君はそれが正しいと思うか。今こそ、我々が結託し、集い、奮起する。優秀な血がこれだけ集まれば、永遠をも手にすることができる。


 諸君。諸君らの体には優秀なランド人の血が流れている。だからこそ期待する。すべてのランド人が、ランド人らしくあることを。そして、私は約束する。悪しき敵国を殲滅する。一人残らず、赤子一匹余さず殺し尽くす」


 アロイスは拳を振り上げた。それに呼応するように軍服を着た農民たちが雄叫びを上げた。アロイスの背後で、彼らよりも大きな声で雄叫びを上げたのはハウプトマンだった。彼は涙を流して手を叩いた。


「素晴らしい演説です」


 握手をすると馬鹿力で返してきて、手の骨が粉々になるところだった。


 ハウプトマンの隣にいた王も、同じように手を叩いた。


「期待していますぞ」


 この狸が。いつか痛めつけてやる――。


 果たしてランド軍は出立した。軍とは言っても、今回は一個小隊程度の出陣である。ほとんど散歩に行くようなものだ。50人程度の隊で、司令官であるハウプトマンとアロイス以外はほとんど歩兵である。


 アロイスは一番後方から軍を支援することになった。乗馬は軍人のたしなみとして身につけていた。馬は異世界でも、元の世界と同じ四足歩行の動物でほっとした。


 戦車もない、ミサイルもない、爆弾もない戦争はこんなにものどかなのだなと、戦時下にあることを忘れそうになる。


 国を出る時も、特に見送りはなかった。


 それにしても――国の外は自然が美しい。文明が進んでいないからだろうか、緑は濃く、空気は澄み、鳥は歌うように舞っている。


「祖国も美しい森があったが、ここも素晴らしい」


「そうでしょう。この自然は我々ランド人の誇りです」


 併走している司令官が言った。


「この自然を守るためなら、我々は命も投げ出す覚悟です。今回の戦いでは、勇者殿が活躍する場はないかもしれませんなあ」


 豪快に笑う。彼個人を見れば、ずいぶん強そうではある。甲冑の隙間から見える顔に、武勲のごとき数々の傷が見える。体の大きさも、アロイスの三倍はありそうだ。もっとも、アロイスが枯れ木のように痩躯であるからなのだが。


 この世界は、祖国にいた頃に比べて数百年は遅れているようだ。アロイスが描いた拷問器具の設計図も、技師に説明して見せたがいまいち理解できないようだった。出立の前日までの間に、唯一目処がついたのは【アイゼルネ・ユングフラウ】だけだった。それにしても、今ひとつ満足のゆく精度ではなかった。今回の戦で捉えた捕虜を何人か使って、針の位置を調整しなければならない。そう言った意味でも、戦場に出られたことは悪くなかった。できるだけ生きの良い捕虜を手に入れねばならない。すぐ死んで貰っては困るのだ。


「司令官殿」


「ハウプトマンとお呼びください」


「ハウプトマン大尉。ちょうど良かった。私も勇者ではなく、アロイスと」


「勇者アロイス殿?」


「いや、私は勇者などではないのだ」


 ハウプトマンが眉をしかめる。


「どういうことですかな?」


「貴殿らが言うところの武勲のようなものを、私は持たない。元の世界にいたときも、戦いで功を立てるのではなく、もっと裏方の役割を果たしていたのだ」


「裏方ですか」


 納得いかないような顔をする。


「私は指導者だ」


「それは、軍師のような?」


「まあ、そう思ってくれて構わない」


 ハウプトマンは手を打った。


「なるほど。いやあ、私も不思議に思っていたのです。アロイス殿は甲冑も着ない、武器も持たないのでどう戦うのだろうと。魔術師なのかと疑っていたのです」


 あんな汗臭そうな甲冑など、願い下げである。誇り高き祖国の軍服を、こうして再現したのだから、これを脱ぐ道理などない。


「それに、この細腕」


 ハウプトマンのゴリラのような腕がアロイスを掴む。手加減の知らない彼の力に叫びそうになったがこらえた。


「これでは、剣を振るうのも一苦労だ」


 豪快に笑う。


「ハウプトマン大尉。そろそろ腕を放して貰っても構わないかな」


 平静を装っていたつもりだが、アロイスの眉がピクピクと痙攣した。ハウプトマンは全く気にしたそぶりもなく、彼の腕を放した。


「これは失敬。あなたのことはこのハウプトマンが命をかけて守りますので、貴族にでもなったつもりでいてください」


 彼は再び大きく笑った。


 戦場に出るのは、衛生兵だった頃以来である。今でこそドクトルなどと呼ばれ拷問官などしているが、元々は気の弱い人間だった。入隊した頃は衛生兵として戦場の空気を吸っていた。当時のアロイスは死の恐怖に震えてばかりいたものだ。それを変えたのが、初めて捕虜に対する拷問をしたときである。最初は、恐怖で手が震えるのだと思っていた。しかし、すぐにわかった。我が手は喜びに打ち震えているのだと。


 気の弱い人間ほど、残忍になれる。なぜなら、自分の限界を知らないからだ。普段から奔放にしている人間の方が、自身の限界を知っている分、無茶なことはしない。一度、常人の殻を破ってしまった人間は、もう元には戻れない。自分の力がどこまでも及んでしまう快楽に飲み込まれるからだ。


 いくつかの拷問によって得た情報によって戦争は優勢に傾いた。その功績により、ただの衛生兵から拷問官へと鞍替えされた。それは喜ばしい昇進とはいえなかった。拷問が好きな人間に癒やされたい兵士などいないだろう。実際のところは、アロイスことを気味悪く思った上司によって遠ざけられただけなのであるが、そんなことはどうでもよかった。好きなだけ拷問をして良いというのは、天職だと思った。彼のモラルや共感のリミッターは常人を遙かに超越していた。


 前方がにわかに騒がしくなった。


「どうやら敵に見つかったようですな」


 ハウプトマンがまるで鼻歌でも歌うように言った。


「戦闘? 今回は敵と遭遇しないようにルートを決めたはずでは?」


「まあ、運が悪かったと言うことです。いや、良かったのかな。力を見せつけることが出来ますので」


 ハウプトマンが、丸太のように太い腕を示した。アロイスはため息をついた。


「一つ、頼み事をしてもよろしいか?」


「なんでしょう、指導者殿」


「活きの良さそうな兵士を何人か、生きたまま捉えて貰いたい」


「なんのために? こんな前線に出てくる兵士など、たいした情報も持っていませんよ」


「それはまあ、私の仕事に必要なのだ」


「仕事、ね」


 ハウプトマンは甲冑の顎の部分をなでる。普段からの癖なのだろう。


 突然、ハウプトマンが雄叫びのような声を上げると、周りにいた兵士も同様に声を上げた。戦いに流れができてゆく。直線ではなく、回り込むような動きだった。なるほど、戦とはこういうものかと思ったが、やはり興味は持てなかった。


 空を見上げると、鳥が飛んでいた。あの鳥は祖国では見たことがない。祖国と比べ、ずいぶん気候が穏やかであることに気づいた。ここに呼び出されてしばらくたったが、アロイスは今更それに気付いた。戦いのまっただ中である。自分だけが切り取られた世界にいるように感じた。祖国では、寒さに震える日が多かった。幼い頃の自身を想う。


 アロイスは孤児だった。町に出て物乞いをした。貧しく、差別に晒され虐げられた幼少期。たった一つのパンを、自分より幼い子供から奪ったこともある。周りのすべてが敵だった。毎日、寝る前に明日が来ることにおびえた。


 日が暮れる頃、どうやら戦闘は終わったようだった。戦闘の終わりがどんなものかは知らないが、ハウプトマンが愉快そうに戻ってくるのが見えたので、終わったのだと感じた。彼の後ろには、手を縛られた兵士が馬に引かれていた。それを見て、アロイスも愉快そうな顔をした。


「ハウプトマン大尉。戦況は良いようですな」


 ハウプトマンの甲冑は血まみれで、濃厚な血の臭いを漂わせている。ずいぶん殺したのだろう。


「なんの。私の手にかかれば視界に入る大地すべてに敵兵の血をまき散らすことなどわけない」


「それは頼もしい」


「おっと」


 アロイスの視線を感じ、ハウプトマンは捕虜をつないでいるひもを引っ張った。


「こんなものでよろしいかな。いや、なかなか生け捕りにするのは難しい。何人か失敗してしまいましたよ」


 豪快に笑う。


 捕虜は全部で三人。体に傷こそあれ五体満足だった。目玉の一つくらいはなくても構わないが、できるだけ傷をつける箇所が多い方がはかどるというものだ。


「今夜はこの先でキャンプを張りましょう。ちょうど良い岩場があって、そこなら敵に攻め込まれにくい」


 ずいぶん殺し合ったのだろう。血の臭いが野営地まで届くほどだった。この臭いは久しぶりだ。大量の死体は、臭いが重なるせいかむごい悪臭がする。


「このハウプトマンに出会ってしまったのが、彼らの運の尽きといえましょう」


 本日の武勇を語るハウプトマンに、アロイスは適当に相づちをうちながら、あの捕虜たちをどうやって嬲ろうか考えていた。


「私はそろそろ、本分を果たしにゆきますので」


 アロイスが腰を上げると、ハウプトマンはまだ話したりないという顔をした。背中に何事か言葉を受けたが、アロイスは構わず捕虜の元へ向かった。


 捕虜は手足を拘束され、木に縛り付けられていた。彼らはアロイスの姿を見るなり、血走った目で彼を睨めあげた。


 その視線に震える。もちろん、喜びを感じてだ。


 捕虜は例外なく、これから何をされるかわからないとき、同じような目をする。そうやって威嚇することで、自身を守ろうとするのだ。今まで多くの同じ視線に晒されてきた。


 彼らはまだ若そうに見えた。彼ら程度の眼力では、アロイスに悪寒を与えるほどの迫力はなかった。小動物がおびえているようにしか見えない。


「我々を痛めつけても、貴様らに何のメリットもない。誇り高きスターテン兵士は、貴様ら薄汚いランド人には決して屈しない」


 捕虜の一人が叫んだ。


「勘違いするな。メリットのあるなしを決めるのは貴殿らではない」


 腰につけた鞄から、細い針を一本取り出す。それを見て、彼らはクスクスと笑った。


「そんなもので繕い物でもするつもりか。ちょうど良い。さっきの戦いでボタンが一つなくなったのだ。つけてくれないか」


 そう言って、捕虜の三人は笑った。アロイスも皺だらけの顔に笑みを貼り付けたまま、先ほどから喋っている男に近づいた。


 アロイスが指先に触れた――そう感じた刹那、男は夜の闇を切り裂くような悲鳴を上げていた。


 驚いて、仲間が目を見開く。その間も、男の悲鳴は続いた。


「やめろ! やめてくれ!」


「先ほどまでの威勢はどこへ行った?」


 男は大量の涙を流し、顔を紅潮させ、こめかみには青筋を立てていた。針が彼の人差し指の爪と皮膚の間に刺さっていた。


 他の捕虜たちは何が起こったのかわからず、顔を真っ青にした。


「うーん、そうだな。では、耐えきったら逃がしてやろう」


 その言葉に、男は希望を見いだしたのか顔に生気が戻ったように見えた。


 不思議なものだ。どんなに絶望的な痛みを与えても、生きて帰れる道を与えてやると、皆、同じ顔をする。


「ほら、まだ始まったばかりだぞ。頑張りたまえ」


 針がズブズブと潜ってゆく。爪が皮膚から離れてゆく。燃えるような熱い痛みと、凍えるような背筋の寒さ。男は口の端から泡を吹きながら耐えた。顔は赤らみ、青筋がこめかみに浮いていた。国に残してきた子供の顔を思い浮かべれば、この程度の痛みを堪えることなど造作もない。


「私は兵士だ。どんな痛みにだって耐えてきた。剣で体を貫かれたときは、こんな痛みではなかったぞ。さあ、約束通り堪えた。この拘束を解け」


 男が脂汗を浮かべながら、口の端を持ち上げる。ピクピクと唇が震えているが、アロイスはそれについては何も言わなかった。


 再び、腰の鞄から針を取り出す。


「誰がこれで終わりと言った? さて、次はどの指にしようか……おや、君はまるで生まれたての赤子だな。人前で尿を漏らすなんて」


 先ほどまで強がっていた、屈強な男は今では赤ん坊のように泣いている。まだ続くと言うことを知って、男は失禁してしまった。


 アロイスはため息をついた。


「許してくれ……もう、十分痛めつけたじゃないか……」


 捕虜の男は涙を流して懇願する。両脇の男たちが震える。


「先程までの威勢はどうした? もっと強い痛みにも耐えてきたのだろう? ん? 私は繕い物しか出来ないのだったか? それと、薄汚い……なんだったかな?」


 再び針を刺す。ブツッと言う音とともに、肉を進んでゆく感覚。弾力があり、指から漏れ出した血で針が滑る。


「謝ります、ごめんなさい。二度と言いませんから許してくださいいいい」


 口から泡を吹いて懇願するが、アロイスの耳には届いていなかった。何度も押し込もうとするが、針が血で滑って進まない。不健康な血だ。ベタベタしている。


 アロイスは黙って手を拭いた。鼻水を垂らして泣き叫んでいた男は、それを見て終わったと思ったのか急に笑い出した。


「ふは……ふははもう終わりか。耐えきってやったぞ。さあ、早く解放しろ」


 不意に、腰の鞄に手を延ばす。手にしたのは金槌だった。男の顔から血の気が引く。


「まったく、君はせっかちだな。もう少し楽しもうじゃあないか」


 アロイスの手には、まだ八本の針が握られていた。

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