第5話
アロイスは、納屋に人が入りきらなくなると、城や城下町を問わず、あちこちで演説を続けた。次第に、アロイスは皆から慕われていった。これは祖国の指導者の模倣だった。確かに、彼こそは本物だった。
自分は彼になれるだろうか――。
自分にはかの偉大なる指導者ほどの才能はない、ということはわかっていた。彼らの心をもっと掴むことはできないだろうかと悩みながら、アロイスは城の中を練り歩いた。
「アロイス様、アロイス様はさすがだなあ。みんな、アロイス様を慕っている」
シドが崇拝するような目でアロイスを見上げた。
「名はなんと言ったか」
「俺ですか? シドです」
もう、何度彼の名を聞いたか忘れたが、彼はそのたびに嫌な顔一つせずに答えてくれる。祖国に残してきた、補佐の青年を思い出す。彼も純粋な男だった。彼が自分に対して嫌悪感を抱いていたことを、アロイスは知っていた。むしろその方が良い。アロイスは自分に心酔する人間を嫌っていた。彼らはどんなに頑張っても、アロイスフォロワーにしかなれないからだ。
「普段は何をしている」
「農民です。小麦を作っております」
興味のない様子でアロイスはため息をついた。このところ、接する人間が増えたせいか、人を覚えられない。偉大なる指導者はそういうことも得意だった。
「シド」
城の廊下を歩いていると、女がシドを呼び止めた。見ると、小柄な女だった。そのせいだろうか、シドよりも幼く見える。髪の毛が陽光を反射してキラキラ光る。ソバカスが似合う少女だ。小柄ではあるが、ほどよく肉がついており、あの肉をたとえばのこぎりでひいてみたらどうだろうかと考えた。久しく拷問をしていない。それも、アロイスの憂鬱の一つだった。
「マリア」
「君の細君かね」
何気なく言うと、二人は顔を真っ赤にした。
「ま、まさか。ただの幼なじみです」
シドがまくし立てる。マリアは少しがっかりした顔をして見せた。無垢な子供のようである。
「あなたがアロイスさんですね。お噂はかねがね」
マリアは丁寧にお辞儀をして見せた。祖国とは作法が違うが、それでも彼女からは気品を感じた。作法は違っても、相手に礼節を尽くしていることは、所作から伝わる。余計に、彼女を傷つけてみたい衝動に駆られる。その高潔な魂からは何が吐き出されるのか興味はあったが、ここで波風を立てるのはよくない。無意識にいやらしい笑みを浮かべていた。それを見て、マリアは引きつった笑みで応えた。
「こんなところで何してるんだよ」
シドが子供のように口をとがらせた。実際、彼らはアロイスからみたら子供である。少年兵を拷問したこともあったのを思い出した。彼らはなかなか骨があって嫌いではなかった。
「お弁当を忘れたでしょう。持ってきてあげたのに、その態度はなに」
マリアが差し出したのは、いかにも子供らしい弁当袋だった。手作りなのだろう、工業製品にはない温かみがあった。そして、ワンポイントの刺繍。
「なんだよ、それくらい。今俺は国の将来を左右する……」
シドの声を遮って、アロイスは弁当袋を取り上げた。驚いて、マリアはそこにはもうないはずの弁当箱を、まだ持ったままのような姿勢で固まった。
「どうしたんですか、アロイスさん」
シドの声はアロイスの耳には届いていなかった。
この刺繍、あの記号に似ている。祖国の旗に使われていたあの記号。
そうだ、わすれていた。
そして、わかった。
この国に欠けているものは――。
「これは、君が作ったのかね」
弁当袋を掴んでグイと差し出すと、マリアは戸惑ったように頷いた。
「マリアはお針子なんです」
「ヴンダーバール!」
「え?」
「素晴らしいと言ったのだよ。ありがとう、君のおかげでこの国は戦争に勝てるぞ」
アロイスは弁当袋から弁当箱を取り出して投げ捨てると、袋だけ持って駆け出した。
「あの人、不気味ね。それに酷い人」マリアが泥のついた弁当箱を拾い上げる。蓋が外れて、おかずがこぼれてしまっていた。
マリアがこぼれたおかずを拾おうとすると、シドが横から手を伸ばした。落ちて泥のついたおかずを口に運ぶ。
「シド、汚いわ」
「なあに、これくらい。俺たち百姓は、この土に作物を育てて貰ってるんだ。汚いなんて言ったらバチが当たるよ」
それを見て、マリアが微笑む。
「やっと笑ってくれた」
言われて、マリアが顔を赤らめる。
遠くからランド兵が軍事演習している声が聞こえた。
「戦争なんて……おこらなければいいのに」
「何を言っているんだよ。これは俺たちランド人の誇りをかけた戦いなんだ」
「誇りって何。命よりも大切なこと?」
「そうだ。我々ランド民族の高潔な魂は、個人に宿るのではなく全体に宿るのだ。だからたとえ俺が死んでも、それは民族の糧になる」
「あなたの口から、そんな知性のある言葉が出るとは思わなかった。アロイスさんの受け売りかしら?」
つい、生意気なことを言ってしまう。言葉を発した後に、マリアは後悔した。
今度はシドは顔を真っ赤にする番だった。
「そうだよ、悪いか。あのお方は素晴らしい。目が覚めたよ」
真っ赤な顔で怒ったように言うシドを、マリアはまっすぐに見詰める。
「ねえ、シド」
「なんだい、マリア」
「約束して。あなたは変わらないでいてね」
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