第4話

 城下町に降りると、富裕層よりもみすぼらしい格好をした民が目についた。付き人の青年シドが言っていたように、植民地として搾取され続けているのだろう。格差が広がるに任せているのだ。


 ――よく聞く話だ。彼らのような無能な民草は搾取されて当然である。そこに同情の余地はない。


「こちらは?」


 下町は世界が違っても同じようなものである。そこから漂ってくる『臭い』は遠く離れていても鼻を突く。


 町の中で、一層薄暗い通りがあった。建物は続いているのに、意図的に道の先が見えないようにしてある。レジスタンスどもがいかにも好みそうだ――。


 アロイスは後ろ手に組み、シドが制止するのもきかずにそちらへ足を向けた。奥へ進むたび、懐かしい臭いがする。これはデカダン(退廃)の臭いだ。性根の腐った人間が汚物と一緒に溶けて混ざり合った臭いだ。


「ほう」


 思った通りである。プンと甘酸っぱい香りが鼻につき始めたあたりから、路上に泥酔しているような男が転がっているのが目につくようになった。もちろん、彼らが酔っているのは酒ではない。窓から女がこちらを見ていた。歯が溶けてなくなりかけている。しゃれこうべのように痩せ細った顔で、不気味に笑って、枯れ枝のような手で手招きしていた。


「人は貧しくなると現実逃避を始める。それが、より貧しくなる道だと言うことがわかっていても、泥沼にはまるようにやめられないのだ。まるで重力がそうさせるように、下へ下へと沈んでゆくのだよ」


 祖国でもこういったものに溺れる輩はいたが、当局にばれないよう周到に隠れていたものだ。そういったアジトを探し出すことも、拷問官の仕事の一つだった。彼らは骨がないので、つまらない仕事だった。


 通りの一番奥まったところにある建物から、より一層の甘い香りがした。立ち止まるだけでクラクラする。薬と言えば祖国でもペルビチンが広く蔓延していた。中身は覚醒剤と同じメタンフェタミンである。手軽に摂取できるように錠剤のものが出回っていた。戦時下では兵士に配っていたものである。だが、この香りは違う。メタンフェタミンではなく、芥子の果汁だ。いわゆる阿片に違いない。


「なんかやばいところですね。やめましょうよ」


 シドはブルブル震えていた。臭いに当てられたのだろうか。


 アロイスは躊躇なく建物の扉を開けた。建物の中は窓がすべて塞がれているのか真っ暗だった。玄関口にろうそくが立っていて、そこに老婆と女が一人座っていた。


「一見さんはお断りだよ」


 重くたれたまぶたの下から、老婆の眼光が光った。その威圧感は、老婆とは思えぬほど重厚だった。事実、シド青年はヒッと悲鳴を上げてそこに尻餅をついた。


「漏らすんじゃあないよ」


 老婆が言う。歯がないのだろう。顎がくしゃりと縮む。


 アロイスは構わず老婆の髪の毛をひっつかむと、グイとねじった。老婆は潰れた蛙のような声を出した。隣にいた女は悲鳴を上げて奥へ消えた。


「薬はどこだ」


 老婆が叫び声を上げると、部屋の奥から屈強なチンピラたちが出てきた。


 髪を掴まれたままの老婆が不敵に笑う。アロイスは掴んでいた髪の毛を引き寄せて、老婆の目玉に裁縫用の針を近づけた。


「なんだそりゃあ。お裁縫でもするつもりかい、兄さん。ばばあを人質に取ったところで、俺たちには何の脅しにもならねえぞ」


 一番若そうなチンピラが下品な笑い声を漏らす。


 アロイスは無言で老婆の目玉をえぐった。老婆の眼球は、まるでたこ焼きをひっくり返すみたいに、眼窩からボロリと飛び出した。まだ神経でぶら下がっている。


 一切の躊躇がなかった。老婆はぎゃっぎゃっと叫ぶ。アロイスはもがく老婆から決して手を放さなかった。痩身のどこにそんな力があるのか、老婆は逃げ出せそうにない。


 チンピラが舌打ちした。


「いかれてんな、おっさん」


「君はいかれていないとでも言うのかね」


 言って、今度は素手で老婆の耳を引きちぎる。


「耳というのは、案外簡単にちぎれるものなんだ。君もやってみるといい」


 アロイスは老婆をチンピラの方へ投げ捨てる。


 若いチンピラの顔が青ざめた。


「あんた、一般人じゃあねえな。一体何が目的なんだ」


 それまで黙っていた男が言う。男はこの一味の頭領だろう。アロイスに視線をピタリと合わせ、決して目をそらさない。彼の視界に老婆は入っていない。


「なあに、薬を見せてほしいと思ったんだが」


「あんた、ヤク中には見えないが」


「私が使うのではない、仕事で使うのだ」


「金はあんのかい」


 アロイスは王から渡された金の束を投げ捨てるようにおいた。


「接収してもよいのだが、民草をいたずらに刈り取る気はない。これでも慈悲深いのだ。それと……」


 アロイスが老婆の口の中に金を突っ込んで、彼女を投げ捨てた。「これはわびだ。とっておきたまえ」


「女は?」


「女なぞいらん。薬だけもってこい」


「あんた、変わってるな。まあ、金を払うなら問題ねえ」


 男が言う。


「変わっているのは私ではない、私以外の者の方だ」


 アロイスは薬を受け取ると、袋の中身を見た。生阿片の粉末のようだ。祖国に比べて文化水準の劣るこの世界では、これが精精か。


「また来る」


 アロイスが出口へ向かうと、老婆が眼球をぶら下げたまま、包丁を抱えて突っ込んでいった。それをチンピラの頭領が殴りつける。倒れた老婆を踏みつけると、アロイスに向かって言った。


「悪いな、兄さん。もう来ないでくれ」


 アロイスは答えなかった。


 店の外にシドが座り込んでいた。いつの間にか逃げ出していたのだ。彼のことを忘れていた。彼は涙目になってアロイスにすがりついた。


「寿命が縮みました」


「それはよかった。長生きなどしてもよいことなど何もない」


 アロイスは今し方手に入れた薬を見下ろした。生阿片は純度が低い。これを精製してモルヒネやヘロインにしてこそ価値がある。この国の設備で出来るかわからないが、やるしかない。


「さて、この世界では、どんな拷問をしようか。その前に、これを精製する必要があるな」


「しかし、よかったんですか。そんなもんに大枚をはたいて。そんな粉、食っても腹が膨れそうもないのに」


 アロイスは笑った。彼のような純粋な人間は嫌いではない。


「無能な王がいくらでも金を吐き出すことだろう。あれにはそれくらいしか能がない」


 王の顔を思い出そうとしたが、はっきり思い出せなかった。思い出せるのは、一目見た瞬間に、あの男が能なしだと思ったことだけだ。能なしでなければ、こんな勝ち目のない戦争をしかけることなどしないだろう。


「ああ、今日は気分が良い」


 またあの拷問の日々が過ごせると考えると、至上の喜びを感じる。

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