第2話 哀れなるかな異端の亡者

 中央大聖堂カテドラルからのお告げによってもたらされた情報に従ってロドスが辿り着いたのは、歓楽街の端にある酒場だった。屋号の看板も出していないそこは、通りまで漂う酒の匂いが唯一の看板であると言えるほどそっけない外観をしていた。歓楽街にある他の店が、過剰なほど煌びやかに飾り立て、必要以上に店名を主張する看板を掲げていることに対すれば、慎ましやかといえる店構えだった。

 しかしお告げによって与えられた情報から、そこは慎ましさとは正反対の腐敗と堕落の巣窟であることをロドスは知っていた。故に己の行動に何ら疑問も躊躇も抱くことなく、扉へと手を伸ばした。

 「……?」

 ロドスが扉を開くことを止めたもの、それは下方からロドスの腕へと添えられた小さな手だった。薄汚れているものの、襤褸切れという程でもない衣服を着た小さな少女、その手が伸ばされ、ロドスの腕をローブと装飾品の上から掴んでいたのだった。

 「どうした?」

 「ここは、……、入っちゃだめだよ。お父さんとお母さんもね、入ってから出てこなくなったの」

 それだけでこの少女の身に起きた不幸は察することができた。きっと両親は異端者ヘレティックへと堕ち、この少女はこの場所に取り残されたのだろう。同情するに余りある不幸な身の上ではあったが、ロドスにとって不幸な少女にしてやれることなど、ここへ来た目的と変わらないことだった。

 「安心しろ、私は救済サルヴェイションを施しに来た。貴殿の親御もまた、救われるだろう」

 「……、うん。終わらせてあげて」

 ローブと装飾品を身にまとい、救済サルヴェイションと口にする、それは審問官インクィジターであることは子どもにでも分かることであり、その者の言う救いとは苦しみの連鎖と自分では抜け出すことの叶わない異端からの終焉という名の死であることは自明であるはずであった。しかしその上で、すべて理解した上で、その少女は無表情に、同意の返事をした。幼い少女からしても、いや幼く純粋であるからこそ、それしか救いはないということが理解できているのだろう。

 果たして振り切るべき逡巡を持ち合わせていたのかどうか、それは当人にしか知りえないことではあるが、しかしロドスは先ほどよりも少し勢いよく手を伸ばすと、扉を押し開いた。そして店内を見回す。

 「いらっしゃいませ」

 低く落ち着いた声音の店員がグラスを磨く店内は狭く、カウンター席が数席あるのみの空間であった。建物の外観からすると明らかに狭く、店員の後ろにある扉の奥、通常ならバックヤードである場所こそがこの建物の主要な部分であることは明らかであった。

 「なぜ、私がここへ来たかは分かるな?」

 「さて? ……如何なご用事でしょうか」

 声に威圧を込めた断定口調でロドスが問うが、しかし店員は心底分からないといった様子で返答する。その様は落ち着きがありつつも疑問を感じているといった態度であったが、しかしロドスもまた、微塵の動揺も無くカウンターの端で琥珀色の液体を飲んでいた客の手元を一瞥し、続けて店員の後ろに並べられた赤い液体入りの瓶を見回しながら、決定的な言葉を告げる。

 「弁明は無駄だ、すでにお告げは下っている。それに……、奥からするのは血の匂いだな。ワインもブランデーもここにあるものだけのようだ」

 店員はそっとグラスを置くと、先ほどまでより明らかに鋭くなった目線でロドスを凝視する。そして何の合図も無く、カウンターの端で飲んでいた客は予備動作なく手を振って、手に持ったグラスを中の液体ごとロドスへと投げつけた。

 まっすぐに店員を見据えるロドスの左肩にグラスが当たり、しかし分厚いローブのおかげか、割れることなくグラスは床へと落ちていき、ただロドスの肩をアルコールで濡らす。そしてその客が奇声を上げると、いつの間にか取り出していた小型のナイフの刀身が炎に包まれ、未だ何の反応も見せないロドスへと飛び掛かる。

 「審議デリバレイト

 不意にロドスが左手を伸ばし、一言呟くと、床から天井へと光の柱が伸びて、そこへ囚われた客は空中で飛び掛かる体勢のまま凍り付いた様に動きを止め、拘束される。そして、ここでロドスがちらりと目線だけでその客を窺うと、目は血走り、呻きながら拘束を逃れようとするその姿に理性を感じることはできなかった。そしてさらに、その口元からは店の奥から漂うものと同じ匂いまで感じられた。

 「哀れな異端者ヘレティック、いや吸血異端者ブラッドテイカーか? 刑を執行する、審判ジャッジメント死刑キリングエンド

 拘束されているとはいえ抵抗の意思を持つ相手に対して、ロドスは右手を腰の魔導宝剣の柄に置き、その宝剣の持つ制御補助の力をもって強力な光線を左手から放つ。

 「――ぐぴ」

 空気が噴き出すような奇怪な音を最後に、拘束されていたその客は頭部を弾けさせて骸となって崩れ落ちた。

 「ちぃっ」

 手を出しあぐねているのか、ここまで警戒しつつも手を出してこなかった店員が小さく舌を打つ。その顔は先ほどからそこにいる店員の物であったが、しかしその表情は常人では目を合わせるだけで気が触れそうなほど鋭い視線に、牙を剥いて唸る口元で構成された化け物のそれとなっていた。とっさに手にしたのであろうアイスピックをゆらゆらと揺らす様は行動に迷う素振りではあったが、その視線は微塵も揺るがずロドスの両目を捉え続けていた。

 既に敵の懐中へと踏み込み、事を起こしたロドスとしては時間をかけることの利点などは見当たらず、それ故に正面から叩き潰すべく身じろいだその瞬間、店員はそれまで小さく唸りを発していたその口を大きく開く。

 「イィィィィィィ!」

 顔の半分を占めるのではないかという程開いたその口腔から暴力的なまでに不快な音波が放たれるが、右手を魔導宝剣の柄に添えたまま薄く全身を発行させたロドスに影響は出ない。

 「ふん」

 しかしロドスの表情は少しの翳りをみせ、その心中には面白くない感情が滲む。一般人を怯ませる程度のその咆哮は攻撃ではなく味方への警戒であろうことは明白だったからだ。事実騒がしくなった店の奥の空気がその事を証明し、そしてロドスをさらに面白くない気分にさせる。

 「そこまでにしてもらおうか、審判ジャッジメント死刑キリングエンド

 そこで左手を伸ばしたロドスが光線を放つと、店員は口を閉じて歯を食いしばり、両手を顔の前で交差してみせる。

 「んぎぃぃ!」

 続いて響いた鈍い衝突音と店員の先ほどとは質の違う叫びが響き、さらに続けて枯れ木が爆ぜるような音が店内に反響する。後に残るのは交差した腕の内、右は消し飛び、左がちぎれて肘から折れた骨と切れた筋をぶら下げた状態の店員と、ついに不本意な内心が眉間の皺として表出したロドスであった。常人であれば痛みで動けないような状態となった店員は、ますます敵意を漲らせた目を吊り上げ、左手を振りかぶるとカウンターを飛び越えてロドスへと迫る。

 「何度でも再審してやろう、審判ジャッジメント死刑キリングエンド

 己の骨をロドスの眼窩へと突きこむべく左手を突き伸ばそうとした店員は、しかし再度放たれた光線に胸部を打ち据えられ、その勢いでカウンターの向こうへと戻され壁に激突して床へとずり落ちる。心臓を含む臓器の幾つかを抉り潰された店員はそのまま呻くことも無く沈黙し、肉塊と成り果てた。

 特に満足も安堵も示すことのないロドスは、先ほどとは違い奇妙に静まり返った扉の向こうを見据える。中央大聖堂カテドラルからのお告げに応え務めを果たすために踏み出された一歩は、迷いのない動作で血と肉と異端で汚れた床を踏み、重い音を響かせた。

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