第3話 執行者が歩む血濡れた正道

 ロドスが扉を開けると静かで、よく掃除がされた綺麗な廊下が目に入った。左右にいくつか扉があり、奥には上へと続く階段がある。飾り気の一つも見当たらないその廊下には人の気配も感じられず、ロドスを飲み込もうとでもするかのように口を開いて待ち受ける蛇の顎の様でもあった。

 「……む」

 そこでごく小さな呻きを漏らしたロドスの胸中にあるのは、異端への敵意と人敵への嫌悪だった。感じられないのは“生きた”人の気配のみ。そこには、そしてその先には、人の残骸が放つ臭気と、ロドスが最も嫌う人ならざるものの気配が漂っていた。

 がちゃりがちゃりと無遠慮な音を立てながらロドスは一つ一つの扉を開けて中を一瞥しながら進んでいく。警戒しないのは人ならざる気配は上からしかしないため、それでも開けるのは臭気は部屋の中から漂ってくるためであった。かくしてロドスは全ての部屋を確認しつつ廊下の端まで歩み、人が食料や嗜好品として消費された結果の惨状を全て目に焼き付けた。そしてロドスがその目で見た光景は全て、特殊な魔導技術で接続された懐中端末に保存され、教会チャーチから転送されることで全ては中央大聖堂カテドラルの知るところとなる。そんな審問官インクィジターの責務への忠実さ故か、あるいは異端への敵意を胸に刻むためか、本意の窺い知れない無表情を貼り付けたロドスは、踏みしめるようにしっかりとした足取りで階段を登る。

 上がってわかったのは壁と扉しか見えないこと、そしてこの階に複数の不穏な気配が潜んでいることだった。視線を険しくし、そして右手を腰の魔導宝剣の柄に添えたロドスは一息に扉を開けると部屋へと踏み込んだ。まず見えるのは広い一室の奥に設えた趣味の悪い玉座と、そこに姿勢よく掛ける老年の男。そして自分の足元にちらつく影だった。

 「正義の衣ガウン・オブ・フェイス

 「ぶふっ」

 「べひ」

 ロドスが自身を覆って発生させた薄紫に輝く半球状の皮膜に、死角から飛び掛かってきた二体の吸血異端者ブラッドテイカーが張り付いていた。接触した部分が煙を上げてゆっくりと爛れていくのも構わず、その二体は皮膜にしがみ付き必死の形相で手にした刃物と己の牙を突き立てるが、皮膜もその発生源であるロドスも微塵も揺るぐことはなかった。

 「審判ジャッジメント死刑キリングエンド

 姿勢を変えないままロドスが声を発すると、薄紫の皮膜は白く発光し、距離を代償に広範囲化された衝撃によって吸血異端者ブラッドテイカーを吹き飛ばす。そして二体がどちらも天井に激突して床へと落ちると、その生死を確認することも無くロドスは口を開いた。

 「お前がここの吸血異端者ブラッドテイカー達の首魁だな、お告げにより救済サルヴェイションを施しに来た」

 「我々を異端と呼ぶなぁっ! 傲慢な独裁者の手先風情がっ! 殺戮を救済だなどと寝言をほざけるのも今の内だ……っ」

 ロドスが声をかけた瞬間に激昂した玉座の老人は、鼻の頭に皺を寄せ、唾を飛ばしながら反論した。しかし元より論を交わす気など毛頭ないロドスは伝えるべきは伝えたとばかりに左手を振り上げる。

 「審議デリバレイト

 座った姿勢のまま光の柱に囚われた老人は、口許を笑みに歪めて鼻を鳴らすと、次の瞬間には血煙となって爆散した。光柱から噴出した血煙は、散じることなくロドスの面前に流れ込むようにして集まると、両腕を広げた体勢の老人へと姿が戻る。

 「細胞の一片まで異端に浸食されているか」

 驚くことも無く発したロドスの呟きにまたも含まれていた一言が気に食わなかったのか、老人は顔を顰めながらロドスを抱きすくめるようにして拘束する。人外の膂力で締め付ける老人の両腕は、ロドスが常時展開している魔術的自己防護と拮抗し、場違いに美しい火花を散らす。そして老人が吸血異端者ブラッドテイカーたる証ともいえる牙を見せつけるように口腔を開き、ロドスの首筋へと目線を向けた。

 「聖槌ガベル

 しかし老人の牙はロドスに触れることなく、不可視の槌に打ち据えられた老人は部屋の奥へと吹き飛ばされる。そして玉座の向こうの壁へと叩きつけられる瞬間に再び血煙となって一時的に散逸し、今度はロドスから離れた場所で老人の姿へと結集した。その表情は苦々しく、拘束した状態から引き剥がされたことが不本意であったことを雄弁に語っていた。

 「審判ジャッジメント死刑キリングエンド

 老人の意向に沿うつもりも、その胸中を聞くつもりもないロドスが異端者ヘレティックに死をもたらす光線をすぐさま放つが、当たった瞬間に老人は血煙となって同じ場所で姿を取り戻す。

 「再審」

 再び、ロドスは同じ光線を同じように放つものの、その結果もまた同じであり、あえて言えば老人のいら立ちを増している程度の効果でしかなかった。

 「く、くははっ! 手がないなぁ、どうする審問官!」

 上級審問官ハイ・インクィジターの手にする必殺の刃として知られる攻撃魔術、死刑キリングエンドを受けて無傷である老人は、己の優位を確信して笑う。一欠けらの焦りも見せないロドスの表情を見て喚起される、冷たい感覚を振り払うように笑い続ける老人の視界の中で、ロドスが右手首の腕輪に何度か触れると、それまで常に薄く発光していた全身の装飾品がすべて輝きを失い沈黙する。異端に堕ちずに魔術を行使するための防護具ブレスを突如停止させたロドスの行動に意味を見出せない老人は、状況に狼狽して喉の奥から呻きを漏らした。

 「レイ・レイン」

 これまでの厳粛な発声とは違って、どこか流麗な印象を抱かせる発音がロドスの口から発される。その瞳は金色に輝きを放ち、輝きが消えた防護具ブレスを代替するかのようにロドス自身が薄い輝きを纏う。そして間を置かずに光の雨が老人の周囲にのみ降り注ぎ始めたところで、老人は慌てた様子で血煙と化す。

 「ぐひぃあああ!」

 漂う血煙から悲鳴が響き、すぐに止んだ光の雨に代わって老人が姿を戻す。しかしこれまでとは違い、その姿は元通りではなく全身に小さな傷を無数に負い、立っていることもできずに膝をついていた。ちょうど初めの場所へと戻っていた老人が先ほど座っていた玉座の端に手をかけて顔を上げると、その混乱に塗れた顔をロドスへと振り向ける。

 「防護なしで魔術を!? 血の眷属でもない貴様がどうやってその様な!」

 状況も分らぬままに突如として追い詰められた老人が狼狽をそのまま口に出すが、当然それに取り合わないロドスはもう一度口を開く。

 「セイクリッド・ランス」

 自分を取り囲むように出現した無数の光球を目にした老人は、口を何度か開閉した後に絞り出すように言葉を紡ぐ。

 「このような……、このようなもの魔術ですらあるはずが、もはや古代の秘術ではないか…………」

 瞳の金色をより強めたロドスは、視界を埋め尽くすように飛び交う極彩色の幻覚に一切目線をとられることもなく老人を見据え、防護具ブレスを介さないことで可能となっている非正常な構造の魔術を完結させる。光球は順に動き出し、細長い槍状へと歪みながら老人に殺到していく。一つ目が当たった瞬間に老人は血煙となり、二つ目が当たった瞬間に血煙は鳴動し、三つ目が当たった瞬間に血煙は老人となって、四つ目以降の全てが老人を玉座へと磔にする。

 「あ、がぁ、が……、ば、けもの、めぇ……」

 口から血と怨嗟を吐き出す老人は、しかしすぐに赤い灰となって玉座の座面へと舞い落ちる。

 「――む」

 そこで黒目に戻ったロドスは苦し気に口端を歪めて半歩よろめき、二度、三度と小さく首を振る、が顔を上げて赤灰の積もる玉座を見るその顔は何事もなかったかのような無表情を取り戻していた。

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