【2】ない編 第4話 …引き返せない。
あの時…。
こんな世界に、しかも記憶を奪われた状態で産み落とされたこの運命を呪っていたあの時。
失望を通り越して絶望。『やり直す』どころではなく、悟った気になっても結局出来る事といったら不貞腐れる事ぐらい。そんな、もうどうしていいのか全く分からなくなっていたあの時。
内蔵ダンジョンはこう言った。
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【あの、マスター…あの、やり直そうとする事自体、無理があるんじゃ…いえ、やり直そうとしなくても、いいんじゃないでしょうか?】
「は?知った口利いてんじゃ…」
【あの!】「ぬ…なんだよ…」
【先程も言いましたが…私も記憶喪失なのです。どのようにしてマスターとこのように同化してしまったかは覚えていますが、何故、マスターの中に私のコアが在ったのかという、そもそもとしての謎については、全く分かっておりません。それに、ダンジョンなら最低限備わっていたはずの知識や機能についてだって、覚醒していない部分については殆ど覚えていない状況です。
……白状しますとですね。さっきまでの私の発言は全て手探りだったのです。何故なら覚えている事は私がマスターの中に宿るダンジョンである事と、ここがおそらくは地球である事…これくらいで…。
あと出来る事と言ったら、ダンジョンとしての本能的な直感を信じる……それくらいの事なんですよ。】
「……いやだから結局何が言いたいんだお前…つかそれって自分の事『ダンジョンとは名ばかりで人の頭ん中で空気も読まずただベラベラ喋るしか能がない……つまりは役立たずな小心者』って言ってるようなもんなんだが。それわかってる?」
今思えばあの時の俺はかなり末期な感じでささくれ立っていた。だからこんなひどい事も平気で言えた。
【ぐはぁ…辛辣…っ!…くぅぅ…ひどいです。マスター……はぁはぁ…ぐ、う、…そ、そう…ですね。今の私は、確かにそうです。…今の私は、ただの役立たず。でも…】
でもアイツときたら、それでも食い下がって来た。…多分だが…キャラではなかったろうに。
【でも!まだ完全に失った訳ではない!……って、何故だか…私には分かるんです!私に備えられていたはずの機能や知識は現状、封印されているだけなのだと!
いずれマスターと共に成長していけば、この封印は段階的に外されていくはず。何故だか、それが分かっていますっ!
ダンジョンとしての本能的な直感が、私にそう告げるのです!であるなら!きっとマスターの記憶だって……!それに……ですよ……?】
? なんだよ…
【私に干渉し、マスターの中に封印した者…いえ、もしかしたら『私達』に今もなお干渉し続けているかもしれない何者かは、かなりの可能性で存在すんじゃないでしょうか?
その者がどんな素性で、どんな狙いがあったかはわかりません。その者が敵か味方かもわかりません。…ですが、私達の両方が、その何者かによって奪われてしまったのかもしれない!大事なものを………………こんなこと……マスターは腹が立たないんですか!?】
…コイツ。
【『やり直す』?とんでもないです!大事なものを奪われてほったらかしにしたまま、前なんて向ける訳ないんです!
マスターは呆気なくも殺されました!塵芥同然の扱いを受け、なすすべもなく殺されました!この事からも…もしかしたら記憶を失くす前のマスターはなんとも残念で、ヘタレで、十把一絡げな凡夫であったのかもしれません!】
「いやお前な…」
【ですが…それでも懸命に生きていたのでしょう!?自分や自分に関わる人やお仕事に、自分なりの真摯さで向き合い生きていたのでしょう!?少なくともそのつもりだったはずです!どんなにみすぼらしくとも、しっかりと生きた証があったんですよ!きっと!かろうじてでもっ!そうでしょうっ!?】
うん。まあそうなんだけど。
「お前いつか殴るから。」
【ひィ…っ!】
「いやマジで。絶対殴るから。」
【ぐぅぅ……っ!…で、でででも!そうでしょう?やり直す必要なんてないですよ!この場合は、『取り戻す。』です!『やり返す!』でもいいでしょう!】
「取り戻す……?」
【そうですっ!地球がこうなってからどれほどの月日が経ったのか……そんな事すらまだ不明なままなんですよ?
そう、まだこうなってしまった地球を何も理解していないのです『私達』は!
マスター、このまま、奪われたモノの行方を不明としたまま…諦めてしまっていいんでしょうか?このまま泣き寝入りして、いいんでしょうか?何一つ取り戻そうとしないまま時を無駄にしても、いいんでしょうか!?
もしかしたらマスターのご家族やご友人や、もしかしたら麗しき想い人だっていて、まだ生きておられるかもしれないというのに!それを確かめもしないで、このまま、ここで朽ちていくって言うんですかっ!?そんな…そんなの、いいんでしょうか!?】
「ぐう……コイツ…」
…空気読めねーし、
常識もないようだから、
本来ならコミュ力も低いんだろうけど……
【マスターーっ!】
「くそ……」
言ってる事も多分めちゃくちゃなんだろうけど…
【マス…】
「お前…けっこー説得うまいよな。」
【マス…ター…?】
…
……
…………
………………
………… …… ……しょうがない。
「………………………………………やるか。」
【ッ!マスターーーー!!!】
「うるせえ!だからうるせえっ!頭ン中響くって!あといつか絶対殴るから!」
【あうぁ…す、すみません…マスター】
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……というやり取りがあったのだ。
(と、言う訳で。『内臓ダンジョン』の助けもあって今俺は泣けなしの勇気を……絶賛、振り絞り中で………そんで…)
遂に、発見してしまった。
単独行動をしているゴブリンを。
発見して今、様子を見ている最中だ。
「様子を見る限り近場に仲間は……いないな。」
【はい…大丈夫だと思われます…】
「じゃあ………行くか」
【そうですね……行きましょう】
──記憶の中にかろうじて残ってる──
──自宅アパート。その外観──
エレベーターのない3階建てアパートで、その3階に俺の部屋はあった。玄関ドアを開けて出た先には、コンクリートで出来た3階通路があったはずだ。
俺は今、その、記憶の中の部屋を出た。
でも踏み出した先にあるそこはあの3階通路ではない。
今踏みしめているここは…
どこかの洞窟…の地面。
灰色で…殺風景な洞窟の地面。
やたらデコボコとしている。
ヌルッとした風が吹いてくる。
サワサワと産毛をさすってくる。
それは、無謀にもこの世界に立ち向かう事を選択した俺を引き止めようと、力なくさすってきている…そんな風にも感じられた。
その錯覚に後ろ髪引かれ、俺はせめてもう一度見納めておくかと、夢想した。もう一度。自分の部屋を。…どうせなら実家の方を夢想したかったけどな。残念ながら記憶の中に、もうない。
(ああ、多分ここには…もう戻れない)
さぁ、未練を捨てる時。
俺は、卒業する事にする。
俺にとっての『日常』の象徴だったあの部屋から。
今ここで、『日常』への未練を断ち切る。
差し迫ったこの決意と
この、弱虫で強い相棒と
共に往く。
ほら。
皮肉な事だが今ならちょうど都合がいい。俺の日常は記憶を奪われ虫食いだらけになってしまったのだから…ちょうどいい。
だからしばしの別れだ。日常よ。
(『取り戻す』その日まで…)
俺はそう心の中で呟きながら、
今や幻となった己が棲家に背を向ける。
そして──進撃。
俺はこれから──殺すのだ。
あのゴブリンを。
誰かの仇という訳でも、生活する上で駆除の必要に迫られた訳でも、親しい誰かに頼まれ仕方なくという訳でも、つまりは使命である訳でも、仕事にしている訳でも、これを趣味にしている訳ですらなく。
義務も義理も…多分だが権利だって本当はない。
これは欲。
ただ、経験値が欲しくて。
そんな時にたまたま…単独で目の前にいるから。
(そんな、これ以上なく身勝手な理由で俺は、あのゴブリンを殺すのか……あの3人組と、何が違う…?)
【マスター…】
「いや忘れてくれ。ちょっと日和っただけだ。」
【…………はい】
そうだ。これは感傷だ。俺はあのゴブリンに同情なんてこれっぽっちもしてない。だってそうだろう。先に見つけられたのが俺だったら?先に見つけたのがあのゴブリンだったら?俺は即座に襲われていたはずだ。そしてそれは、既に実証された事実だ。
俺が本当に惜しいと思っているのは…違う。ゴブリンの命じゃない。もう戻れない。それを…恐れ……いや。
(サラバ──日常──?まだ甘かった…これはもう、『コンニチワ』だろ…)
血塗れのインナー。
血塗れのボクサーパンツ。
血塗れの…棍棒。
確かに。
これは中途半端に物騒なラインナップ。
だがそれらを身に着けた俺はもう許されないだろう。半端など。中途半端だとすぐに死ぬ。
自身を認識しろ。
現実を認識しろ。
今を認識しろ。
新しい日常も、
ほら
もう一度だ。認識し直せ。
血塗れの棍棒も…よし、振り上げてる。あとは振り下ろすだけの状態だ。これくらいは出来て当然。
それが『日常』となるのだから。
更に血塗れる。
そ んな日 常。
ほら、俺!
打撃音だ、、鳴らせっ!
この幕開けを、、
、 、告げるんだ。
ない編──了。
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