第六章 蜂起する戦士(前編)

 首都シウダの広場で、今の政府の横暴なやり方に対して抗議する集会が開かれた。

 次第にそこに多くの人が集まり始めたが、暴動に発展する事を恐れた政府側が軍を派遣し行動を開始した。抗議集会の参加者におびただしい数の負傷者を出すことで、これは鎮圧された。

 その翌日、アウルム国全域のテレビとラジオの電波をジャックしたレジスタンスの本部が、声明を発表した。

『我々はアウルム国反政府活動組織連合『アウルム国解放戦線』である。

 我々は、親愛なる国民諸君に問いかける。

 現首相グラテア・ザナンを許すべきか?

 彼が率いる政府の暴走を許すべきか?

 彼が指揮する軍の横暴を許すべきか?

 粛正の血によって塗り固められた彼の権力を許すべきか?

 暴力の恐怖による彼の統治を許すべきか?

 先日オルゴで起こった、民間人に対する無差別攻撃、昨日のデモ隊に対する強制排除。

 最早この国の軍隊は、国家の本質たる民を守護するという能力は既に失われ、横暴な権力者が自らの地位を死守するための私兵と化している。

 我々はこのことを許すべきだろうか?

 全ての問いかけに対する答えは、皆等しく『否』である。

 どれ一つとして、許すべきではない。

 最早一刻の猶予も許されない。

 彼等が非道なる暴力を用いて我々を弾圧するのならば、我々もまた暴力によってこれを打ち倒す他に道は無い。

 見よ、副首相ファウラ・ザナンを筆頭とする、我々の同志となった憂国の志士を。

 何も恐れることは無い。

 『アウルム国解放戦線』は抵抗勢力だが、同時に民主主義の手続きによって選ばれた議員と共にある。

 我々は、国民の声無き怒りの代弁者なのだ!

 親愛なる国民諸君。

 革命の時が来たのだ!

 『アウルム国解放戦線』の旗の下に集い決起せよ!

 今こそ我々は一丸となって、真の国家、真の自由、真の正義を取り戻そうではないか!』

 翌日、『アウルム国解放戦線』は行動を開始した。

 『不等な武力による統制への抵抗とこれの排除。副首相ファウラ・ザナン及び複数議員の連盟によるグラテア・ザナンの弾劾決議提出の為の護衛』と言う名目で、ウォーカー部隊による首都への進行を開始したのだ。

 これに抵抗するために国の側は各軍事基地から兵力を呼び戻した。それと同時に、首都に駐留させていた兵力を用いて応戦した。

 アウルム国建国史上例を見ない大規模内戦が開始された。

 ラルフとエミリーがヴォルク共和国との国境線の山脈に向けて出発したのは、その日の夜だった。

 護衛数名と共に出発する二人を、クリスとソフィアは見送る。

「それじゃあエミリー、ラルフ、しっかり頼んだぞ」

「お二人とも、どうかご無事で」

 対するエミリーは、笑顔のまま二人の言葉に応じた。

「兄さんこそ、ソフィアのこと、しっかり守りなさいよ」

 クリスは「ああ、任せておけ」と短く応じた。続けてラルフが言った。

「俺達のことは、あまり心配しなくていい。それよりも……」

「任せておけって。大変なのは分かってるけど、無理な作戦じゃないんだ」

 心配そうにするラルフに対して、クリスは被せるようにしてそう言うと背中を叩いて送り出した。

 二人はレジスタンスの用意した車に護衛と共に乗り込み、手にした資料や極秘文書と共に、ゴルデアからの使者との合流地点を目指して出発した。

 作戦の伝達と見送りのために来ていたサイラスは、クリスと一緒に車を見つめていた。そして、その姿が完全に見えなくなるとクリスに言った。

「無理な作戦じゃない、か。あえて質問するが、それは実働部隊としての君の本音か?」

「本音ですよ。確かに無茶な作戦ですけど、それでも、可能性があるんだから無理な作戦じゃない。それに、始めたからには勝つしかありません。そうでしょ?」

 クリスのその言葉を受け、サイラスはやや厳しい表情になりながら返答する。

「先に声明を出して、喧嘩を仕掛けたのはこちら側だ。仕掛けた以上、勝たなければならない。君たちの働きには期待している」

「やってやりますよ。俺達だって、そのために生きてきたんだ」


×××


 エミリーとラルフの二人を見送った日の深夜、クリスとソフィア、そして〈アルゴス〉が『アウルム国解放戦線』の拠点の一つへと、偽装トレーラーに乗せられて移送を開始した。

 大型トレーラーは夜の道を進むが、軍による警戒や監視の目は全く見あたらない。都心部から離れた郊外では、まだ監視や警戒の目も緩いのだろう。

 クリス達はそのトレーラーの中で、サイラスからの説明を受けた。

「〈アルゴス〉のメンテナンスは一度我々の方に任せて欲しい。各種消耗品や燃料、武器弾薬の補充は可能な限り行う。機体性能と前回の実績で考えれば、君たちには最前線への切り込み隊長役を任せることになるはずだ。その分、機体の調整には多少の融通が利くと思うが、何か注文はあるかね?」

 最前線への切り込み隊長。

 それはつまり「死んでこい」と言うのと殆ど同じ意味合いだが、クリスはそう言われるだろうということも、そうならざるを得ない現状も十分に理解している。

 そもそもレジスタンスの連合組織である『アウルム国解放戦線』が所有するウォーカーは、数という点でも質という点でも正規軍に大きく劣る。レジスタンスがウォーカーを手に入れようとすれば、鹵獲と密輸以外に手段はない。そうなると当然数を揃えることは困難になるし、入手できる機体が損傷していたり型落ちであったりということが殆どになる。民間用のウォーカーを改造する事もあるが、数合わせ程度の意味しかない。

 ほぼ新品の状態で入手された高性能ウォーカーである〈アルゴス〉は、『アウルム国解放戦線』にとって重要な戦力になる。先日の戦闘での実績があるとなれば尚更だ。

 少し考えた後にクリスは返答した。

「可能なら、装甲の増加補強と火器の増設をお願い出来ますか? 実を言うとラルフからもその辺りのプランが出ていたんです。俺達だけじゃ全然金もなかったし設備もないから実行には移せなかったんですけど」

 そう言ってクリスは、いくつかの設計図をサイラスに渡した。それに目を通しながらサイラスが言った。

「ここまであれば十分に可能だろう。コイツは整備班に一緒に渡して事情を説明しておく。出撃までには間に合うはずだ」

「ありがとうございます」

「大人が、命を賭けろと命令するんだ。このぐらいのワガママには付き合う義務があるだろうさ」

 彼等を乗せたトレーラーは目的の場所に着いた。そこは廃屋となっていたウォーカーの組立工場を利用したレジスタンスの拠点の一つであり、ウォーカーをはじめとする各種装備の整備を可能とする、大規模偽装基地だった。

 トレーラーから降りたサイラスは〈アルゴス〉を運ぶように指示を出した後、かつて従業員の寮だったと思われる建物にクリスとソフィアを案内した。

 そして、部屋番号の書かれた鍵を渡しながら言った。

「何しろ大規模作戦でかなりの人数を集めたからな。正直、部屋数にあまり余裕がない。小さな部屋を一つしか用意できなかったが、それで構わないか?」

 サイラスの言葉を受けクリスはソフィアの方を振り向いた。

 それを受けたソフィアは「……わ、私は問題ありません」と応じた。

 建物の前に着き、案内の役割を終えたサイラスが言った。

「作戦開始までは待機していてくれ。準備が整い次第こちらから連絡する。水道と電機は一応使えるようにしてあるがなるべく節約してくれると助かる。電灯についても使うのは控えてくれ。……あとは、食事に関してだが」

 クリスは持ってきた私物の大きなカバンを見せながら言った。

「自前の食料がありますよ。問題ありません」

「すまんな、気を使わせる」

 レジスタンスの懐事情はクリスもよく理解していたし、戦闘参加時の食料確保の重要性も十分に心得ていた。もとより嫌でも貧困層の暮らしが身に染みている彼にしてみれば、レジスタンスの作戦で満足な食料が提供されること自体想定していなかった。

「……クリス、少しいいか?」

「何ですか? ソフィア、先に行っていてくれ」

「はい、クリスさん。あ、カバンは私が持っていきます」

 ソフィアはクリスが持っていた大きなカバンを預かり部屋に向かった。サイラスはそれを見ながら、クリスの肩を引き寄せて言った。

「二人っきりだからといって、くれぐれも問題のある行動はするなよ?」

「ど、どういう意味ですか!?」

「あまり深い意味はないさ。それと、ウォーカーのパイロットにはこれが支給されている事になった」

 サイラスはそう言ってクリスに荷物を手渡した。それは緑色のややゴツい服の上下二人分だった。

「これ、もしかしてパイロットスーツですか?」

「そうだ。以前から計画して作らせていたんだが、どうにかこのタイミングに間に合わせられた。プロテクターと耐熱素材による生存性の向上、各種センサーによる生存反応の確認、後は内蔵式通信機器だな。多少は作戦遂行がスムーズになるはずだ。使ってくれ」

 パイロットスーツを受け取ったクリスは、お礼を言うとそれを持ってソフィアが先に行った部屋の方に向かった。

「入るぞ、ソフィア」

「……はい、どうぞ」

 一目で年季の入っていると分かる室内は、今にも消えそうな裸電球の常夜灯によって、かろうじてオレンジ色に照らされていた。窓には、埃だらけで日に焼けた分厚いカーテンが掛けられている。この程度の明かりであれば外に漏れる心配もないだろう。

 部屋はとても狭かった。そもそも一人用の狭い部屋だったらしく、そこに二人分の簡易ベッドと荷物を詰め込んだことで足の踏み場は殆どなくなっていた。全体的にカビと埃の匂いが蔓延しており、ここが本来ならば建物としてとっくに死んでいたことを思い知らされた。

 だが。

「寝具が揃ってるだけだいぶマシか。長居するわけでもないし」

 クリス達が今までいた環境と大差ないというのが、彼等の生活の実態だった。

「先ほどは、サイラスさんと何かお話をされていたようですが、いったい何を?」

「まあ、色々とな。これをもらったんだ。ソフィアの分もある」

 クリスはそう言って、ソフィアにパイロットスーツ一式を渡した。ソフィアはそれを、珍しそうに見て言った。

「……パイロットスーツという物ですか? 兵士達が着ているのを見たことはありますが」

「そうだな、ウォーカーに乗る時に着るやつだ。民間人上がりのレジスタンスじゃ使ってる人は少ないけど、サイラスさんが今回の作戦の為に準備してくれたらしい」

「……これ、もしかして私の分なんですか?」

「ああ、ソフィアのだ」

 彼女は興味津々といった感じで、手にしたパイロットスーツを眺めていた。そして、しばらくそうした後に顔を上げて言った。

「……今、着てみても、……いいですか?」

「そうだな、何時呼ばれても良いように、今のうちに着替えておいた方がいいかもな」

「……なるほど、少し待っていてください」

 ソフィアそう言うと、ブラウスのボタンをはずして服を脱ぎ始めた。

 クリスは少しの間呆気にとられながら、ソフィアのまだいくつもの傷が残る白い肌と、『女性』になり始めた痩せた体が露わになっていくのを見ていたが、途中でふと我に返り慌てて体ごと後ろを向いた。

「い、いや、別にそういうつもりはないからな! その、ご、ごめんソフィア、俺……」

 焦り、シドロモドロになりながらそう弁明した。これに対して、ややあってからソフィアがクリスに声をかけた。

「……あの、クリスさん、……私は、特にそういうのは気にしませんが」

「俺が気にするんだよ! これはケジメだ」

 いつもとあまり変わらない口調で話すソフィアに対し、クリスは動揺を隠しきれないまま早口でそう応じた。再びの沈黙の後、ソフィアは小さく言った。

「……優しいんですね、クリスさん」

 クリスは、ソフィアの方を振り向かないようにしたまま自分の分のパイロットスーツを手に取る。

「俺も着替えるから向こう向いてろ。終わって、良いって言うまで振り向くなよ?」

「……はい、分かりました」

 狭く、常夜灯が放つオレンジの光が頼りの薄暗い部屋に、しばらくの間衣擦れの音だけが響いた。

 触れずとも、体温を感じることが出来るような距離だった。クリスは窓を閉め切った部屋の中に、埃とカビ以外に、うまく表現することが出来ないが異性特有の香りがあるのを強く意識していた。

(……サイラスさんも妙なことを言うし、ソフィアも可愛い女の子なんだから、そりゃあ全く意識するなって方が無理な話だよ。だけどさ、そういうのはやっぱり違うだろ? 守るって誓った相手なんだから、信頼を裏切るなんて最悪じゃないか)

 クリスは一度手を止めると深く深呼吸し、首を振って気持ちを切り替える。

 やがて衣擦れの音が止み、二人はしばらくの間背を向けあったまま立ち尽くしていた。

 最初に言葉を発したのは、ソフィアの方だった。

「……あの、終わりましたか? クリスさん」

「ああ、終わった。ソフィアは?」

「……私もです。終わりました」

 二人は同時に振り向き、パイロットスーツを纏ったお互いの姿を、そこで初めて確認した。

 パイロットスーツのデザインは、緑の戦闘服をベースに中世の騎士甲冑を彷彿させるような意匠のプロテクターが各所に施されているものだった。分厚く作られた襟にスピーカーとマイクが内蔵されており、手甲状になっている袖についているスイッチで操作が出来るようだった。

 重量があり少々暑苦しいが生存性の向上という意味では信用できる、というのがクリスの第一の感想だった。

「ソフィア、サイズ大丈夫か?」

 そう聞いてはみたものの、細身のソフィアにはいくら丈が合っていても持て余し気味になっていることは一目で分かった。そして、帰ってきたソフィアの回答も案の定だった。

「……少し、大きいみたいですね。……すみません、調整とかって上手く出来るんでしょうか?」

「ベルトで締めるくらいかな。今はいいけど、ウォーカーに乗る時は少しキツめに締める位でちょうどいいと思う」

「分かりました。ありがとうございます」

 クリスは内心、一安心していた。

 ソフィアでもそれなりの服を着れば戦士のように見えるかとも思っていたが、いくらゴツいパイロットスーツを身に纏っていてもソフィアはソフィアのままだった。

「よし、明日に備えてこのまま寝るぞ。戦闘が始まったら次にいつ休めるか分からない。持ってきた食料は起きてから食べよう。あの携帯食なら何時でもすぐに食えるしな」

「……分かりました」

 物騒な服装に似合わないソフィアの屈託ない笑顔を確認したクリスは、部屋のスイッチを消して無理やりに二台入れたと分かる簡易ベッドの一つに横になった。ソフィアもそれに倣うようにして隣のベッドに寝そべった。

 灯りを消した部屋の中が静寂に包まれる。

 その沈黙の中、ソフィアが話しかけた。

「……そういえば、クリスさんってウォーカーの操縦はどこで習ったんですか?」

「いや、特に習ってはいないんだよな。でも、何となくやってみたら、我ながら結構上手く出来たんだ」

 〈アルゴス〉の性能や『心眼』の助けがあるとはいえ、プロの軍人に対してでも互角以上の戦いが出来るクリスだが、専門的な訓練を受けたことは一度もなかった。ウォーカーに初めて乗ったのは孤児になった後である。

「……そうだったんですか。クリスさんって、本当に凄いんですね。もしかしたら……」

「ん? どうかしたのか?」

「……前に聞いたことがあるんです。ウォーカーの操縦に特化した才能の持ち主がいるって話を。確か『新しい才能』って言っていました」

「『新しい才能』か。初めて聞く話だけど、もしそうだったら我ながら心強いな。……ところでソフィア、パイロットスーツ結構ゴツいけど、当たって痛いとかないか?」

「……布団が敷いてあるので、それほどでも。……軍の施設にいた時は、もっと酷い状態でしたので」

 その言葉でクリスは、ソフィアの今までの境遇をハタと思い出す。ソフィアの今までの生活が、クリスにとっても想像を絶するものであったことは疑いようが無かった。

「……よく、今まで耐えて来たな」

 思わず口から出たクリスのそんな言葉に、ソフィアは静かに反論した。

「……やめてください、クリスさん。……そういうのは、……全部終わってからにしませんか?」

 対するクリスは「……そうだな」とだけ短く応じた。

「……私は、もう絶対に逃げないし、……弱音なんて言いません。……力になると決めたから、お荷物になんてなりたくないんです。……例え強がりでも、我儘でも、それを譲るつもりは、……絶対にありません」

 決して口調が強いわけではない。

 大きな声というわけでもない。

 しかしそのソフィアの言葉は、今までクリスが聞いた中でも一番『強い』と感じることが出来た。

 クリスは、ソフィアは気が強いという訳でも、攻撃的というわけでもないが、とても我の強い性格だということを、ここにきて初めて実感できたような気がしていた。

「俺の負けだよ。分かった、ソフィアの我儘に付き合う。その代り俺も、俺のやり方を貫く。良いよな?」

「……はい!」

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