第五章 決戦前夜(後編)


×××


 サイラスがクリス達のところを再び訪れたのは、それから三日後のことだった。

 彼はクリス達に、本部で決定した大方針を伝えた。

「軍との戦力差を考慮し、戦いは最長でも一週間で決着を付ける。レジスタンスの全戦力を、首都シウダの首相官邸に向けて投射。当然軍はこれに対処するために兵力を首都に集中させるはずだ。これによって国境警備隊に対する動員が行われ、監視の目が弱くなったタイミングで北方山脈のヴォルク共和国国境線に向かい、ゴルデア帝国の使者と接触する」

 サイラスの語った作戦の概要に対して、真っ先に疑問の声を上げたのはラルフだった。

「どうしてヴォルク側の国境なんですか? あそこだと距離が随分あります。結構道も険しいですよ」

 そしてこれにエミリーが追随する。

「そうよね。道も殆ど舗装されてないし、というかあの辺の国境線って山脈よね。だから見つかりにくいかもって事ですか?」

 二人の言葉に対して、サイラスは頷きながら応じた。

「目くらましになるというのも勿論ある。だがそれ以上に、国同士の関係性の問題があってな。現状、ヴォルクとゴルデアは表立って対立していない。裏ルートのパイプはしっかりと存在するんだ。アウルム国の現政治体制を終わらせることは、間接的に中央大陸連邦に対するダメージになり得る。そう考えれば、ある程度以上の協力は期待できる。逆に、中央大陸側を使った場合は、そこからアウルム国の政府側に情報が漏洩するリスクが高いからな。ゴルデアの使者にこちら側が情報を渡し、それが『理由』になり得るという判断が下れば、アウルム国の海上監視網のぎりぎり外側で待機している空母から爆撃機が飛び立ち、レジスタンス側のターゲットの潜伏先の首相官邸めがけて空爆開始、というわけだ」

 サイラスが作戦の概要を話し終わると、真っ先にクリスが言った。

「陸軍基地には迎撃用の戦闘機がいるはずだし、首都にはレーダーと連動する対空防御システムがあったはず。それに、そもそもこちらの渡した情報に対して、向こうが首を縦に振らない限り空爆は行われない」

「ああ、そういうことだ。先ずは空爆の効力を最大化するために、首都の首相官邸へ向けて進行を開始し、軍をそこに集めさせる。そうすれば空爆によってアウルム国の兵力を大幅に削ることが出来るから、空爆で殺せなくても人間が突入することも容易になる。事前に察知されて戦闘機を出されるのを避けるために、空爆が決定した段階から首都の防空設備を全て無力化。万が一空爆が行われなければ、その時は無理矢理にでも部隊を突入させて、差し違えてでも首相の首を取る。まあ、正直言ってかなりの綱渡りだが、そこでクリス達の役割についてだ」

 ゴルデアの航空戦力による爆撃作戦。

 急な話ではあったが、クリスにとっては想定していた事態だった。

 上陸作戦や艦砲射撃が現実的とは言えない以上、航空機による爆撃を選択することになる。それが、クリスでも気が付くぐらいに現実的な選択だということは、当然国もそれを警戒している。

 特に首都の対空防衛システムは、過剰と言えるほどまでに強力だ。

 外周の四方には対空レーダーが存在し、そのレーダーの反応を捉えて自動発射される多連装ロケットランチャーが配備されている。更に首都の中央には、同じく対空レーダーとそれに自動連動して迎撃を行う、多連装高角機銃が配備されている。

 これに加えて、首都防衛の地上部隊が臨戦態勢で配備されており、ゴルデアの航空機爆撃を成功させることが、いかに困難であるかは容易に想像が出来た。

 最初からこうなることをある程度予想していたクリスは、サイラスに対してどう返答するべきか、迷うことなく結論を出した。

「なら、俺達のやることは決まってると思います。ラルフとエミリーは情報を持って国境に向かい、ゴルデアからの使者と接触してそれらを渡す。その間、俺は〈アルゴス〉に乗って戦闘に参加。それが最善でしょう」

「ちょっと兄さん、何言ってるのよ!? レジスタンスの戦力が足りないって言ってたのを忘れたの? ウォーカーを扱える私たちが戦闘に参加した方が良いはずよ」

「それは間違ってない。だけど、この作戦の一番重要な部分は、ゴルデア主導の国連軍を動かして、戦闘に介入させ空爆を成功させる部分だ。その為には、確実に相手を動かす方法が必要だろ?」

「それは、そうだけど……」

「情報は、託された本人が渡すべきだし、悪い言い方だけど子供の言葉の方が相手の心を動かしやすい」

 クリスがそこまで言うと、ラルフが声を上げた。

「クリス、確かにお前の言ってることは分かる。しかし、それならエミリーと一緒に行くべきは俺じゃない。俺が残ってウォーカーで戦い、クリスがエミリーと一緒に行くべきなんじゃないのか?」

 クリスはこれに対して、ラルフだけでなく全員に向けるようにして返答した。

「まあ、本来ならそれが筋なんだけどさ。サイラスさんも見てたでしょ? オルゴでの作戦会議の時、俺が感情にまかせてムチャクチャやったのを。失敗出来ない重要な場面に俺がいてあんな風にやったら、それこそマズいでしょ。だから、当事者のエミリーと冷静で頭の切れるラルフが行った方が、よっぽどいいのは間違いない」

 オルゴのレジスタンス拠点でクリスは、売り言葉に買い言葉という形で作戦方針を決めてしまった。失敗できない交渉の場にそういった人間がいることがリスクになるというのは、確かに事実だろう。

 クリスは更に続ける。

「それに〈アルゴス〉の性能は、戦力で劣るレジスタンス側には絶対に必要ですよ。皆だって知ってるだろ? 俺のウォーカーの操縦技術。それからソフィアは――」

「――わ、私は残ります!」

 クリスの言葉を遮って発言したのは、ソフィアだった。

 彼女は声を震わせ、今にも泣き出しそうな表情のまま言葉を紡ぐ。

「……私は残って、ク、クリスさんと一緒に戦います。〈アルゴス〉の性能を引き出すためには、わ、私はいないと駄目ですよ? そうですよね?」

 クリスは思わず黙ってしまった。彼にしてみれば、ソフィアの発言は完全に想定外であり虚を突かれる形になってしまった。

 しばしの間全員が沈黙する中、それを破ったのはサイラスだった。

「……君たちの言うことはもっともだ。今回の話は、本部に持ち帰って計画に組み込ませてもらう。作戦開始のタイミングは、決定次第また連絡に来る。今日話した内容で準備を進めておいてくれ」


×××


 灯りを全て消した潜伏中の建物の中から外の様子を見ていたクリスのところに、ソフィアがやってきた。

「……み、見張りお疲れさまです、クリスさん」

「ソフィアか。どうしたんだ? こんな時間に」

「……い、色々考えてしまって、き、今日はなんだか眠れなくて、それで」

 開け放たれた窓の先には、夜闇に溶けた町の様子が広がっている。この場所も以前クリス達がいたオルゴと同様の、社会階層の低い人間達の町だ。普段であれば一晩中明かりがつけられて喧騒が聞こえ、雑然とした活気が広がっている地域だったが、今は驚くほどの静寂に包まれている。

 戒厳令が出されたことで臨時的に軍が実権を握り、夜間の外出者に対する罰則が決定されたからだ。

 ソフィアはクリスの隣に座り、そして言った。

「……クリスさん、ほ、本当は私を戦闘から、……外そうとしていましたよね?」

 そんな彼女の言葉に対してクリスは「……いや、まあ」と曖昧に返すことしか出来なかった。

「……わ、分かるんです、私には。……〈アルゴス〉に乗って、『心眼』を使って力を増幅しない限り、私に出来ることは限られています。気配や予感みたいな、曖昧な感触でしか人の存在を察知出来ませんし、思考を読みとると言っても、おおよその『色』みたいなものが分かるくらいです。……そ、それでも、クリスさんが何を考えていたかは分かります」

 クリスは無言のまま視線をソフィアの方に向けた。

 星明かりが頼りの暗い部屋の中だが、ソフィアの長く白い髪も、透き通るような肌も、今にも泣き出しそうな表情も、確かに見ることが出来た。

「……わ、私はクリスさんに、まだちゃんと恩返しが出来ていません。全てを無くして、それこそ、死んでも良いと思いながら暴れて、……だけど結局何も出来なくて、死ぬのが怖くなって、……そんな私を助けてくれたのが、クリスさんなんですよ」

 クリスはソフィアと最初に出会った日のことを思い出す。

 彼は試作型ウォーカーの強奪に向かった基地で、暴走するターゲットのウォーカーと、そしてそこに乗る傷だらけの少女に出会った。その少女がソフィアだった。

 クリスにしてみれば、その時にソフィアを助けたのはただの偶然だった。

「ソフィアにそう言ってもらえるのは嬉しいよ。だけど、結局俺はソフィアの力に頼ってる。ソフィアには、出来れば戦って欲しくないんだ。なのに、結局〈アルゴス〉の性能とソフィアの力がなかったら、俺には何も出来なかった。俺は結局、ソフィアの力を利用しているだけなんだ」

 両親が死んだ後、クリスは何度も見てきた。

 他者を利用することばかり考える人間を。

 弱い立場の者を踏み台にすることしかしない人間を。

 他人の痛みを理解出来ない、いや、理解していたとしても見て見ぬ振りをする人間を。

 自分はそうじゃないと証明したかったクリスにしてみれば、ソフィアを見捨てて切り捨てるなど出来るはずがなかった。

 しかし、結果としてソフィアの力はクリスが戦うためには必要だった。誰かを守ろうとクリスが戦うことはソフィアを最前線で危険に曝し、力を行使するために負担を強いることになった。

 それはクリスにとってみれば無力さの証明に他ならなかった。自分が嫌って軽蔑してきたような人間と、自分も同類であると言われ続けているようなものだった。

 ソフィアは静かに首を横に振った。

 星明かりを受けた長い白銀の髪が揺れる。

 相も変わらず気弱そうな、今にも泣き出しそうな表情だが、最初に会った頃に見せていた怯えは、今ではもう無くなっていた。

「クリスさん、そ、それは違います。一緒に戦うのは私の意志です。それを利用していると言うなら、それでも構いません。……ここが最後なんです。私にとっては最後の、ただ一つの居場所なんです。……昔から、自分に力があるのは分かっていました。だけど、村を襲われた時には、この力は何の役にも立たなかった。……でも、今は違うんです。今ならこの力で、クリスさんを、一緒に戦っている皆さんを守れるんです。だから私は、戦うんです。これは私の意志だから、私の望んだ、私の願いだから、だからクリスさんは、私に対して後ろめたさなんて感じる必要はないんです」

「だけど、力を使えば苦しむのはソフィアなんだろ? 使い続ければ負荷がかかるし、それに相手が死ねば――」

「――平気ですよ」

 そして、精一杯のぎこちない笑顔を作りながら言った。

「ただ痛くて、気持ち悪くて、苦しいだけなら、私がそれを耐えるだけで、いつかは終わります。だけど、後悔だけは絶対に消えないんです。無力さの悔しさと、失ってしまった大切なものは、絶対に帰ってこないんです。それに比べたら何ともありませんよ」

 今のクリスには、ソフィアを止めて引き戻すだけの力が無かった。

 有効で現実的な代替案を示すことが出来ないなら、何を言おうともそれは偽善者の綺麗ごとに過ぎない。

 クリスは一度大きなため息を吐く。そして再びソフィアの方を向き直り「俺の話、少し聞いてくれるか?」と言った。対するソフィアが頷いたのを受けて、クリスは口を開き話し始めた。

「俺とエミリーの両親はさ、国の行政官だったんだ。昔は首都の方に住んでたし、学校にだって通ってた。貧民街の暮らしなんて、想像すらも出来なかったんだ。だけど父さんと母さんは、国の機密事項を偶然知ったせいで、粛正の対象になったんだ。その動きに気が付いたから、極秘資料を俺達に託して、俺達を親戚のところに預けようとしたんだ。俺とエミリーが詳しい事情を知らされないまま電車に乗せられた、その直後だったんだよ。反政府の過激派を装った傭兵が、乱射事件に偽装して父さんと母さんを殺したのは」

 クリスは今でも鮮明にその日のことを覚えている。

 電車に乗って目的地の駅についたクリスとエミリーは、そこで配られていた新聞の号外を受け取った。そこには首都で銃の乱射事件が起こり何人もの人が死んだと書かれており、その犠牲者のリストの中に自分たちの両親がいたのだ。

 その時のクリスが抱いたのは怒りや悲しみではなく、恐怖だった。

 何か漠然とした、自分の意志ではどうにもならない力が、すぐ背後まで近づいているように感じた。

「父さんと母さんが粛正にあったんだってことは、親戚のところで暮らすうちに少しずつ分かってきたんだ。親戚のところで俺とエミリーが厄介者扱いされているのは分かってきたし、首都に近い場所にいれば自分達が殺されるかもしれないと思った。実行犯が、傭兵集団『アンタレス』だったことも後から分かったから、復讐のチャンスもずっと待っていた。託された資料の中身は俺とエミリーしか知らなかったけど、これを簡単に他の人にばらしちゃいけないのは直感的に理解出来た。結局俺とエミリーは隙を見つけて逃げ出して、オルゴに潜伏して、同じような事情で逃げてきたラルフと知り合って、……まあ、そんな感じだったんだ」

 『アンタレス』との戦闘でクリスが前のめりだった理由がこれだ。クリスとエミリーにとって、『アンタレス』は因縁浅からぬ相手であり、可能なら自分の手で復讐を果たしたいという思いがあった。

 クリスは、鉢巻のようにして巻いて髪をまとめていたバンダナを外した。そして、それを指で玩びながら言った。

「俺のバンダナと、後はエミリーも同じ柄のヤツを髪留めに使ってるけど、電車に乗る直前に両親から渡されたんだ。俺達の家族の最後の繋がりが、今はもうこれだけなんだ。……て言っても、まあ、村ごと襲われたソフィアにしてみれば、俺達はまだマシなのかもしれないけどな」

「そ、そんなことはありません。……わ、私に、……私に嘘をついて、それで強がっても意味がないこと、クリスさんだって分かっていますよね? 誰だって、誰だって辛いし、悲しいんです。そんなのは、誰が経験していいものでもありません」

 ソフィアの言葉は、口調こそ怒っているようにも思えるが、声音の震えは泣き出す一歩手前にも思えた。

 クリスは一度目を閉じる。

 全てが狂わされたのは両親の死。

 復讐はクリスの戦う理由の一つだが、それが全てというわけではない。

 そうしなければ死んでしまうから、そうすることを望まれているから、それが生きるための最適解だから……。だから戦う。何かを壊し、誰かを殺し、それによって維持できるちっぽけな居場所と、僅かでも確かになる明日の為に、その為に戦う。

 瞼の裏に映るのは自分に対する期待の瞳で、それはどこまでも追いかけてくる。

 恐れる相手は敵ではなく敗北で、それは決して許されない。

 クリスは再び目を開き、ソフィアを真っ直ぐ見据えながら言う。

「これまでは俺がリーダーだったんだ。兄としてエミリーのことを引っ張ってきたし、エミリーがラルフに対して俺のことを持ち上げて話すし、そもそも俺自身考えるより先に行動するから、結果として俺が前に出るし、その上あいつ等は俺のことを『すごいヤツ』だと思っている。――だけど、俺は弱いんだよ。なのにあいつ等は強い俺の存在を信じているし、求めている。あいつ等には強い俺が必要なんだ。だから俺は強くならなくちゃいけないし、強くあり続けなきゃいけないんだ。正直言って怖いさ、戦うことも、怪我をするのも、死ぬことも、――でも、それ以上に期待を裏切るのは怖い。俺があいつ等の期待を裏切ることがあったら、それは今まで上手くいってきた全てがダメになるんだ」

 ソフィアは立ち上がり、クリスの方に一歩近付くと彼の手を取って握った。大した握力もない細い指だが、クリスはそこに何か大きな力があるように感じた。

「クリスさんは、十分強いですよ。私なんかの言葉にどんな意味があるか分かりませんけど、間違いなくクリスさんは強いです。だ、だけど、……そうですね、分かりました。……も、もし私で良ければ協力させてください」

 ソフィアは、握ったクリスの手を自分の方に引き寄せた。

 不意を突かれてバランスを崩したクリスの顔が、ソフィアの顔の前まで引き寄せられた。

 急なソフィアの行動に動揺するクリスだったが、ソフィアはそれに構うことなく、自分の額をクリスの額に着ける。

 クリスがソフィアの体温と匂いをここまで間近で感じたのは、これで二回目だった。一回目は最初に出会った〈アルゴス〉強奪の時。だが、あの時あった薬品臭と生気の感じられない体温は、もうそこにはない。今そこにいるのは、何かを為そうと生きる一人の少女だった。

 ソフィアが言った。

 囁くような大きさの、それでいて確かな声だった。

「……私が、私の力が、クリスさんの強さを本物にします。クリスさんはどんな作戦だって絶対に成功させるし、私を死なせることはしません」

 クリスには、ソフィアのように精神波を感知する能力など無い。だが、ソフィアの言葉が本気だということは分かった。そして、その言葉で自分が強くなれたように感じた。

 クリスは静かに、額を合わせたその姿勢のままソフィアの言葉に応じる。

「分かった。『俺達』は最強だ。絶対に生きて帰るし、何もかも上手くいく。不可能なんてあるものか。『俺達』が、どんな無茶だって成功させるんだ」

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