第二章 少女の力(後編)
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現在のアウルム国は、決して国際社会における良い立ち位置にいるとは言えなかった。国際条約『非人道兵器の使用と拡散の防止に関する条約』で使用禁止兵器に位置づけられた毒ガスの製造と、それの輸出による拡散が主な原因である。
アウルム国は条約の批准国であり、公式見解としてはその所持を否定している。しかし、資金の流れやアウルム国と深い関係にある国々の情勢を見れば、アウルム国が外貨を稼ぐために毒ガスを輸出していることは明白だった。
クリス達が〈アルゴス〉強奪に成功した日の夜。
彼等が住居にしている古びた廃工場の中に、エミリーの声が響いた。
「はい! 出来たよ、夕ご飯!」
台所、正確に言うなら『台所として使用している水場』からの声に、〈アルゴス〉を調整していたクリスとラルフが手を止める。
「ありがとうエミリー! ……作業はここまでだ。行くぞクリス」
「随分と嬉しそうだな、何かあったのか?」
「行けば分かる。この〈アルゴス〉ほどじゃないが、俺とエミリーも少し戦果がある」
クリスとラルフは居住スペースにしている場所の長机のところに着席する。するとエミリーが大鍋を持ってきた。
「はいどうぞ! 完成、エミリースペシャル煮!」
「スペシャルって、そんな大袈裟な……、ん!?」
鍋の中に入っている具は、雑に大きく切られた野菜と肉である。色と匂いから察するに、それらを塩で味付けしただけの大雑把な煮物だろう。良く煮えた肉と野菜の放つ匂いは、とてもシンプルでありながら食欲を刺激するモノだった。
「エミリー、ラルフ、……これ、どうしたんだ?」
「あの基地から脱出する時に、食料置き場を見つけてちょっとね。兄さんが騒ぎを大きくしてくれたから、一週間分は持ってこれたかな?」
クリスは鍋の中身と得意げな表情を浮かべるエミリーを交互に見た後、ラルフの方を向いた。
「……さっき言ってた戦果って、これのことか?」
「ウォーカーを強奪しておいて、盗みは無しなんて言うなよ? ともかく久しぶりの新鮮な食材だ。冷める前に食べようじゃないか」
「ああ、ありがとう、ラルフ、エミリー! コイツは最高の戦果だぜ!」
クリス達も、別に賃金を得る手段が皆無というわけではない。だが、得られる僅かなお金を節約しようと考えれば、食費を削ろうというのは最初に思い浮かぶ考えだった。
廃棄される残飯を回収できれば、その分で食費を浮かすことは可能だった。萎びた野菜の皮とカビたパンが手に入るのなら、飢えて死ぬようなことはない。
だからこそ、こうした『まともな食事』にありつくことが出来るのは、クリス達にしてみればまたとない機会だった。
三人はしばらく無言のまま、『エミリースペシャル煮』と命名された肉と野菜の煮物を食べていたが、不意にクリスがその手を止めて話題を切り出した。
「そういえばさ、前にも話したけど、レジスタンスの方で一斉蜂起の計画が進められてるんだ。当然今日強奪してきた〈アルゴス〉はその時に使うんだけどさ」
唐突なクリスの言葉に対して、やや怪訝そうな表情を浮かべながら最初に応じたのはラルフだった。
「それに関しては俺もそのつもりでいた。しかし、何かあったのか?」
「いや、乗るのって本当に俺でいいのか? 特に話し合うこともなく流れでそんな感じになってたけど」
「適任って言うなら、それこそ兄さんでしょ? 一番ウォーカーの扱いが上手いんだし。私とラルフが〈コクレア〉で兄さんが〈アルゴス〉。それで良いと思うけど?」
この三人の中では、クリスが一番ウォーカーの扱いが上手い。特別な訓練を受けたわけではないが、クリスの操縦技能は専門的な訓練を受けた軍人にも劣らない。
クリスも自分がウォーカーの操縦に何らかの才能があることは自覚している。だが、二人を押し退けてまで新型の高性能機に乗るというのには後ろめたさがあった。
エミリーの言葉に対して沈黙してしまったクリスにラルフが言った。
「レジスタンスの一斉蜂起もそうだが、弾圧に対する抵抗手段としても高性能なウォーカーの存在は重要だ。それを上手く扱える技量の人間も含めてな。逆に聞くが、クリスは不満なのか?」
「……いや、不満はないぜ。ただ、一応の確認だ。まあ、レジスタンス内部には俺達みたいなガキが力で優位を示そうとすれば、反発する奴等が出てくるのは確実なんだ。そうなれば、少しやっかいだな」
「でも私たちには切り札があるわ。父さんと母さんが託してくれた、この国をひっくり返せる力が。あれが私たちの手にある限り、サイラスさんが反発を押さえ込んで私達に手出しさせないはずよ」
エミリーの言った『サイラスさん』というのは、オルゴのレジスタンスを取りまとめているリーダー的な人物だ。クリス達の事を他のレジスタンスメンバーと対等に扱ってくれる数少ない人物であり、クリス達にとっては頼りになる存在だ。
エミリーの言葉に対し、クリスは頷きながら応じる。
「ああ、確かにそうだな。だからこそ、『アレ』を正しく使ってこの国を変えなきゃいけない」
クリスの両親は行政官だった。そして二人はこの国の内部事情に関する極秘資料を入手していた。極秘資料が外部に流出することを恐れた軍部は二人を粛正。しかし二人はクリスとエミリーに資料を託し逃がすことに成功していた。
クリスとエミリーが両親から託された極秘資料には、国の中枢に関する詳細や、条約違反である毒ガスの製造と密売に関する決定的な情報が記されている。それは、使いようによっては現在の国家体制を根本からひっくり返す事も可能だ。
「……ぁ」
不意に声が聞こえた。
クリス達三人のモノではない。
確実な心当たりがある三人は会話を中断し、一斉にエミリーの布団の方へ振り向いた。
声の主は、そこで寝かされていたソフィアだった。
彼女は上半身を起こし、クリス達の方を見つめていた。
初めて会った〈アルゴス〉強奪時の怯えたような雰囲気は、僅かだが薄れていた。
「……あ、あの」
クリスはソフィアが意識を取り戻したことに安堵すると同時に、「……まあ、普通に考えて困惑するよな」と呟きながら、席を立ちソフィアの方に向かう。
「気が付いたかソフィア。体の方は大丈夫か?」
勿論クリスにしても、警戒を完全に解いたわけではない。腰のホルスターから直ぐに拳銃を抜けるようにしている。
「は、はい、大丈夫です。ありがとうございます、クリスさん。……あ、あの、ここはいったい? それに、後ろのお二人は……?」
ソフィアの問いかけに対してクリスは、その後ろの二人を指さしながら返答する。
「コイツがエミリー。俺の妹で、ソフィアの事を看てくれた。こっちがラルフで、俺の友人だ。主にウォーカーとかメカの整備をやってくれてる。二人とも俺の仲間だ」
そんなクリスの紹介を受けて、エミリーが前に出てソフィアの手を握った。
「初めまして、ソフィア。クリス兄さんの妹、エミリーです。ちょっとした手当をさせてもらいました。どう? 動けそう?」
「は、はい、……ありがとうございます、エミリーさん。S〇二八は……、ごめんなさい、ソフィアは大丈夫です。……あの、この服は?」
「あ、ごめんね。流石にあのままっていうのはどうかと思ったから。とりあえず勝手に私のを着せてみたの。ごめんね、明日にでも探しに行ってみようか。こんな町だし、新しい綺麗な服って訳にはいかないと思うけど、きっと何かあると思うよ」
「……ご、ごめんなさい、何から何まで。……その、なんてお礼を言ったらいいのか……」
二人のやりとりを見ていたクリスは安堵した。
会話が一段落したところで、エミリーに続いてラルフが話しかけた。
「ラルフだ。初めまして、ソフィア。あの機体、〈アルゴス〉を少し見させてもらった。答えられる範囲、答えたいと思う範囲で構わない。少し話を聞かせてもらえるかい?」
「は、はい。……私も、皆さんにしっかりとお話ししないといけないと思っていましたので……」
「ありがとう。まず、基本的な話だけど、君の名前はソフィアで、あの軍の基地から逃げようとしていた。これは間違いないかい?」
ラルフの問いかけに対して、ソフィアはしばらくの間、俯いたままだった。それでも少しずつ、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「……基地に連れてこられてからは、ソフィアという名前では呼ばれませんでした。……でも、……はい、私の名前はソフィアです。……逃げようとしていた、というのは、正直分からないんです。……あの場所に、もう居たくなかったのは本当です。……でも、ちゃんとは考えていませんでした。逃げられるのは、あの時しか無いと思ったんです。……だから、どうすれば逃げ切れるかまでは考えられていませんでした。……終わらせられるなら、……それこそ、……死んでも良いと思ってたんだと、思います」
ソフィアが話し終わったところで、ラルフはクリスの方を向いた。
クリスは無言のまま頷く。
〈アルゴス〉強奪時の状況や第一印象などから考えても、ソフィアの話に嘘がないのは確かだ。
それを受け、ラルフが再び質問を行う。
「……なるほど。他にもいくつか聞かせてほしい話がある。あの基地に来る前はどこにいたんだい? さっき『連れてこられた』と言っていたけど」
「……『コル』という名前の、小さな田舎の村です。基地で聞いた話だと、多分もう地図には乗っていないと思います。……私が連れて行かれた時には、……軍がやってきて、火を付けていましたし、……連れて行かれなかった人達も、沢山殺されていました。私のお父さんとお母さんも」
ソフィアが淡々と話すのを、クリス達は黙ったまま最後までそれを聞いた。
ソフィアが語ったのは、クリス達が『多分こんな事があったんだろう』と想像していた、その中でも一番悲劇的な話だった。
クリス達も似たような経験がある。ソフィアの悲しさも、辛さも、苦しさも、十分すぎるほど理解できる。
それでもラルフは質問を続ける。今必要なのは、現状の謎を解決する鍵だった。
「ソフィア。連れていかれてから、軍の中で君は何をしていたんだい? いったい何故、連れて行かれたのか心当たりはあるかい? 君の乗っていた、あの〈アルゴス〉というウォーカーには、正直謎が多すぎる。軍が、国が今何をしているのか、何をしようとしているのか、それを知ることが出来れば、今の状況を何とかする力になるはず何だ。……この国を、まともな形に変える力に」
『この国を、まともな形に変える』。
それはクリス達の参加するレジスタンスが掲げる言葉であり、戦う理由だった。大義名分に過ぎないことはクリス達も分かっている。だが、そうだと理解していても、成し遂げたいと思う経験を経て、クリス達は今この場所で生活していた。
「……何をしようとしていたのか、何のために連れてこられたのか、本当のことや詳しいことは、……ごめんなさい、私にも分からないんです。……でも、いろんな実験をしました。薬とか、機械とか、いろんな物を使って、……中には死んでしまった子もいました。多分、何人も。……確か、PW(サイコウェポン)計画と言っていた気がします」
「PW? 確かに聞いたことがないな」
「……人間の持つ未知の力、……精神波と呼んでいました。それを兵器に利用する計画だと言っていた気がします。……あのウォーカーには、確か『心眼』が搭載されていると言っていました」
そのソフィアの言葉に対して、クリスは思い当たる節があった。
「なるほど、サブモニター等のあの装置には、そういう意味があったのか」
「はい。私の精神波感知能力を増幅させ、隠れた敵を見つけ出したり、攻撃方法やタイミングを予測する。あの機体に搭載されたPW『心眼』には、そういう力があるそうです。……あの日は、装置を機体に搭載しての最初の実験をする日だったんです。……それで、逃げるなら、今しかないと思って……」
クリス達は大体の状況を理解した。
恐らくPW計画は、軍内部でも秘密裏に進められているのだろう。例え独裁体制のアウルム国でも、国際社会の目が存在する以上は、公然と人体実験をするなど出来るはずもない。そんな中でPW計画などというモノを進めようとすれば、人目をはばかって秘密裏に進めるより他にないはずだった。
ラルフは一度、エミリーとクリスの方を向く。二人はそれに対して無言で頷き返した。ラルフはそれと同時にホルスターの拳銃から手を離した。それを受けたラルフはソフィアに向けて言った。
「ソフィア、もし君さえ良ければ、俺達の仲間にならないか? この国をひっくり返すために、一緒に戦ってほしいんだ。もちろん無理にとは言わない。もし逃げたいなら――」
「……き、協力します」
ソフィアは、ラルフの言葉を遮って言った。
どこかオドオドした雰囲気こそあったが、それでもソフィアはクリス達のことを正面から見据えていた。
「協力させてください。わ、私の力が皆さんの役に立つのなら、私はそうしたいです。クリスさんへの恩返しだってまだ出来ていないのに、皆さんにだってこんなに良くしてもらってしまいました。その恩返しのためにも、私に出来ることだったら、何だって協力させてください」
彼女が強気な性格でないことは、今までのやりとりによって分かっていた。
そんなソフィアがラルフの話を遮ってまで発した言葉だ。
そこにある覚悟を、クリス達は受け止める。
ややあって、最初に口を開いたのはクリスだった。
「ありがとうソフィア。せっかく仲間になったんだしさ、一緒に夕飯食べないか? ラルフとエミリーがいい食材を手に入れてくれたんだ。滅多に食べられないような物だし、食べられるときに食べようぜ」
×××
クリス達が〈アルゴス〉を強奪したアウルム国陸軍オルゴ基地は、いくらか落ち着きを取り戻した。
戦闘で破損した個所は既に応急修理が行われている。警備員もいつもよりも増員されている。しかし、基地機能は正常に回復していると言えた。
「失礼します。マラド技術長、こちらが今回の強奪事件に関する報告書です」
若い兵士はそう言って執務室に入り、手にしていた書類を中にいた白衣の人物に渡した。
マラドと呼ばれたその白衣の男は、一度眼鏡を上げ直すと書類を受け取った。そして数ページを眺めた後兵士の方に視線を戻して言った。
「ご苦労。報告内容は後でゆっくり見させてもらいます。もう戻って結構ですよ」
若い兵士はどこか安堵したような表情を見せ、執務室から退室した。
再び一人になった執務室で、マラドは報告書を眺める。
軍内部で試作型ウォーカー〈アルゴス〉を中核とするPW計画を極秘裏に進めていた技術部としては、今回の機体強奪は好ましくない事態だった。
(窮鼠猫を噛む、というやつですか。起動実験の僅かな隙をついて機体を強奪とは、追い込まれると人間何をしでかすか分かったものではないものです。そこに偶然現れた基地への侵入者が手を組んだ、というのが大筋ですか。しかし、重要なのはそこではありません)
マラドは強奪された〈アルゴス〉の戦闘に関する報告を読む。監視カメラの映像や戦闘から生還したパイロットの報告を統合したその内容は、〈アルゴス〉が極めて強力な戦闘能力を発揮していたことを、生々しく記していた。
(『心眼』は完成し、正しく性能を発揮したようです。S〇二八の精神波感知能力が他と比べて優秀だったのは間違いありませんが、増幅装置を使えば問題はありません。正しく性能を発揮したならば同様の理論を用いれば増産する事は容易です。場合によっては『サイコブレインユニット』を用いることも視野に入れられる。レジスタンスの手に〈アルゴス〉が渡るのは確かにやっかいですが、それ以上に、今は『心眼』の詳細データと、別のPW計画の為の素材、そして実験の場所が欲しいところですね。強奪された〈アルゴス〉の回収と、さらなる戦闘による新たなデータ収集の為の実験体、ですか。……いますね。傭兵集団『アンタレス』。彼等を雇えば、私の望む状況を作り出すことは十分に可能です)
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