第三章 赤いサソリ(前編)


第三章 赤いサソリ


「おはようソフィア、ちゃんと寝れたか?」

 灯り取り用の窓から、朝日が射し込み始めた早朝。

 廃工場の中を物珍しそうに見ていたソフィアに対して、〈アルゴス〉のコックピットから出てきたクリスはそう声をかけた。

「お、おはようございます、クリスさん。は、はい、おかげさまで。……あの、昨晩は大丈夫だったんですか?」

 ソフィアを仲間に迎えたクリス達だったが、夕飯を食べ終え、さあ寝るか、誰がどこで寝ようという議論をしようとした矢先、クリスが叫んだのだ。

『おい、頼まれてたテレビの修理って、明日までじゃなかったっけ!?』

 機械修理の請負はクリス達の稼業の一つだ。テレビの修理の仕事はクリスが引き受けてきた物だったが、彼は〈アルゴス〉強奪作戦決行の翌日が納期であることを、この瞬間に至るまで忘れていた。

 寝床議論の余地は無くなった。

 ソフィア、ラルフ、エミリーは布団で就寝、クリスは仕事を終わらせたらどこかで寝るということになった。

 〈アルゴス〉から出てきたクリスは、ソフィアの方を向きながら言った。

「ラルフだったらもっと早く直せるんだろうけどな。というか、本当は押しつけようと思ってたんだけど、まあ本来引き受けたのは俺な訳だから仕方がない。で、ついでだから機体の調整も少しやっておこうと思ってな。ラルフ、そういう訳だから、昨日の続きは進めておいたぞ、とりあえず朝飯にしようぜ」

 クリスは途中から、起きてきてソフィアの後ろに立っていたエミリーとラルフにも向けてそう言い、全員で朝食の準備に取りかかった。

 と言っても、昨日の煮物の残りを暖め直すだけだ。手早く準備を終え、煮物の残りを食べ終えたクリス達は、今日の予定を確認する。

「俺はとりあえず直したテレビを渡しに行くけど、皆はどうする?」

「私はソフィアと一緒に買い物かな。服とかその辺色々と必要だし。いいよね? ソフィア」

「あ、ありがとうございます、エミリーさん」

「俺は〈アルゴス〉の微調整をやっておく。クリス、どうせ全部は終わっていないんだろ? 後、ついでに不足してるパーツを買ってきてくれると助かる」

 というわけで、今日の予定が決まった。

 クリス、エミリー、ソフィアは市場に行き、途中で各々の目的のために別行動。その間ラルフが残って留守番をすることになる。

 市場に着くとクリスは、エミリーとソフィアに別れを告げ、担いできたテレビの持ち主の所に向かう。

「おーい、おっちゃん。約束通り直してきたぞ」

「本当か? どれどれ、……確かに直ってるな。ラルフがやったのか?」

「いいや、俺がやったんだよ」

「だってクリス、おめーの特技はウォーカーの操縦だろ? 機械いじりはラルフの方じゃなかったのか?」

 テレビがしっかりと映ることを確認しながらそう言う依頼人に対して、クリスは得意げな表情を浮かべながら言った。

「あまり見くびらないでくれよ。俺が出来ると思ったから引き受けたのさ」

「なるほどな。しかし助かった。ほれ、代金だ」

「確かに受け取った。また何かあったら声をかけてくれよ」

 テレビを届けて代金を受け取ったクリスは、再び市場の方に戻る。ラルフから頼まれたウォーカーの部品を買うために、ジャンク品を扱っている店の建ち並ぶ一角に向かった。

 世界のどこかで、常に戦争が起こっている。

 そんな状況が続けば、兵器開発に端を発する技術革新と医療技術の発展は、もはや必然と言えた。

 それは、貧しい小国であるアウルム国の、貧困層が暮らすオルゴの店先で、出所不明のウォーカーのパーツが二束三文で叩き売られている事からも分かるだろう。

「さてと。大体こんなもんか。……ん?」

 テレビの修理代の一部を使って頼まれていた買い物を済ませたクリスは、普段は誰もが車の事など気にせずに歩いている市場の道に、数台のジープが入ってきたのに気付いた。

 クリスは人混みの隙間から様子を見る。

(……正規軍の車じゃないな。ここを通るなら、行き先はオルゴの基地か? 傭兵団みたいだけど、いったい……、あの赤いサソリのエンブレム……、まさか、中央大陸連邦出身の傭兵集団『アンタレス』か!? よりによって、どうしてあいつ等がこんなところに……、まさか!?)

 クリスは市場を出て、町外れの丘を目指して走り出した。そこは、オルゴの全体を一望できる場所でもある。息を切らしながら頂上に到着したクリスは、持ってきていた小型の望遠鏡を使いオルゴ全体の様子を観察する。

「――! なんだよこれ、最悪じゃねーか!」

 彼が見つけたのは、数台の大型トレーラーと、その周囲に立つ数名の兵士だった。トレーラーには、先ほど市場で見たジープと同じ赤いサソリのエンブレムが描かれている。それらがアウルム国の正規軍ではなく、傭兵集団『アンタレス』の持ち物だということは明白だった。

 クリスは丘を駆け下り、自分たちの暮らすあの古びた廃工場へ帰る。

(あのトレーラー、どう見てもウォーカーの輸送に使うやつだ。『アンタレス』がウォーカーを持ち込んで、いったいここで何をやる? いったい誰に雇われた? 市場で見たあのジープは基地に向かっていた。その時は武装していなかった。基地が『アンタレス』の攻撃目標じゃないことは確かだ。……だったら答えは一つしかない。『アンタレス』は、軍に雇われたんだ、それこそ、軍が大手を振るって出来ないような作戦の為に、『あの時』みたいに!)

 丘を駆け下り廃工場まで到着したクリスは、シャッターを勢いよく開けながら叫んだ。

「おい! みんな揃ってるか!?」

 買い物から戻ったソフィアとエミリー、留守番をしていたラルフの三人全員が揃っていた。

 突然のことに驚いた表情を見せながらも、クリスの方にラルフがやってきた。

「とりあえずシャッターを閉じてくれ。それで、頼んでた買い物はどうだった?」

「ちょうど売ってたから買ってきたぞ、ほれ。――いや、そんなことよりも!」

 クリスから紙袋に入った部品を投げ渡されたラルフは、それを受け取って内容を一目確認する。そして無言のまま頷くと、クリスとは対照的に冷静な口調で応じた。

「ありがとな。よし、これで上手く出来そうだ。クリス、まず一回落ち着くんだ。……そうだ、ソフィアの服、お前はどう思う?」

「え、ソフィア? 服?」

 クリスはそう言いながら、ソフィアの方へと振り向いた。

 ソフィアは白いブラウスの上からカーディガン、下は紺のロングスカートという、市場に行く前とは明らかに違った格好をしていた。

 今もそうだが、比較的活動的な格好をしていることの多いエミリーとは対照的であり、クリスにとっては少し新鮮だった。

 ソフィアの隣に立つエミリーは得意げな表情を浮かべている。ソフィアのこの服は、エミリーが市場の古着屋で選び買ってきた物なのだろう。

 クリスの視線に気が付いたソフィアが、はにかんだような表情を見せる。クリスは思わず「……凄く似合ってる」と呟き、耳ざとくそれを聞きつけたエミリーは、さらに満面の笑みを浮かべた。

 そんなやりとりをしていたクリスの背後からラルフが肩を叩き、そして言った。

「エミリー達からも少し話を聞いている。それに、レジスタンスからの連絡もあったんだ。焦ったってどうなる訳じゃない。まずは冷静になろう。その上で、クリスの見た物について聞かせてくれるか?」

「……分かった。大丈夫だ」

 クリスは一度深呼吸をする。そして、改めて三人に対して話し始めた。

 市場に現れたジープ、そこに描かれていたエンブレム、傭兵集団『アンタレス』、そしてウォーカー用の輸送トレーラーについて、見た物と知っていることを全て話した。

 クリスが全てを話し終えたところで、ラルフが溜息混じりに言った。

「なるほど、そういうことだったのか。実はお前が帰ってくる前にレジスタンスから連絡が入ったんだ。最悪の場合、軍と戦闘が発生するかもしれないから備えておけという話だった。しかも、エミリー達も見たんだろ?」

 話を振られたエミリーは神妙な表情になり、ラルフの言葉に対して頷いた。

「私達も見たんだよ。兄さんと同じように、ジープが市場の道を抜けていくのを。ソフィアの事を見られたらマズいと思ったから、急いで帰ってきたけど」

 レジスタンスからの連絡が入ったということは、イヤな予感は思い過ごしではなく、本当に何かが起こる可能性が高いだろう。

 そう考えたクリスは、ラルフの方を向いて言った。

「……機体の調整はどうだ? 昨日から見てる〈アルゴス〉と、後は〈コクレア〉二機。何も無ければ良いけど、何かあった時のためにすぐ動かせるようにしておきたい」

「クリスが部品を買ってきてもらったお蔭で、後一時間もあれば三機とも仕上がる。燃料弾薬その他諸々の積み込みを手伝ってくれれば、多分間に合うはずだ」

「よし、今すぐ取りかかろう。エミリー、貴重品とか非常食とか、一応どこかに避難できるか? 何かあったら、建物が無事だって保証はない」

「分かった。ソフィアに手伝ってもらえば、機体の準備よりは早く終わるかな? お金とか書類は、とりあえず前に決めた隠し場所に埋めてくる」

「頼んだぜ。ソフィアもエミリーを手伝ってくれ。ここまで生き残ったんだ。こんなところで死んでたまるかよ!」

 クリスのその言葉を合図に、全員が行動を開始した。

 クリスも、ラルフも、エミリーも、いつかはこんな日が来ると覚悟をしていた。だからこそ迷いは無かった。

 ウォーカー三機の最終調整と、装備や弾薬の装填。クリス達にとって切り札となる機密書類を含む貴重品の避難、周辺地図の再確認、行動食の作成と、それを含めた多くの装備のウォーカーへの積み込み。

 時間はあっという間に流れていった。

 そして正午を過ぎ、一通りの備えを終わらせ早めの昼飯を食べ終わった頃。

 オルゴの街頭に備え付けられたスピーカーと、ラジオの全てのチャンネルから、その放送が唐突に流れ出した。放送の声の主は、オルゴの町長だった。

『オルゴにお住まいの皆さん。ただ今、軍から非常事態宣言が発令されました。これより、オルゴに潜伏する非合法武装組織に対する、一斉摘発作戦を開始いたします。住民の皆さんは、家の鍵を開けて外に出て、その場で今しばらくお待ちください。準備が整い次第、軍から次の指示がありますので、それに従ってください。繰り返します。オルゴにお住まいの皆さん――……』

 放送は、クリス達の暮らす古びた廃工場の中にも聞こえてきた。

(全ての施設に対する強制調査か。もし拒否したら容赦なく殺されるんだろうな。ここに踏み込まれたら、軍が〈アルゴス〉を目にした瞬間に何の言い訳もできなくなる。ソフィアがみつかってもそうだ)

 クリスは拳を握り、覚悟を決める。

 ラルフもエミリーも、クリスと同様だった。

「――ッ」

 そんな中、短く小さな悲鳴が上がった。

 悲鳴の主はソフィアだった。

 怯えた表情で肩を振るわせるソフィアに対し、エミリーが声をかける。

「どうしたのソフィア、大丈夫?」

「……こ、この放送、……お、同じ、なんです。……軍が、わ、私のいた村を、コ、コルを地図から消した、あの時と。わ、私達を施設に連れて行った、あの時と」

 三人は絶句した。

 ややあって、クリスが口を開く。

「……だとしたら、軍は本気だ。それこそ、オルゴを地図から消して、住民を皆殺しにするくらいの作戦を、本気で展開するぞ」

 自国民に対する虐殺すらも決して躊躇わない。

 アウルム国というのはそういう国だということを、クリス達は理解している。だからこそ、今の放送が殺戮の号令と同意義であるとクリスは再認識した。

(このタイミングで、レジスタンスに対する掃討作戦をオルゴでやる。本当の目的はソフィアと〈アルゴス〉ってことか? だけど、いくら新型の試作機と特殊な力の持ち主って言ったって、そこまで大袈裟な作戦を実行するほどの物なのか? どっちにしても、廃工場の中に踏み込まれればソフィアを隠しきることは無理だ。軍の真意はともかく俺達全員が生き残るためには、暴力に抵抗して戦うしかない)

 これからどう動くべきか?

 時間的な猶予は全くない。

 険しい顔で沈黙するそんなクリスに対し、ソフィアは遠慮がちに声をかけた。

「……あ、あの、……クリスさん、……わ、私も戦います!」

 クリスの表情は、誰の目にも明らかなくらいの恐怖が浮かんでいる。血の気が引き、手足が震えていることもすぐに分かる。

 にもかかわらず、その瞳だけは、決して臆してはいなかった。

 真っ直ぐにクリスのことを見据え、今にも泣き出しそうな声を震わせながら、それでもソフィアはクリスに向けて言う。

「〈アルゴス〉にはクリスさんが乗るんですよね? わ、私も後ろに乗って、クリスさんを、……た、助けます」

「ソフィア、気持ちはありがたいんだが、ソフィアが一緒に乗ったって戦力には――」

 「戦力にはならない」クリスがそう言おうとしたのに対し、ソフィアは悲鳴のような声で遮った。

「〈アルゴス〉の『心眼』は、わ、私がいないと使えないんです! 絶対に役に立つはずです! だから、お願いします、クリスさん」

「でも、この前だってかなり苦しそうだった。随分な無理をしていたんじゃないのか?」

「私のせいで皆さんに迷惑をかけているかもしれないのに、何もしないなんて、そんなこと出来ません。な、何か出来るのに、何もしないなんてイヤなんです!」

 ソフィアの覚悟が本物だということをクリスは理解した。それは、二人のやりとりを見ていたラルフとエミリーも同様だった。

 クリスは一度ラルフの方を振り向いた。

 対するラルフは、やれやれといった感じで肩をすくめながら言った。

「ソフィアには度胸があるし、〈アルゴス〉はソフィアが乗っていないと本当の力を発揮しないのは確かだ。サブシートは少しばかり乗り心地が良くなってるはずだし、応急処置だが内装も多少はマシになってる」

 続いてエミリーが、ソフィアの方を向いて言った。

「ソフィアがついていてくれれば、兄さんだって変な無茶はしないと思うしね。だから、こんな言い方は少し変だけど、正直安心したんだ。兄さんのこと、よろしく頼んだよ」

 ソフィアは少々面食らったような表情をしていた。

 ラルフ達の言動は、過剰な期待を押しつけているようにも見える。だがそれは、クリス達なりの『仲間』に対する、あまりにも不器用な信頼の表現だった。

 勿論ソフィアもそのことは理解している。

 最後にクリスが、アルゴスのコックピットを開きながら言った。

「ソフィア、俺と一緒に乗ってくれ! 正直助かる。だけど、辛かったらすぐに言えよ? 『心眼』が無くても、〈アルゴス〉の基礎性能はかなりのモノなんだ。何とかしてみせるさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る