魔女殺しと七人の魔女

剣城龍人

第1話 『そして、俺は途絶えた』


 耳が痛むほどに強く打ちつける雨の日だった。

 空一面を厚い雲に覆われて、月の光も届かない暗闇。よく知ったはずの森を、道に迷うようにかけまわる。

 雨具の下までじっとりと濡らす冷たさに、もう氷季の始まりを感じていた。


 ランタンのガラスに揺れる小さな火に、ささやかな暖を求める。

 かじかむ指先の震えが余計と焦りをもたらした。夏季の暑い時期に生える薬草は、どこにも見つからなかったからだ。


 意思の弱い諦めが頭の半分に浮かぶ。それを強くかぶりを振って払う。

 一度心を鎮めようと、腰に提げた剣の柄頭を撫でる。拭い去った残る半分側には、願望に似た僅かな希望がちらついた。


 雨粒を弾くフードを少し上げて見上げる。この先の山岳が雷光に照らされうっすらとその姿を現していた。

「あそこに行くしかないか」


 その山はむき出しの岩肌の多い切り立った岩山だった。

 こうも暗くて見通しが悪いうえに、先程から雨足が早くなる一方では自殺行為でしかない。

「妹の命には代えられないよな」


 病気で苦しむ家族の為にも迷ってる時間はなかった。その昔、父から伝えられた宣託が過ぎる。あれはまだ今日のことではないだろう。それなら恐れることはない。

 覚悟を決めてひた走る。


 ◆


 岩壁を削り出し、それなりに整備された山道を逸れる。この先はもはやそれらしい道などない。

 今にも崩れそうな足場を丁寧に確認しながら進む。この山は長らく休火山ではあるがいまだ地熱が高く、さっきまでの森に比べればまだ十分動きやすい暖かみがあった。

 この地の利に最後の望みをかけたのだ。


 脆くなった地面に何度と足をとられ、細かい傷があちこちにしみる。けれどその甲斐もあって、ようやく目的の薬草を見つける。

 崖の壁面になんとか届きそうな位置にそれはあった。


 しかし、どうしても丁度のところで届かない。あと少し、あと少しと体を支える指をずらしながら手を伸ばす。

 ついに届いたと安堵するもひっかけていた指先が滑った。しまった、と後悔したのも束の間に急坂を転げ落ちる。


 反射的に身を屈め、全身を襲う痛みに耐える。思わず神に祈るのをあざ笑うように、無慈悲にも投げ出された浮遊感に思わず強張る。

 空中でバランスを崩した。このままでは受け身もとれない。目を開けると地面がもう差し迫っていた。


 守るように身構えて衝撃に備える。体をしたたかに打ちつけたと感じたと同時に意識は途絶えた。


 ◇


 その日は12の生誕日で、家族や友人から祝いの席を設けられた。獲物も少ない氷季において、その時ばかりは少しだけ豪華な食事が並んでいた。

 宴は遅くまで続き、皆が帰るのを惜しみながら見送った。


 家の中に戻ったところを、母から寝室へ行くよう言われる。扉を開けると床に臥せた父が、いつも朗らかな青白い顔を深刻そうな面持ちに変えてまっていた。

 その雰囲気に何事かと察するが、問い返すのを躊躇いつつ傍に寄る。


 父はベッドに立てかけた皮の包みを掴むとこちらへ差し出した。

 受け取った包みは手に抱える程度に細く、あまり重くはなかったがずいぶんと長いものだった。

「開けてもいいですか?」


 父は無言で頷いた。きつく縛られた革紐を解くと、やはり中から出てきたのは父が大切にしていた剣であった。

 この部屋に入った時に、そして包みの形状からおおよそそれはわかっていたことだ。


 慎重に鞘を抜くと、叩きつければ折れてしまいそうな細身な剣身(ブレード)には、波打つ刃紋が美しく描かれる。銘も知らぬ剣だが、滑り止めの柄糸が美しく編み込まれていた。


 もはや剣を振ることが叶わぬようになった父が、壁に掛けたこの剣を美術品のように眺めていた。

 かくいう僕もこの寝室に入るときにはいつも目を奪われていたものだ。


 しかし、これは武器である。奪い、守る為の道具であり、けして観賞用の飾りではない。

 そして代々この家の当主に受け継がれてきた代物だった。それを手渡されたのだ。その意味は子供の僕でもわかる。

「おまえは、世界を滅ぼす女を殺す者だ」


 呟くように投げかけられたのは驚くべき言葉だった。

 この世に生れた子は、すぐに託宣を受ける。ある子は生涯の天職を、ある子は愛すべき相手を。

 それが善いものであれ悪しきものであれ、すべからく神からの啓示であった。


 それ故に人は神を敬い、憎むのだ。この世界は神託によっておおよそを決められていた。

 それが譲られない運命であった。

「それが僕の託宣ですか」


 父は深く頷いた。まるでどこかの英雄譚だ。今になるまで教えられなかったのもよくわかる。

 天命を与えられるという話は、少なからず聞いたことはあった。この世界で当然とされているのは歴代の国王や教皇だ。彼らは託宣によって選ばれている。


 他には誰もが知るおとぎ話として語り継がれている者達だ。聡明な賢者や最強の格闘家に伝説の勇者と呼ばれる人物、そして――

「世界を滅ぼす女とは、魔女のことですか」


 およそこの世界でそんな忌み名を付けられているのは、魔女と呼ばれる人物ぐらいなものだろう。

 世界に七人居るといわれ、そして世界から敵視されている存在。託宣によって人生を狂わされた女性達。

 それは、おとぎ話のはずだった。


 けれど神託が違えたという話を耳にしたことはない。

 もちろん眉唾な託宣が下されていたり、なかには教会からの強制的な行使があったという黒い噂まで流れてはいる。


 それでもこう明言されていては、それは事実なのだろう。

 つまり、魔女は実際にいると。

 そのことについて問答を交わす気は起きなかった。全ては己自身で考えろ。それが父からの教えであったからだ。


 それから数日後、父は亡くなった。


 ◆


 目が覚めた途端に激痛が奔る。懐かしい夢を見ていた気がするが、今はそんなことを考えている余裕はなかった。

 痛みを我慢しつつ怪我を確認して絶望した。


 あらぬ方向へ曲がる腕を、外れた手首を震わせて引き寄せる。鈍い痛みに片足もひびが入っていそうだった。

 残る方の足だけは唯一動きそうであったが、どうやら肋骨が折れたようで内臓を深く傷つけているらしい。

 もう助からないだろうと理解するほどの血を吐き出した。


 痛みは続いていたが、しばらくして体も思考も落ち着いてきた。まだ痛覚が鈍ってる今を逃せば二度とは立ち上がれなくなるだろう。動き出すなら今しかなかった。

 村まで辿り着くことはないとしても、森まで戻ればきっと探しにきた誰かが見つけてくれるはずだ。


 運よく手から離さずにいた薬草を握り直す。動く部分で必死に体を支える。幾度かの呼吸を繰り返したあと歯を食いしばり起き上がる。

 不格好ながらなんとか立ち上がれた。倒れそうな体を踏ん張って耐えた。


 揺れ動く腕を押さえ、足を引きずりながら帰路を急ぐ。 

「もう少しだからな、待ってろよ」

 薄れそうな意識を、苦しむ妹のことを思い浮かべて気力で繋ぎとめた。


 ◆


 どこかから呼ばれている声がした。けれどひどく眠くて目を覚ますことができない。

「おい、おまえ。きこえとらんのか?」


 それは鈴を転がすような澄んだ声だった。子守歌のように、微睡んだ意識の上を優しく撫でられるようだ。

「なんじゃおまえ、死んどるのか?」


 突如、胸に硬い先端が突き刺さる。折れた肋骨が食い込んで咽る。

 声の女性は、驚いたように後ずさった。

「おぅ、生きとる生きとる」


 弾むように嬉しそうな声がはっきりと聞こえた。

 文句を言おうにも息が絶え絶えとして声にならない。

「あのままでは死んでおったろう。もっと感謝してもよいのじゃぞ」


 睨み返すと、そこに若い女が見下ろしていた。若いとはいえ俺と同じ年頃にみえた。

 もう雨は上がったようで、降りそそぐ月光にその金色の髪をより輝かせていた。腰まで下りた髪先がそよ風に揺れる。

 素直に述べれば美しい女性だ。線が細く白い肌には幻想的な色香を漂わせる。薄桃色をのせた唇に唾を飲む。


 この胸を弾くような鼓動は、怪我のせいだけではなかったろう。息を整えるとなんとか声をあげた。

「あぁ、礼を言う」


 無作法で申し訳ないが首で頭を下げる。

 女はそれを奇異な目で見返すと感嘆の吐息を漏らした。

「素直な奴じゃのぅ。いまどきにしては好い子じゃな」


「美人は許せと、教わったからな」

 それを聞いて女は盛大に笑いだす。ひとしきりのあと苦しそうに腹を押さえていた。

「よい教えじゃな。気に入ったぞ」


「なら、それを返してくれ」

 女の手にしたもの、それは見間違えなく俺が腰に差していた剣だ。

 その瞬間、女の表情が一転する。まるで感情を殺いだ表情で、その目だけは憐れむようでもあった。


 どこかで落としたのか、すっかり頭から抜け落ちていた。おそらく崖から転落した時にベルト留めが緩んだのだろう。

「すまないが、それは俺のだ」


 女は剣を鞘から抜くと切先をこちらへ向けた。けれどその目に殺意のようなものは感じない。

「これの銘を知っておるのか?」


 その問いにはただ首を振った。たしかに剣の銘を知らないのは事実だが、知っていたらどうされていたのだろうか。

 女はなにか考えているようだったが、一言「そうか」と呟くと剣を鞘に納めて投げ寄こした。


「おまえは何か知っているのか?」

「さてな」

 後ろを向いてはぐらかす女を、それ以上問い詰めることはできなかった。

 ふと視界が閉じかける。いまにも眠ってしまいそうな意識を必死に起こす。

 もう痛みを感じないのは、そういうわけなのだろう。


「ついでに一つ頼みを聞いてもらえるか」

 手に握った薬草を持ち上げる。女はそれを受け取った。そのまま手が地面に落ちる。もう指先に力も入らない。

「この先の村まで届けてほしい。俺の妹が病気なんだ」

 もはやこの名も知らぬ女に縋るしかなかった。怪しげではあったが、不思議と不信感はなかった。


 女はしゃがみ込み、俺の顔をしげしげと見つめる。そして俺の鼻先に空っぽの手の平を上に向けた。

「ならば、何を対価に差し出す?」


 それは、けしてからかいを含まない口調であった。嫌味のないその言葉に安堵を得る。

「村に着けば、それなりの礼は受けれるだろう」

 

「そんなものはいらぬわ」

 心底不服とばかりに勢いをつけて立ち上がる。

 背を向けた女は、どのような表情をしていたのだろうか。


「そうじゃの。おまえの命をもらおうか」

 俺はすぐに頷いた。その答えは考えるまでもなかった。どのみちあと僅かな命だ。そんな安いもので妹が助かるのなら惜しくもない。


「名を教えてくれ」

 女は少し驚いたような顔をした。そして顔を綻ばす。 

「イナリじゃ。忘れるでないぞ」

 もう返事をする余力もない。


「ここに契約は成立した。努々、後悔せぬことじゃ」

 きっと後悔などしない。こんな美しい女に看取られるなら、それは十分に価値があったはずだ。

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