第2話『過ぎ去りし日々に呼ばれて』



「で、どういうことなんだよ一体」


 昼休み。

 演劇部の部室とやらにやってきた俺は、開口一番そう言った。

 

 広さは六畳ほど。

 演劇部らしく、床には台本と思しき藁半紙やら、コピー用紙やらが散らばっている。

 部屋の一角を占領している衝立ついたてとカーテンは、着替え室のつもりだろうか。


 演劇部は、数年前に部員不足で廃部になったと聞いている。

 部外者の片岡でも使えるあたり、まともに部室を管理する人間もいないのだろう。 


「とりあえずそこに座って頂戴。立ったままだと、話がしづらいでしょう」


 窓際のソファーに座る片岡が、すぐ前にあるパイプ椅子を指差した。

 なんというか、ものすごく様になっている。

 美人が座っているというだけで、擦り切れた布のソファーが、革張りの高級品に見えてくるくらいだ。


 俺は言う通り腰を下ろし、ビニール袋に入れてきたコンビニのおにぎりの封を切る。

 風通しをよくするため、ドアは開けたままにしておいた。


「腹減ってるから食いながら聞くけど、 呼び出したのはそっちなんだから、行儀悪いとか言うなよ」


「ええ。構わないわ。私もそうするつもりだったから」


 そう言って、片岡はスクールバッグの中からカロリーメイト|(ココア味)を取り出した。

 金色の包装を破りながら、すらりと長い脚を優雅に組み替える。


 膝丈のスカートから一瞬だけ覗いた、白い太ももがまぶしかった。

 視線を上げると、イタズラっぽく目を細めた片岡と目が合う。

 まずい、バレたか。


「そこまで露骨に見られると、いくら恋人とは言えあまりいい気がしないのだけど?」


「は、はあ? 見てねえし。俺チーズ味の方が好きだし」


「いえ、カロリーメイトを見るなという意味ではないけど……まあ、それはそれとして」


 コホン、と仕切り直すように片岡は咳払いをした。

 

「単刀直入に言うけど、国崎君。私の恋人のフリをしてもらえないかしら」


「恋人の……フリ?」


 やっぱり、そんなところだろうと思った。

 片岡のような美少女が、俺なんかに惚れているわけはない。


 そう理性で理解できてはいても、やはり落胆するのは避けられなかった。

 俺は落ち込んでいるのを隠すために、わざと強がってみせる。


「何で俺がお前の恋人のフリなんかしなくちゃいけないんだよ」


「国崎君ってゼロカノ――彼女いない歴イコール年齢でしょう?」


「……どうかな?」


「ああ、これはただの確認よ。いないのは聞き込みで分かっているし。あなたのことを知っている人間が少なすぎて、すごく苦労したわ」


「そんな残酷な事実を証明することに血道を上げるな」


 つーか俺に聞けよ俺に。

 何で他の奴が俺に彼女いたことないの知ってるんだよ。


 片岡はカロリーメイトを小さく割った。

 しっかりと咀嚼し、飲み込んでから再び口を開く。


「私もそう。学生時代に付き合っていた相手と結婚した人間なんて、せいぜい既婚者全体の一割かそこらでしかない。つまり、高校生のうちに恋愛するなんて、時間と体力の無駄でしかないのよ」


「……まあ、言わんとすることは分からんでもない」


 俺は慎重に答えた。

 高校生カップルが結婚までこぎつけるには、二つの大きな転機を乗り越えなければならない。


 一つは大学進学。もう一つは就職だ。

 自身の人生に関わる進路選択を、好きな人と一緒にいるため、なんてうわついた理由で決めてしまうのは、あまりにもリスキーである。

 

 今付き合っている相手と、一生添い遂げられる保証などどこにもない。

 それどころか、一年後にその相手を好きでいるという確証すらないのだ。


 恋愛感情とは生物なまもので、賞味期限がある。

 管理の仕方によっては、あっという間に腐敗し、見る影もないほどに姿を変えてしまう。


 そういう意味では、片岡の発言は一定の正しさを持っているだろう。

 我が意を得たりとばかりに鼻を鳴らし、片岡は紅茶のペットボトルを傾けた。


「なのに、うちの母が最近うるさいの。高校二年にもなって彼氏の一人もいないなんて、とか言って」


「そりゃ大変そうだな」


「ええ。親は子供に、自分と同じ道か、自分が進めなかった道を歩かせようとするものだから。うちの場合は前者ね。子供の将来を心配に思うのは親心として理解しているけれど、さすがに鬱陶しくて」


 物憂げに目を伏せる片岡。

 今の日本は、とにかく若者は活発に恋愛すべきという風潮が強い。

 

 恋人もおらず、想い人もおらず、出会いを探すつもりもない。

 そういう恋愛に関心のない人間は、異常者か何かのように扱われる始末だ。

 

「なるほど。母親を納得させるために、俺に彼氏役をやれと」


「そういうことになるわ。どう? 考えてもらえる?」


「……考えるも何も、もう俺とお前が付き合ってるって既成事実できちゃってんじゃん。断る余地ないよねこれ?」


 とんだ砲艦外交もあったものである。

 しかし、片岡は動じる様子もない。


「そもそも、以前あなたの方から告白してきたわけだし。それを今私は承諾しただけよ。何の問題があるの?」


「うっ……」


 それを言われると、こちらとしてはかなり弱い。

 何を隠そう、片岡は俺の中学時代の同級生である。


 当時から同級生たちの間でも評判の高かった彼女は、何かと罰ゲームの相手として選ばれることが多かった。

 やれ片岡に三回話しかけろだの、笑わせてこいだの、そういう他愛のないものばかりではあったが。


 そして、俺に課せられた罰ゲームは、片岡にラブレターを送る、というものだった。

 何のリアクションもなかったため、それ以上発展することはなかったのだが、まさか今になって掘り返されるとは。

 俺は苦し紛れに言い返した。


「……あれは、なかったことにしてくれ。罰ゲームだったんだよ」


「ふうん、そう。あなたはそういう人なのね。冗談で人を好きだと言って、こちらが本気になったら手のひらを返すなんて。そんなに人の心を弄ぶのが楽しい? 今だから言うけど、私あのくだらない罰ゲームには結構迷惑していたのよ。調子に乗っている、とか言われるのが嫌だったから事を荒立てはしなかったけど」

 

「すいませんでした。もうしません。反省しています……」


 怒涛の説教に、俺は深々とこうべを垂れた。

 

「じゃあそういうことで」


「待ちなさい」


 おにぎりを食べ終わり、部屋を辞そうとした俺の腕を、片岡がガシッと掴んだ。

 合気道でも習っているのか、体格が頭一個分違うのに、全然振りほどけそうにない。


「この流れで何故逃げようとするの? おかしいでしょう。あなたの脳には論理性という概念はないの?」


「いや、昔の過ちについてはもう謝ったんだし、これでチャラでいいかなって……」


「あなたが勝手に謝っただけで、私はちっとも許してはいないから。どうすればあなたを許すかは私が決めるわ」


「彼氏がほしいならそのへんの適当な陽キャにでも頼めよ。何で俺なんかに頼むんだよ」


「そういう人間に頼むと、本物の恋人になろうとしてくるでしょう。その点あなたは問題ないわ。人に告白しておいてその後何のアクションも起こさないヘタレの玉無しであることは、他でもない私が知っているから」


「おい。誰が玉無しだ。ちゃんとあるわ。毎日しっかりキリキリ働いてくれてる……って何言わせんだ!」


「あなたが勝手に言ったんでしょう!?」


 まずいな。これじゃ完全に膠着状態だ。

 俺はチラッと壁にかかった時計を見やった。


 時刻は昼休み終了七分前。

 ここから教室まで、急いでも五分はかかる。

 次の授業は数学だ。担当の國松先生はめちゃくちゃ厳しいので、絶対に遅刻はできない。

 

 ……はっ、もしやこの女。

 自分が國松からの覚えがいいのを計算に入れて、こんな場所を待ち合わせに指定したのか。

 がくぜんとする俺を、片岡は額に汗を浮かべながらせせら笑う。


「ふふ、時間を気にしているようね。悪いけど、あなたが首を縦に振らない限り、この部屋からは出さないわ」


 ちくしょう、汚いぞ。

 ちょっと見た目が可愛くて勉強ができて素行が良いからって先生方からちやほやされやがって!


 ……俺でも可愛がるわ! 


「というか、何故私と偽装カップルになるのをそこまで嫌がるの? 性別が逆ならいざ知らず、男のあなたはいざとなったら私を拒むことができるでしょう。何のデメリットもないと思うけど?」


「そりゃお前……」


 うっかり本音を言いかけて、俺は口ごもる。

 危ない、とんでもないことを口走るところだった。


 せっかく今まで隠してきたのに、こんなところで自爆してどうする。

 もっと仕事しろ自制心。


「とにかく、俺はそういうのはごめんだ。他を」


 当たってくれ、と言おうとして、俺は不意に気づいた。

 部室の外。廊下の方から足音や話し声が近づいてくる。

 それも、複数人のものだ。


 うちの学校では、体育の前にウォーミングアップとして運動場を二周走らされる。

 室内の場合は、体育館の二階を二周だ。

 

 今日は四月にしては気温が高かったので、ドアは閉めていない。

 今から閉めれば、確実に彼らに聞こえてしまうだろう。


 昼休み。

 無人の部室。

 男女で二人きり。


 普通の想像力があれば、何が行われていたかを察するのは容易い。

 それが真実かどうかは別として。


(ヤバい。数学サボって部室でイチャついてましたとか、國松に知られたら終わる……!)


 噂されて学校に来づらくなるとか、そういうレベルではない。

 ガチの不純異性交遊扱いで、停学を食らうまである。

 それだけは、何としても避けなければ。

 幸い、このピンチを切り抜ける妙案は、すでに浮かんでいた。


「片岡」


「ええ」


 俺と同じ危機感を、片岡も抱いていたのだろう。

 示し合わせたように、俺たちは着替え室の中に飛び込んだ。


 


 

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