第五話
「こらあかん、とりあえず薬塗ってサラシ巻いたけど、はよ医者に連れていかなあかんで」
例の胡散臭いガマ油を塗って、応急処置をする。何とか意識はあるみたいだが、素人目に見ても危険な状態だということはわかる。とにかく三人でヤシロを運ぼうとした時、ヤシロが震える手で、ユキジの後ろを指さす。
「……まだ全て終わってはいませんよ」
背後から聞こえた声に、ユキジたちが振り返る。そこにはコハクが立っていた。ただ、その姿はユキジたちの知っているコハクの姿ではない。腕から欠損した腹部にかけて、赤黒い触手に覆われている。
その姿にユキジはかつて妖刀に取り込まれたヒビキの姿を思い出した。だが、ヒビキの時以上に、妖刀「紅喰」に侵食されている面積が大きい。
「ユキジさん、ツクネさん、カリンさん……」
コハクは三人を見渡した。
「決着をつけましょう」
コハクが漆黒の妖刀を構える。コハクの言葉に呼応して、ユキジの横でツクネが玉すだれを構えた。ユキジはまだ戸惑いを隠せない。
「ツクネさん……」
「ユキちゃん……あれ見てみい。あいつは妖刀を自分に寄生させることで、かろうじてもってるんや。でも、どうみたかてあれはもう長ないで。そんな奴が決着つけよう言うんや……」
ツクネは大きく踏み込んで、玉すだれを思いきり振るった。
「思いきり相手するのが、礼儀ちゅうもんや‼」
ツクネの言葉に苦しそうなコハクは口元だけ動かし、笑みを浮かべる。
鞭のようにしなって空気を切り裂き、コハクの顔面目掛けて伸びていく玉すだれを、コハクが「紅喰」で弾き飛ばす。さらにそのまま間合いを詰めて、横なぎに払った刀を今度はツクネが煙球を地面に投げつけた後、蛇の目傘を開いて受け止める。
コハクは構わず数回、剣閃を走らせ蛇の目傘を斬り刻む。しかし、蛇の目傘はツクネの駕籠で支えられ、煙幕に紛れてツクネはもうその場にいない。
「⁉」
あたりをうかがうコハクの死角からツクネのひも付きクナイが飛んでくる。刀で受けることあきらめたコハクは左腕を顔の前に突き出した。五本のクナイが腕と触手に突き刺さるのも構わずに、刀を持ったままの右手でそれを引き抜き、鋼線を振り回した。
「紅喰」に侵食されたコハクの怪力で、ひも付きクナイごと振り回されたツクネが地面に叩きつけられる。さらにそこに追撃を放とうと、出血する左手をかざすが、今までのように電撃が出ない。
「核が破壊されたら、電撃も使えない……か」
独り言のようにコハクが、その突き出した左手を見ながらつぶやいた。
そんなコハクの頭上に、回転しながらカリンが跳んでくる。逆手に持った小太刀を器用に使い、右に左にと斬撃を繰り返す。どんどんと速度を速める斬撃に、コハクも防戦一方だ。
地面に背中を打ちつけてたツクネが、体を起こして二人を見ると、まるで模範演武でもみているかのように、華麗な動きで攻防を繰り広げている。カリンが回転を増すたびに、その速度はさらに上がっていき、その剣閃を目で追うのもツクネにはやっとのことだ。
「鬼の手は使わないんですか?」
カリンの小太刀を受けながら、コハクが尋ねる。
「……」
コハクの問いにカリンは無言を貫く。
「……気を使わせているみたいで、すみません。でも、手加減は無用ですよ」
手加減をしているつもりはなかった。ただ、雷を操る雷獣の力をなくしたコハクには鬼の力を使わずに挑みたいという気持ちがカリンにはあった。もちろん負けるつもりはない。過去のどの戦いよりもカリンの気持ちは集中している。
そんなカリンやツクネの姿を見て、ユキジも決心がついた。大老ツクモ、ヤシロ、ヒスイそして、コハク。飯森藩を巡る今までの戦い……過去からつながる因縁、そのすべてを終わらせるとしたら、それはユキジの役目だろう。
……すべての決着をつける。
ユキジも目にもう迷いはない。愛刀の「細雪」を抜き、いつものように正眼に構える。
何十合という多くのコハクとカリンの刀による対話が繰り広げられた。その中で斬撃を受け止める力が少しずつ弱っていっているのをカリンは感じていた。攻撃の流れが途切れ、鍔迫り合いになったところで、ユキジがカリンに向かって叫ぶ。
「カリン! あとは私に任せろ!」
「……こんないいところで変われるか! ユキジ!」
鍔迫り合いでグッと押し込みながら、カリンが横目でユキジを見て答える。コハクは二人のやり取りに目を細める。
「嬢ちゃん、変わるんや! 最後はユキちゃん……終わらせるのはユキちゃんの役目や!」
「……」
ツクネの言葉に少し考え込んだカリンは、小太刀に込めていた力を逸らし、回転してユキジの側まで後退する。
「……今度またカステルラをおごってもらうからな」
「ああ」
そう言ってカリンはさらに後ろに下がり、ツクネと共に行く末を見届けることにした。「ありがとう」心の中でカリンに告げて、ユキジはコハクと対峙する。
あたりには少し風も出てきた。ヤシロのことを考えるとあまり時間をかけていられないことはわかっている。それでもユキジは問いかけずにはいられない。
「……こうするしかなかったのか? 大老はもういない。他の道もあったはずだ」
「すべてはもう遅すぎました……ヤシロさんを斬った私はすでに心までも妖怪です。さあ、もうおしゃべりはいいでしょう。ユキジさん、最後の勝負です」
ユキジの目にも明らかにコハクが弱りだしているのはわかっていた。すでにコハクの血をほとんど吸い尽くした「紅喰」の触手も細りだしている。このままでもいずれ、コハクは力尽きるだろう。だが、その最後は……。ユキジは大きく息を吸い込んだ。
「行くぞ、コハク‼」
正眼に構えた刀の先に一旦、意識を集中させて、そこからスーッとその集中の範囲を広げていく。その集中の広がる範囲がユキジの間合いだ。少しずつじりじりとコハクとの距離を詰める。お互いの間合いの円が重なった瞬間が、勝負の瞬間だ。
コハクもユキジに向かって伸びようとする「紅喰」の触手の本能を抑え込み、純粋に刀の勝負に応じる。右下段に構えたコハクも、二人の間に流れる緊張感を楽しむように、少しずつ間合いを詰めた。
間合いの読み合いとは、呼吸の読み合い。ひいては相手の心のつかみあい。この間合いを探るわずかな間、ユキジとコハクは互いの想いを共有しているかのようであった。
勝負は一瞬。動き出しはユキジとコハクはほぼ同時、剣速も変わらない。勝負を分けたのは想い。「剣禅一致」という言葉があるが、終わりを求めたコハクとの心の差が、ユキジの「細雪」をわずかにコハクより速くはしらせる。
ユキジの刀が触手に覆われた腹部から背中にかけて斬り抜ける。ユキジは残心も取らず、斬り抜けた形のまま静止する。コハクも立ち尽くしたまま動かなかったが、しばらくすると小さな声でつぶやいた。
「ユキジさん……あ……りがと……」
そのままうつぶせに倒れ込むコハクを白い光が包み込む。その光は天に向かって強く伸び、やがてその光がチラチラと分かれて、ユキジたちのもとに降り注ぐ。それは細やかな雪のようだった。
ユキジは急いでコハクのもとに駆け寄り、倒れているコハクの上半身を抱え起こす。ツクネやカリンも側に駆け寄る。
薄く目を開けたコハクが口を開けて、かすれる声を絞り出す。「紅喰」は砕け、その触手はすべて浄化された。雷獣の核を失くし、「紅喰」の触手も消えたコハクはもう助からないだろう。
「コハク‼」
「……ユキジさんの……刀は妖怪を浄化する刀……」
虚空に向かってコハクはつぶやく。腹部には大きな穴が開き、もう目も見えていないのかもしれない。
「……今残った私のからだは人間と言っても……い……いですか?」
その言葉を最後にコハクは動かなくなった。ただその最後の表情はとても穏やかで、浮かべた微笑は温かみすら感じるものだった。
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