第四話

 今の今までコハクの存在を忘れていたことをユキジは悔やんだ。いくら大老ツクモに気を取られていたとは言え、横槍を入れてくる可能性は少し考えれば十分にあった。


 しかし、こうなってはうかつにユキジたちも動けない。少しでも不審な動きをすれば、コハクはためらわずヤシロを刺すだろう。


「さあ、ツクモさん、早く教えてもらいましょうか」


 コハクがツクモに迫る。


「待て……コハク、わかっているのか? 私を殺してしまうとお前は二度と人間に戻れないぞ」


 慌てた様子でコハクを説得しようとするツクモに、無慈悲にコハクが電撃を加える。衝撃で、もう一度ツクモの体が跳ね上がった。想像を裏切るコハクの行動にツクモは驚く。


「これが最後の警告です。ここまで追い込まないとあなたが動かないことは十分に承知しています。それにツクモさん、あなたが必ず最後に交渉材料を残していることも……」


 コハクの視線とツクモの視線が交差する。ツクモの頭の中で、様々な計算が目まぐるしく駆け回った。


「……ヤシロは倒してくれるんだな?」


 ツクモが念を押す。その二人のやり取りを聞いて、コハクに刀を突きつけられたヤシロが叫んだ。


「コハク! 騙されるな! この男が約束を守るような男か?」


「……ヤシロさんは少し黙っていてもらえますか? 今は僕とツクモさんが話しているんで」


 そう言ってコハクは視線をツクモに戻した。あごをしゃくってツクモに決断を促す。コハクもいっぱいいっぱいの中で駆け引きをしているのだろう。コハクからいつもの冷たい笑みが消えていた。


 ただそうしながらもユキジたちへの警戒も怠っていない。ユキジも飛びかかる隙を伺ってはいたが、それは難しそうだった。


「……私は結晶化させた妖力を核として、人体に結合させる方法で、お前の妖怪化を図った。希少な実験体である雷獣を結晶化させた核は、お前に万が一のことがあっても取り外しができるようにしている」


「……」


 大老ツクモの言葉の真偽を吟味するように、コハクは大老の目を見つめる。


「だが、核には機密の保持のために特殊な電気信号を送らなければ、取り外せないようにしている」


「無理に取ろうとすればどうなります?」


「信号なしに取り外そうとすれば、機密保持のため結晶化した核は爆破される」


 妖怪化した顔でも大老の焦りの表情は見て取れる。深いしわの隙間にびっしょりと汗を浮かべていた。


「……解除装置は?」


「実験施設に一つと、もう一つは常に持ち歩いている。いつ回収する必要が起こるかわからなかったのでな……それぐらい私にとって雷獣の核は大切なものだった」


 そう言ってツクモは残った右腕で、金属でできた小さな箱を取り出す。その箱の表面にはボタンらしき突起物がいくつもついている。この解除装置の起動にも、ツクモしか知らない手順があるようだった。ツクモが半壊した左腕で解除装置を支え、右手でボタンを押すそぶりを見せる。


 その姿を見てコハクは再びいつもの冷たい笑顔を取り戻す。その表情を見てユキジは背筋がぞっとするのを感じた。あれは……何かを決断した眼だ。


「……ヤシロさん、今までありがとうございました」


 コハクは小さな声でそうつぶやくと、ヤシロに突きつけた「紅喰」を背中から突き立てた。おびただしい量の血が噴き出し、ヤシロはそのまま前のめりに倒れ込む。


 「紅喰」が久々に吸えた生き血に触手を伸ばし、猛ろうとするのをコハクが抑え込む。 返り血を浴びてなお、笑みを浮かべるコハクと目の前の状況に、ユキジは思考が停止する。


「……それでは、解除をしてもらえますか?」


 右手に雷を溜めこみ、それをツクモに向けて牽制しながら、コハクがツクモに迫る。


「……わかっておる。解放するさ」


 ツクモが解除装置のボタンを順に押していく。カチカチと小刻みな音が響き、ツクモが最後のボタンを力を込めて押し込んだ。


「……この世からな‼」


 大老の言葉と共に、コハクの内部で爆発が起こる。腹部の肉片は飛び散り、体内にできた穴は貫通して、足元一面に血だまりができた。その量は容易に死を想像させるものだった。


「な……ぜ……」


 血の海でひれ伏したコハクの傍らで、ツクモの高笑いが響く。


 初めからツクモにコハクを人間に戻すつもりはなかった。万が一、コハクが裏切ったときのために、人間の体と妖力を結合させる機関を暴発させる装置を組み込んでいた。


「コハクもヤシロも馬鹿な奴め! とどのつまり私に利用される運命だったのだ……さあ、コハクにヤシロ、私の血肉となって生きるがいい‼」


 そう言ってツクモは尾の大蛇をコハクに向かって伸ばす。蠕虫は破壊されてしまったが、直接捕食すれば結果は同じだ。目の前で横たわるコハクとヤシロを喰らった後は、目障りな小娘二人を始末すればいい。


 予定外の深手を負ってしまったが、それも屈強な者たちの生命力を喰らえば問題はない。先々のことまで計算しながら、大蛇の口元を大きく開けコハクを丸のみにしようとしたその時、炎の輪が回転しながら飛んできて、大蛇の頭を切り落とし、燃やし尽くす。


「これ以上、お前の思うようにさせるかよ!」


 炎の飛んできた方向に目をやったツクモの視線の先には、炎の尾に二刀小太刀を逆手に持ったカリンが立っている。


 それを機にユキジとツクネも動き出す。ツクネは素早く籠から、鋼鉄の南京玉すだれを取り出すと、ツクモ目がけて振るう。玉すだれは勢いよく伸びていくが、いくら弱っているとはいえツクモはそれを難なく振り払う。


 だが、それでいい。ツクネの狙いは初めから一瞬、ツクモの気を逸らすことであった。言葉はなくとも阿吽の呼吸で、ツクネが玉すだれを振るう時には、もうユキジは動きだしていた。


 ユキジの抜き胴がツクモに迫る。ツクモも必死に反応しようとするが一呼吸遅い。鮮やかなユキジの横薙ぎがツクモの左わき腹付近に決まった。ツクモの傷口から白い光が漏れ出る。


 さらにユキジが、ツクモに止めを刺そうと刀を振り上げる。それを傷口を押さえながら、フラフラと刀を杖のようにして立ち上がったヤシロが制した。


「父上⁉」


 手元が震えながらもヤシロは刀を構え、ツクモに対峙する。


「……ユキジ、ここからは私に任せてもらおう。手出し無用だ」


「⁉ ……しかし、父上」


「ツクモは私が倒さなければならない相手だ」


 血はまだ止まらず、立っていることでさえやっとのはずだが、その目の光は消えていない。ユキジはもう止めることはできなかった。


「……そろそろ決着をつけよう、ツクモ」


 ヤシロは刀を正眼に構え、少しずつ間合いを詰める。大老ツクモも覚悟を決めたのか、残った右手の爪を振り上げ、残った片足と大蛇で地面を支え立ち上がる。ツクモももう満身創痍だ。おそらく次の一撃が二人にとって最後になるだろう。


 じりじりと二人の間が詰まる。大気が二人の間に集束しているかのようである。もはや小細工は弄しない。お互いの間合いに入った瞬間、閃光のように二人が動き出す。


 大老の鋭い爪とヤシロの「灰燼」が激しく交差する。雷鳴のような金属音が響いた後、ヤシロとツクモは背中合わせで一刀一足の距離で立っていた。息を吞み見守るユキジたち。


 先に崩れたのはヤシロ、既に深手を負っている左肩から激しく血が噴き出し、刀を杖のようにして、片膝をついた。


 一瞬の静寂。その後、立っていた大老ツクモの頭が天を見上げるように動いた。ツクモの頭から胴体にかけて、黄金の糸のような筋が走る。


「……ヤ……シロ、お前は私の……」


 ぼそぼそと唇が動くが最後の方は言葉にならない。二つに分断されたツクモの体は、やがて焼け落ちた灰のように崩れ去り、風に舞う。その灰を運ぶ風が戦いの終わりをつげるかのようであった。


 大いなる野望と共に大老ツクモはこの世から完全に消え去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る