第二話

 新たな獲物が近づいたことを本能的にわかっているのか、それともツクモの意思が働いているのかはわからないが、その深い緑色をした巨大な蠕虫ぜんちゅうは、近づいてくる二匹の鬼に対して明らかな戦闘態勢をとった。


 まだ血液や肉片のついている口元を大きく開け、体をうねらせながら、大きく天に向かって伸びると、そこから玄鬼とカリンの方に向かって、その牙を突き立てようと、一瞬にして降りてくる。


 カリンが思っているよりも、動きは疾く、紙一重でその牙を躱すのがやっとだった。二人に躱され、そのまま地面に激突した蠕虫はそのまま、体をうねさせて地面に潜り込む。地面にできた大きな穴に向かって、カリンが炎を射出しようと、炎の尾を出した時、横から玄鬼が出てきた。


「しゃらくせえ‼ このミミズ野郎が!」


 そう言って玄鬼は地面に向かって、思いっ切り腕を振って、拳をぶつける。あたりに地響きが、鳴り響き、衝撃で拳をぶつけた周辺の地面が吹き飛ぶ。玄鬼を中心に爆発でもあったかのような、破壊力で、地面に潜り込んだはずの妖怪の体がむき出しになる。


 蠕虫は怒り狂ったように、玄鬼の方に方向転換し、大きく開けた顎で玄鬼を噛み砕こうと突進してくる。それを玄鬼は真っ向から受け止めた。円形をしていて、どこまでが上顎でどこからが下顎かわからないが、噛み砕かれないよう、玄鬼は両手で口を押え、力比べを行う。


 玄鬼が力を込めると、その隆々とした漆黒の筋肉が波打つ。力は全くの互角である。口が閉じるのを防いで、鋭い牙を突き立てられることもなかったが、気を抜くと一気に押し切られそうだ。


 単純な力の勝負で、自分とここまで張り合える相手はいなかったので、玄鬼はこの状況を少しだけ楽しみつつあった。ヤシロが行うような間合いの駆け引きなど、高度な技術に裏付けられた戦いも悪くはないが、単純に力と力がぶつかり合う、そんな戦いが好きだった。


 玄鬼は、つま先から指元まで、ありったけの力を込めて、押し返そうとする。そんな父を横目にカリンが右手を振りかぶって、蠕虫に跳びかかる。


「力比べを楽しんでんじゃねえぞ‼」


 口元から少し離れた側面に、鬼の手の平手打ちを思いきり振り抜く。重く鈍い衝撃音が響き、玄鬼と力比べをしていた口ごと、蠕虫がのけぞった。さらに追い打ちをかけようとするカリンに向かって、蠕虫の胴体の根元に当たる部分から数多くの触手が伸びてくる。


 慌ててカリンは腰の二刀小太刀を抜き、迫りくる触手を一つ、二つと切り裂いていく。伸びてくる触手そのものを足場にしながら、カリンが空中で華麗に舞う。カリンの小太刀の軌跡には、分断された触手が、次々と重力に引かれ地面に落ちていく。


 そんなカリンの姿を見て、玄鬼は思わずヒューっと口笛を吹く。玄鬼がカリンを最後に見たのはいつだったのだろう? 成長した姿を頼もしく思うとともに、その間の苦労を慮る。


 逆手に持った小太刀で襲い掛かる触手を斬り落とし、もう一度、本体にまで迫ったカリンの背後から、斬り落とされた触手が先端を鋭利な刃のように尖らせて、再び襲い掛かる。


 カリンが背後から襲い掛かる触手に気づいた時には、もう既にすべてを小太刀で打ち落とすことができないほど触手は差し迫っていた。二、三本は体に刺さることをカリンは覚悟したが、その目の前で触手が、炎の渦で焼き尽くされる。


 カリンが横目で見ると、体の前で両手を広げて玄鬼が構えていた。その掌からは白い煙が上がっている。カリンが尾から発射する炎の輪を、何重にも重ねたような炎の渦で、カリンは助けられた。


「背中ががら明きだぜ」


 玄鬼の言葉に、カリンはぶっきらぼうに返す。


「……余計なことをするな。今更出てきて、親父面か?」


「……」


 カリンの言葉に、玄鬼は無言で戦いの続きに戻る。


 何かしら事情があったことは、わかっている。それでも母親の死、そして、その後のカリンの独りでの生活で、側にいなかった父に対して感情的なしこりは残っている。


 玄鬼もそれがわかっているので、それ以上何も言わない。玄鬼がカリンと母を捨てて旅立ったのは事実なのだから……。


 周囲の地形が変わるほど体をうねらせ、牙をむいて喰らいつこうとしてくるのを躱し、玄鬼が拳を蠕虫の胴体に振り抜く。肉がぶつかり合う、鈍い弾力を含んだ感触が、拳を伝って玄鬼に伝わる。


 そこでさらに玄鬼は、妖気を拳の拳頭部分に集中させた。玄鬼と相手の間で、行き場を失くした妖気が弾ける。蠕虫の胴体に人一人分ほどの穴が開き、緑色の体液が飛び散った。蠕虫は断末魔のような唸り声をあげる。


 着地と同時にもう一撃加えようと、玄鬼が次は左手を振りかぶった瞬間、その漆黒の体に先ほど飛び散った胴体の一部が、鋭く尖りそれが刃物のように降り注いだ。それは普通の刃物では突き刺すこともできない、玄鬼の頑丈な肉体をいとも簡単に貫く。


「……⁉」


 同じように蠕虫に跳び込もうとしていたカリンの動きが止まる。玄鬼の肩口から背中にかけて、いくつもの刃が刺さっている。傷口からは血液が噴き出していたが、玄鬼が大気が震えるような重低音の雄叫びをあげると、筋肉の力で刺さっていた刃を押し出した。


 決して浅い傷ではなかったが、致命傷ではないと判断して、カリンも再び攻め手に回る。とっさに玄鬼の心配をしてしまった自分の気持ちを隠すかのように、息もつかぬほど連続して攻撃を繰り出す。


 カリンは鬼の手から伸びる鋭く尖った爪を、蠕虫の体に突き刺す。そして、右手を蠕虫の体に突き刺したまま、激しく暴れまわる蠕虫にしがみつき、その傷口から直接体内に妖気を送り込む。


 ……無茶苦茶しやがる!


 玄鬼は自分のことは棚に上げて、巨大な蠕虫にしがみつくカリンを見て思う。自身の妖気をうまく制御して、相手にぶつけ、弾けさせるのは、実は簡単なことではない。うまく弾けさせる感覚をつかむには、それなりの才能も必要だったし、制御を誤ると自身の手足が、吹っ飛ぶことになる。


 しかも、あの暴れまわる蠕虫の体にしがみつきながらである。できるだけたくさんの妖気を送り込んでから弾けさせた方が、相手に与える痛手も大きくなるが、その分時間がかかる。


 異物を混入されていることに気づいているのか、蠕虫は一層、激しく体をうねらせる。カリンはそれに必死にしがみつく。


 しびれを切らした蠕虫は、カリンにしがみつかれている部分より先を細く伸ばし、大きく旋回して、その牙をしがみついているカリンに突き立てようと伸ばす。


 その動きを一早く察知した玄鬼が、胸の前で蠕虫目がけて、掌を合わせた。周囲の気温が一気に上昇する。唸りをあげて、特大の業火が渦を巻いて、玄鬼の掌から発射された。


 赤橙の竜巻のような炎の渦が、蠕虫の口に当たる部分に直撃し、その衝撃と業火で動きが止まった。炎に包まれた蠕虫の口元からは再び、唸り声が漏れる。


「やれ‼ カリン!」


 玄鬼の叫び声がカリンにも届く。カリンが指先にグッと力を込めると、直接、蠕虫に注入された妖気が弾け飛んだ。砲撃戦のような爆発音と共に、蠕虫胴体もカリンの体も風圧で飛ばされる。


 勢いよく地面に叩きつけられそうなところをギリギリで、玄鬼が受け止めた。


「全く無茶しやがって……そういうところはサクラそっくりだ」


 母の名を呼ぶ、玄鬼の目元が少し優しくなったのをカリンは見逃さなかった。思えば父に抱きかかえられたことなどあっただろうかとカリンは思う。少なくともカリンが記憶する父はそのようなこととは無縁であった。


 そのたくましい腕には今回のものだけでない無数の傷がある。カリンには言わない玄鬼には玄鬼の生き方があったのだろう。玄鬼はカリンをそっと地面に降ろすと蠕虫の方に向き直す。


 玄鬼とカリンの攻撃で、すでに胴体の部分は二か所がえぐり取られ、そこから体液が漏れ、最初と比べると明らかに弱ってきている。


「……決着けりをつけるか」


 玄鬼はそうつぶやくと、蠕虫に向かって大きく跳躍する。蠕虫は玄鬼を狙って、根元から生えた触手を伸ばし、その両腕を絡めとった。しかし、玄鬼は空中で、思いきり腕を交差させて、力づくで触手を引き千切る。


 さらにそのままの勢いで、蠕虫の胴体の大きくえぐられた部分に両手を差し込んだ。蠕虫が触手を鋭利に尖らせ、玄鬼を突き刺すのもお構いなしに、差し込んだ両手を、力づくで扉を開けるように動かす。


 玄鬼のたくましい腕に、いくつもの筋が浮かぶ。あらん限りの力を込めていることが容易に見て取れる。無理やり体細胞の繊維を引き裂き、緑や赤の体液を浴びる姿は、さながら地獄絵図の鬼そのものである。


 けたたましい雄たけびをあげながら、蠕虫の胴体を完全に引き裂いた玄鬼は、その引き裂いた傷口から零距離で、炎の渦を発射する。轟轟と天にも届かん勢いで、火柱が立ち上った。その炎の中で黒い影が少しずつ崩れていく。


 玄鬼はそれを見届けながら、片膝を着いた。体にはたくさんの刃が刺さっている。さすがの玄鬼も疲労が見て取れる。とりあえず自分が果たすべき役割は果たしたと思った瞬間、火柱の中の黒い影が光った。


 蠕虫は最後の力を振り絞って、大きく開けた口から集めた生命力を光線状にしたものをカリン目がけて発射する。完全に不意を突かれたカリンは動くことができない。


 カリンの目の前に光線が迫ろうとするとき、玄鬼が跳びこんできてカリンの前に立ちふさがる。カリンの方を向いて仁王立ちする玄鬼の背中に、白い光線がぶちあたる。その輝きで、カリンは全く前が見えない。


 数秒の間、放出された光を玄鬼が背中ですべて受けきる。輝きが止んで、カリンが目の前に置いた左手をどけたとき、その場に前のめりに倒れこんだ玄鬼の姿が見えた。最後の光線を吐き切り、蠕虫は完全に炭化して、その場に崩れ去った。


「親父‼」


 カリンは急いで、玄鬼に駆け寄る。


「大丈夫か……カリン」


 玄鬼の問いかけに、カリンは無言でうなずく。


「そうか……よかった。俺もこれくらいの傷は何ともない」


「なぜだ? あんたはアタシを捨てたんじゃなかったのか?」


 玄鬼の傷はどう見ても何ともないことはない深手だった。生命力の強い鬼でなければひとたまりもなかっただろう。少なくともこの後の戦闘には参加できそうにない。


 カリンはそこまでして、自分を守った父親の真意がわからなかった。鬼と人間の合いの子として、様々な苦労をしてきたカリンは父に捨てられたものだと思い込んでいた。


 しかし、思い返すとそんな父を母が悪く言ったことは一度もなかった。「ぶっきらぼうに見えて、優しいところもあるのよ」いつかの母の言葉がカリンの脳裏によみがえる。それは記憶の遠く遠く、奥深くの思い出。


 カリンの問いかけに対して、呼吸をすることも辛そうな玄鬼がゆっくりと答える。


「……約束したんだ。サクラ……母さんと」


「約束?」


「ヤシロを助けてやってほしいって」


 玄鬼から出た意外な言葉にカリンは驚いた。なぜ母からユキジの父の名前が出てくるか見当がつかない。


「カリンのことは私がきちんと育てるから、しっかりしているけど、一途すぎて周りが見えなくなることもある兄の背中を守ってほしい……サクラにそう頼まれたんだ」


「……兄? ユキジの父が母さんの?」


 茫然とするカリンに対して、意識があるのか、それとももう意識をなくしているのか、朦朧とした様子の玄鬼が、何とか言葉を絞り出す。


「大きくなったな……カリン。今度はお前が……力になってやって……」


「……親父」


 最後は小声になって聞き取れない部分もあった。そのまま、意識を失った玄鬼にカリンは無言で頭を下げる。


 カリンは二刀小太刀を再び腰から抜くと、ユキジたちの戦う方を目がけて走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る