最終話

 目の前の見ていたユキジでさえ、あまりの出来事に思考が停止してしまった。それは他の者も同様である。


「礼を言うぞ、お前たちのおかげで今の私が誕生することができた」


「なっ⁉」


 戸惑うユキジたちに対し、大老は救護施設のある方を指さす。その周りを囲っていた幕が破れ、中から深い緑色した大きなミミズのような生物が、地面から伸び、蠢いている。鼓動のように波打つ体の先には、大きな口があり、あたりはたくさんの血で汚れている。


 よく見るとあたりの地面も血で染まり、いくつかの肉片が転がっている。その中の一つに、ユキジは見覚えのあるものを見つける。


 ……あれは⁉ トマリのつけていた鉄甲⁉


 その塊が何であるかを認識したとき、ユキジの背中に冷たいものが走った。一同の驚きを見て、大老は冷たい笑みを浮かべる。


「あの周りに転がっている肉塊が何か気づいたようだな……そう、あれはこの大会での予選の敗者たちだ。私がこの究極の肉体を手に入れるためには、強き者たちの血肉が必要だった。始めからお前たちは、私に喰われるために戦っていたのだ!」


 大老ツクモの笑みが、やがて高笑いへと変わる。その場にいるすべての者に、絶望の色が色濃く表れる。大きな口を開けながら蠢く生物は、次の獲物を探すかのような動きを見せる。根元からは複数の触手も伸びてきた。


「その蠕虫ぜんちゅうも、私の中の一部分。そこから喰った分が、すべて私の力になる。わかるか? 喰らったもの生命が私の生命となる。私は老いからも、死からも支配を逃れたのだ」


 大老ツクモが混合妖怪である鵺から研究を重ねたのは、他の者の生命を自分に取り込む技術だ。ツクモの数々の人間の妖怪化実験の終着は、自分自身の妖怪化であった。


 他者の生命を自分に取り込む方法として、ツクモは生命力の受け皿としての本体と、生命力の取り込み、および変換口を分ける。そして、その二つ間で意識を共有するという新たな技術の確立に成功した。


 すでに自分を様々な強力な妖怪を自身に混ぜ合わせていたツクモは、他者の生命を吸収する最後の実験の場として、この武術大会を開催した。そして、実験は成功だった。蠕虫が取り込んだ生命は、ツクモに新たな力をもたらした。


「……さてと、ここまで勝ち進んできたお前たちには褒美をやらんとな。この究極の生命体となった私が直々に、お前たちを始末してやろう」


 そう言ってツクモは、一歩ずつ近づいてくる。その体は漆黒の妖気を纏っている。ツクモが軽く腕を振るうと、右腕に虎のような模様が入り、その先から鋭い爪が出てきた。ツクモは自身に取り込んだ妖怪の力を自在に取り出すことができる。


 先程の蛇や今の爪のように部分的に使用するとことも可能だし、それこそ鵺のように全身に様々な妖怪の力を発現することも可能だった。


 少しずつ迫ってくるツクモに対して、付添人の一人が悲鳴をあげて、その場から逃げ出そうとした。背を向けて走りだし、幕の外へ出ようと幕に触れた瞬間、悲鳴を上げる間もなく、消し炭のように黒く焦げて消滅した。


 灰色の蒸気のようなものが立ち込める。同じように逃げ出そうとしたものが、慌てて足を止める。ツクモが底意地の悪い笑みを浮かべる。


「私から逃げられると思ったか? すでに周囲の幕に妖気を巡らせて結界を張っておるわ! お前たちはここで全員、私の力の実験台になってもらう」


 ツクモは瞬時に一番近くにいた槍を持った男のもとに跳び込む。男も槍で受けようとするが、それより早くツクモの爪が、男を縦に引き裂いた。肉片と化した男が、ズシンとその場に崩れ落ちる。


 その肉片をツクモの背中から伸びた大蛇たちが、貪り喰らう。ユキジは腰に下げた「細雪」を抜いて、身構えながらその場から後退して、ツクネの側まで下がる。状況を理解した他の者たちも、それぞれ武器を構えた。ツクモが次の獲物を求めて周囲に視線を動かす。


「ツクネさん‼」


 正眼に刀を構えたまま、横目でツクネの様子を確認する。ツクネもいつもの蛇の目傘を用意している。


「どうやら、やらんとやられるみたいやな……ただ、ここから出んことにはまずいで!」


「どういうことです?」


「ほれ、あれ見てみい!」


 ツクモから以前見たことのある金色の尾が出てきた。ツクモがそれを振るうと、業火が唸りをあげて、付添人の者たちのいた場所を襲う。周囲の酸素を奪い尽くす深紅の炎に巻き込まれた四、五人ほどの者は、もう助からないだろう。


 ツクモがその焼け焦げた肉体を喰らおうと、蛇を伸ばした瞬間、その大蛇の首が刀で斬り落とされた。ツクモの攻撃の隙を狙っていた出場者の一人が、肉を喰らおうと一直線に伸びていく大蛇を狙いすました居合で、斬りつけたのだ。


 刀に確かな手ごたえを感じた男が、振り返って残心を取ろうとした喉元に、斬り落としたはずの大蛇が喰らいつく。


「な……ぜ」


 そのまま倒れ込む男を数匹の大蛇が食い散らかす。その光景に気を取られている隙に、さらに一人の男の体が弾け飛んだ。


「さっきの大老の話を聞いてたやろ? 外のあの気持ち悪いミミズが、大老本体に力を送っとるんや。まず、あれを倒さんことには、いたちごっこやで!」


「……でも、外に出るには」


「だから、まずいことになっとるんや。あかん! 来るで!」


 すでに武術大会の決勝出場者と付添人の半数が、ツクモに倒されている。ツクモの視線が、ユキジとツクネの方に向く。


 ……やるしかない!


 結界の方を破ろうとしてみることも考えたが、結界の破壊を画策しながらツクモと戦う余裕はない。たとえジリ貧だとしても、目の前のツクモの攻撃を受けるしかない。


 ユキジとツクネが、そう腹をくくった時だった。


 大老ツクモのつくった結界に、外から炎の渦が飛んできてぶつかる。その炎の渦も、大老ツクモの妖気の結界にかき消された。


 そこにさらに一般の大男を二回り以上大きくした、鋼のような肉体を持つ黒い鬼が、跳びこんできた。その鬼は両手を組んで振りかぶり、同じ場所目がけて、両手を叩きつける。


 巨大な地震のような地響きがあたりに響き、ユキジたちも思わずしゃがみ込んでしまう。ツクモの動きも止まった。思いきり両手を叩きつけられた衝撃で、結界にわずかにひびが入る。


 地面に着地した黒鬼の背を蹴り、もう一人、初老の剣士が跳びあがり、その結界のわずかなほころび目がけて、刀を振り落とした。男から放たれた鋭い一閃により、ひびの入った結界が、ギヤマン細工を落としたように、粉々に砕け散る。


 地面に着地した初老の男は、ゆっくりと立ち上がり、刀の切っ先を大老ツクモの方に向ける。


「ツクモ……やっと会えたな」


 その男の後ろに、先ほどの黒い鬼も控える。さらにはその隣にはカリンが立っている。


 ユキジはその男を見て、言葉を失う。コハクの言葉から会えると信じて、天戸までやってきた。伝えたい言葉もたくさんあったはずだが、実際、目の前にすると言葉が出てこない。


「……やはりまだ生きておったか、ヤシロ」


 コハクから聞いていたのか、それとも、もともと生存を確信していたのか、ツクモの顔に驚きの表情はない。むしろその表情は嬉々としたものだった。ツクモが自分の力を試すのに、これ以上の相手はない。


「お前を倒さずに、死ねはしないさ……ツクモ、亡き友の無念、今日こそ晴らさせてもらう」


「今日は良き日だ。究極の力を手にしただけでなく……」


 ツクモの右腕が体の数倍も巨大に膨れ上がり、それを目の前のヤシロ目がけて振り下ろす。


「目障りだったお前まで、この手で始末できるんだからな‼」


 振り下ろされたツクモの右手をヤシロは大きく跳躍して躱す。ツクモの一撃で、大きく地面がえぐられ、あたりに削られた石や砂が飛散する。着地と同時に、ヤシロは低い姿勢のままツクモの懐に潜り込み、左わき腹の辺りを斬りつける。


 その傷は瞬時に癒えてしまったが、そのままヤシロはツクモの背後に回り込む。ツクモの意識を自分に向けて、ヤシロが大きな声で叫ぶ。


「玄鬼‼ カリンとそっちの奴を頼む」


 ヤシロの言葉に軽く手を挙げ、玄鬼が蠕虫の方へ向かう。カリンも黙って玄鬼の後に続く。突然やってきた鬼と男が、結界を破り、大老と対峙している隙に、生き残った付添人たちはその場から逃げ出した。


「ユキジ! それから、その連れの方、援護を頼む!」


 ヤシロは再生することもお構いなしに、うまくツクモの攻撃を躱しながら、何度も何度も斬りつける。


「ユキちゃん」


「ええ」


 頷いたユキジは、もうツクモに向かって跳びこんでいる。ツクネも火薬玉を投げ込み、ツクモの隙を作ろうとする。


 ユキジたちの最後の戦いが始まった。

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