第五話
戦の本陣を思わせるような、先ほどよりも少し豪勢な幕で周囲を囲まれている。そこに本戦に進んだ八名が横一列に、少し離れた後ろに付添人十五名が整列している。これだけの人数が並んでも、なお幕の内は戦いができるだけの十分な空間があった。
出場者が並んでいる場所から正面に少し間を開けたところに、他より一段高く上げられ、畳が敷かれて座敷のようになっている場所があった。おそらく大老が大会を見物するためにつくられたものであろう。
できるだけ近くで戦いを見たいという大老の意向でつくられたものか、ユキジが考えていたよりずっと近い。その気になれば、戦いのさなかに大老に斬りかかることも可能ではないかと思えるほどの距離感であった。
先程の開会の時と同じように、仰々しく鐘の音が鳴る。役人に促され、ユキジ達、出場者や付添人もその場に正座で座り込み、頭を下げる。
意外にも今度は駕籠を使わず、ゆっくりと歩いて大老が入ってくる。大老ツクモは座敷の前までやってくるとそこに腰掛ける。ツクモは目の前で蠅を追い払うように、手を前後に振る。
「よいよい、皆も顔をあげて楽にするがよい」
ツクモの言葉で、恐る恐る全員が顔をあげる。てっきりコハクぐらいは側に控えているものと思っていたが見当たらない。
正面からもう一度ツクモの顔を見てみる。深いしわの刻み込まれた笑みに、どこか不吉なものを想い浮かべる。
「ここまでの戦い見事であった。さすがは各藩から集められた猛者たちだ」
大老の最大級の賛辞に素直に顔をほころばせる者もいれば、その裏を推し量ろうとする者もいた。
「さてと……皆に伝えなければならないことがある」
改まった大老の態度に緊張感がはしる。
「武術大会はここで中止とする」
「なっ⁉」
突然の大老の言葉に、ユキジも動揺する。「なぜ?」ユキジの隣の長槍を持った男が、抑えきれずつぶやく。他の者も同様に納得がいかない様子だ。後ろの付添人たちも顔を見合わせ、小声でささやき合っている。
そんな出場者たちに大老ツクモは「控えろ」とでも言うように、手で出場者たちを制する。悠然としたその動きに、周りの者たちは皆、金縛りにでもあったように動きを止める。幕府や藩といった価値観の中で生きる者たちにとって、大老の一言はそれほど重みのあるものだった。
「皆が納得できないのはわかっておる。まずは私の話を聞いてもらえるか?」
有無を言わさぬ大老の雰囲気に、周りの者は押し黙ったままであった。
「私には昔から夢があった。私がもともとは飯森藩の一家老であったことは知っているか? さらにたどると貧乏武家の生まれだったころから、私はあくなき野心を持っていた。もっと上の地位につきたい! もっとたくさんの金が欲しい! もっとうまいものを食べたい! いい女を抱きたい! どこまでいってもその野心は尽きることがなかった。ありとあらゆる手を使って、大老まで上り詰め、その気になれば日の本を意のままに操れる権力を手にしてもそれは満たされることがなかった。……それはなぜか?」
今まで穏やかな好々爺のような顔に隠していた、むき出しの感情が表情にまで表れる。話がずいぶんと、きな臭い方向に向かってきた。ツクモの言葉に圧倒されて、その場にいる者は誰一人動くことができなかった。
「人はいつか老い、そして、死を迎えるからだ」
ツクモは胸の前でグッと拳を握りしめる。
「どれだけ高い地位を得ようとも、どれだけの金を手に入れても、死んでは何も意味をなさない。ならばどうする? それは人間を超えればいい! 老いからも、死からも自由になれる究極の存在……そのためには、どれだけ財を費やしてもいい、いかなる犠牲を払ってもいい。私は人間や妖怪について研究をし続けたよ。究極の存在を目指して……」
今まで微笑のため細め、しわに隠れていたツクモの目がカッと見開かれる。その瞳はすでに人としての心を失っているようであった。
「そして、それは今日、皆のおかげで完成した!」
その大老の言葉を遮るように、抜刀の際の研ぎ澄まされた音と大声があたりに響く。ユキジの二つ隣にいた男が刀を抜いて一歩前に出る。その顔にはまだ幼さが残る。まだ二十を超えたぐらいだろう。
「もういい‼ そのお前の野望のためにどれだけの人間が犠牲になったと思うんだ」
「……なんだ、お前は?」
悲痛な叫びをあげたその男に対して、大老は冷たい声で聞き返す。目の前で刀を抜かれているのに、微塵も動揺を見せない。
「お前の野望で犠牲になった松本藩の藩主を覚えているか?」
「松本藩? そんなやつのことなどもう覚えておらんなぁ」
大老ツクモは下卑な笑みを浮かべながら吐き捨てるように言った。そんな大老に体を震わせ、怒りを必死に堪えながら男が叫ぶ。
「松本藩が瓦解した後も、お前を討つ日を願って、ずっと耐えてきた。大老ツクモ! 殿の敵を討たせてもらう!」
どうやら大老を目的に、この武術大会に参加したのはユキジたちだけではなかったようだ。男は刀を構え、素早く大老に向かって飛び込むと、その喉元目がけて、最短距離を突く。
さすがは予選を勝ち抜いた者だ。全く起こりを感じさせない一拍の動きから繰り出される突きは、光線のように瞬間的に伸びていった。しかし、その突きを大老ツクモは右手の親指と人差し指、中指の三本でつかみ取る。
「⁉」
男がそこからどれだけ力を込めてもピクリとも動かない。
この老人のどこにそのような力があるのか、まわりの者も驚きを隠せない。
「鵺という妖怪を知っているか?」
男の刀を指先で抑えたまま、ツクモが話し出す。
「虎の手足や蛇の尾、狸の胴体などを持つ伝説の妖怪だ。あらゆるものを取り込んだこの妖怪が、私の答えだった。生命がいつか老い、死を迎えるものなら、他の者から奪った生命を力にすればいい……見るがいい! これが完成された今の私の力だ!」
ツクモは右手の指で刀を抑えたまま、左手を男の顔のあたりに触れる。その瞬間、大きな爆発でも起こったように、男の上半身が弾けとぶ。さらにツクモの肩口から無数の蛇が生えてきて、残る男の下半身を丸呑みにしてしまった。
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