第四話

「あれ? カリンは?」


 控えの間に戻ってきたユキジは、カリンがいないことに気づく。


「ああ、ちょっとおつかいを頼んだんや。それよりユキちゃん、次からがいよいよ本番やで」


 胸の前に握りこぶしをつくりながらツクネが言う。そんなツクネにユキジがこくんとうなずく。


「はい! 必ず優勝してきます!」


「あほか!」


 ツクネがユキジの頭を軽くたたく。それほど痛くないはずなのに、ユキジは頭をさする。


「目的が変わっとる! 一番の目的は大老やろ。もちろん優勝ねらったらええけど、あくまでうちらは大老が一番の目的やで。それに雷兄ちゃんの動きも気になる」


「わかっています。それとなく探ってみます」


 そんなユキジを見て、ツクネは、きっと試合が始まったらそれに没頭してしまうんやろなと思う。それに……嬢ちゃんの方も、うまくいっているとええけど。


 何やら恐ろしいことが起こるような、悪い胸騒ぎがした。


 役人に連れられて歩く薩場藩の付添人の後ろをカリンが気づかれないように距離を空けてつけていく。小声で話している声の様子をうかがうと、どうやら試合の敗者は、必ず救護施設で医者に診てもらい、診察結果は、付添人も合わせて聞く決まりになっているとのことである。


 面倒くさそうな表情をしている付添人に、役人は「規則ですから」とたしなめる。控えの間から、少し歩くと救護施設として使われている建物の横に、白い幕で囲われている一角がある。


 薩場の役人たちが、その白い幕の中に消える。様子を伺っていたカリンが、その幕の中まで入ろうかと迷っているときに、カリンの耳に微かだが、悲鳴のような声が聞こえた。


 幕の中は音が漏れないような工夫をしているのだろう。それはカリンの常人離れした聴力でなければ聞き取れないほど微かなものだった。さらに鉄の混じったざらついた匂いがカリンの鼻孔をくすぐる。これは……血だ。


 カリンは急いで、その場所に跳び込もうと地面を蹴った。そこを突然、後ろから羽交い絞めにされる。口も塞がれ、声も出せない。振りほどこうとしても力が強く、カリンをもってしても振りほどけない。


「今、跳び込んだら、お前もやられるぞ」


 掴まれながらも体をねじり、視線を後ろにやって声の主を確認する。カリンは、驚きで全身の力が抜けた。


 床几に座り、ユキジと話しながらも、ツクネは控えの間の外を気にした。


 ……うちも行くべきやったな


 思っていたよりカリンの戻りが遅いので、ツクネは少し心配になってきた。カリンには偵察の依頼をしたが、カリンの性格上、何か危険な場面に遭遇した時、自ら動くであろうことは、少し考えればわかることだった。自分の失策を後悔しつつも、ユキジには悟られないように気を遣う。


 そこへ案内の役人がやってきて、控えの間にいる決勝へ進んだ出場者と付添人に向かって声を張り上げる。


「皆様、大変お待たせしました。決勝の舞台と大老の準備が整いましたので、私に続いてきてください。なお、今回は付添人の方々にも一緒に来ていただけます」


 ぞろぞろと役人についていく出場者を品定めするように見る。さすがに決勝まで進んだだけあって、それぞれただならない雰囲気をまとっている。持っている武器を見ると刀が五人、槍らしきものを持つのが二人である。


 ユキジも帰ってこないカリンを気にしたが、もう時間だ。腰帯に「細雪」と木刀を差して、立ち上がる。


「ツクネさん、行きましょう」


 ユキジは地面の感触を確かめながら、しっかりと一歩を踏み出した。

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