第六章:裏切りの天戸
第一話
……この男が大老ツクモ。
ユキジの場所からは、細やかな表情までは、見て取ることができなかったが、裃をつけた小柄な老人は、拍子抜けするほど普通で、いかにも役人といった風貌であった。
だが、その心の内が、一切出ていないところが、得体のしれない妖怪のようにも思えた。あの深く刻まれたしわの内側で、何を思っているか推し量るように、ユキジはツクモを観察した。
ユキジたちが天戸に着いたのは二日前のことだ。コハクからもらった書簡を見せると意外なほど、すんなりと関所を抜けることができた。どうやら今回の武術大会に向けて、同じようなものたちが、すでに何人も関所を通ったらしい。
天戸に着いてからの二日間は、情報収集もかねて街の中を散策してまわった。将軍のお膝元ということで、初めて天戸に来るカリンや、幼いころに一度来ただけのユキジは、かなり期待して街中を歩き回った。
確かに天戸城を中心に、「旗本八万騎」と呼ばれる将軍直属の部下たちの住む武家屋敷、さらにその外に広がる町人の住む地域と、その城下町の造りや建物は立派なものだった。
しかし、街に住む人々の活気だけを比べるなら、商人が中心の街である野ヶ崎の方がよっぽどあった。大老主催の武術大会という一大事業が開かれるにしては、通りを歩く人々の数もそんなに多くない。
関所での通行の規制が強まり、天戸への入国だけでなく、出国も規制がかかるため、慢性的に天戸では、品不足の状態が続いていた。さらに強欲な商人が値を吊り上げるため、品薄の商品を買い占めているため、庶民の生活は大打撃を受けていた。
コハクからもらった書簡には旅籠の割り当てもあり、幕府からの推薦ということで、無償で宿泊することができた。この旅籠も本来であれば、かなり高級な部類であったが、品不足を受けて、食事も質素なものだった。
旅籠の女将が、「ここだけの話だけど」と前置きした話によると、やはりこのような状態になったのは、将軍が病気で伏せて、今の大老が政治の実権を握ってからだと言う。
大老は豪商ともつながりが深く、政策のほとんどが豪商には都合がよいが、庶民にとってが厳しいものばかりだ。そして、その分、豪商たちから受けた見返りを使って、さらに自分の地位を盤石にしている。
「ここも将軍様が元気なころは暮らしやすい街だったんだけどね……」と話す女将のため息が今の天戸の状況を物語っていた。
そして、もう一つ、女将の話で気になることがあった。妖怪に関する研究施設の話だ。
もともとは将軍家の鷹狩りのための広大な土地だった場所を切り開き、大老が妖怪研究のための施設を造った。天戸でも広がる妖怪被害を防ぐための研究施設だと言われるが、その施設ができてからも、妖怪の被害は減らない。むしろ妖怪に関する被害が増えており、庶民からは、その研究費用で庶民の生活を守れと陰口を叩かれているらしい。
今回の武術大会が開かれるのも、実はその場所の一部だ。狩場を切り開いた研究所に併設する野原に幕を張り、決戦場や控室をつくっている。
ユキジたちの泊まる旅籠に、使いの者が迎えに来たのが数刻前だ。その者に案内されて、例の狩場跡に到着すると、大老による開会のあいさつがあると言い、ユキジは決戦場に通された。
一名の参加者につき、二名までの付添人が認められており、決戦場内には入れないが、控えの間などへは、入ることができる。
幕が張られ、ちょうど戦のときの陣のようになっている控えの間には、床几がたくさん置かれ、ツクネとカリンの他にも各藩の代表の付き添いの者たちが、緊張した面持ちで座っている。
控えの間に係の役人がやってきて、付き添いの者たちも、大老のあいさつがあるのでついてくるように言った。
「……さてと、それじゃあ噂の大老の面でも、見に行くとするか」
ツクネが独り言のように言って立ち上がる。カリンもそれに倣ってついていった。
決戦場のまわりには柵が設けられており、付添人と出場者を隔てている。ツクネとカリンが案内されたときには、すでにその柵の外に設けられた観覧席の椅子にもほぼ人が埋まっていた。
ツクネは立ち見にはなるが、大老が座ると思われる、ほぼ中央の正面に当たる場所を陣取った。出場者たちはすでに、決戦場の中で整列している。ツクネは周囲を見渡しながら、カリンに声をかける。
「嬢ちゃん、なんか変やと思わんか?」
「ん? 何がだ?」
「……人が少なすぎる」
ツクネはもう一度、周囲を見渡した。
「大老主催の武術大会やで、一般の見物人は規制するにしても、各藩の藩主か家老ぐらいは顔を出してもええはずや。大老に顔覚えてもらう、ええ機会のはずやからな。でも、見てみい。あの整列している出場者の数に対して、この見物人の数や、どこも付添人以上の数はだしとらんちゅうことや」
「大老が人数を制限したってことか?」
「おそらくそうやろな。でも、問題はそこやない、何のために見物人の数を減らしたかやな」
「何のために?」
カリンの問いかけに、ツクネは深刻な表情を浮かべる。
「……わからん。でも、例えば、ここでなんか事件が起きたとき、人数少ない方が、口封じはしやすいな」
……少なくとも大老がからんどるっちゅうことは何かしら裏があるってことやな
ツクネは、素早く頭を回転させて起こりえる状況を想像しながら、大老の登場を待った。
仰々しく鐘の音が鳴り、研究所のある建物の方から、豪華絢爛に飾りつけのされた駕籠がやってくる。駕籠を持つ人夫以外にも、周りには護衛らしきものが四人ほど取り囲んでいる。そのうちの一人はコハクだった。
出場者だけではなく、柵の外にいる見物人の間にも緊張感が走る。各藩の家老級の者でも大老に実際に会ったことのあるのは、ほとんどいない。ましてや今回、この場所に来ているもので、そこまでの身分の者はいないのでなおさらだ。
ただ皆、大なり小なり大老の噂は耳にしているだろう。ツクネと同じように大老の裏を探る腹づもりの者もいれば、この機会に大老に取り入ることを願うものもいた。
駕籠から出てきた大老に対するツクネの感想は、ほぼユキジと同じだった。表向きは好々爺のように、表情を崩しているが、その目の奥の光が見えない。
大老は周囲を囲まれたまま、台座の上にあがり、整列した武術大会の出場者と向かい合った。大老は年齢を感じさせるしゃがれた声で、開会のあいさつを始める。
不協和音のような耳に残る大老の声を、ユキジは昔も聞いたことがある気がした。記憶には残っていないが、事実聞いたことがあるであろう声に嫌悪感を覚える。
何か特別なことを話すこともなく、「各々精進するように……」といった当たり障りのない話を終えると、降壇する。
その際、ユキジと目が合った気がしたが、ユキジが注意深くツクモのことを見ていたからそう見えただけなのかもしれない。ツクモは駕籠に乗り込み、そのまま建物の方に戻っていく。コハクもそれに付き添った。
続いて武術大会の規定について役人からの説明があった。役人の話を簡単にまとめると、竹刀や木刀だけでなく、真剣も含めて武器の使用はすべて認められ、勝敗はどちらかの降参、あるいは戦闘不能を検分役が確認したとき、時間は無制限という過酷なものである。
一応、医療用の救護施設を設けていて、試合後は治療を受けられるとのことだが、最悪の場合、命を落とす可能性もある。
まだ戦国の世のころにはこのような形式の大会もあったようだが、幕府が作られ、大きな戦がほとんどなくなった現在ではほとんど見られなくなった。特に剣術の大衆化と共に、竹刀が普及してからは、剣術の鍛錬においての安全性が高められた。
大会はこの後、予選が開始される。出場者は「ゐ」から「ち」までの八つの組に組み分けされ、その組を勝ち抜いたそれぞれ一名だけが、大老の御前で行われる決勝へと進むことができる。ユキジが渡された木札には「ほ」と書いてある。
……まずは予選を全力で戦う
大老に再び、見えるには決勝へ進む必要がある。握っていた拳に力を込めて、気合を入れ直した。
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