最終話
「まさか本当に、あの狐を倒してしまうとはな……親切はしてみるもんだな」
宿を引き払って、野ヶ崎を後にしようとするユキジたちの元へやってきた名無丸が、ユキジの肩を叩きながら言う。
さすが野ヶ崎の顔役である。ユキジ達が九尾を倒したことも、今日出発することもすべて耳に入っている様子だった。
「それで天戸へ行くんだって?」
「ええ、名無丸さんの言っていた、武術大会への推薦状を手に入れることができました」
ユキジは懐に入れてある書簡を握りしめる。
九尾の狐タマモを倒した後、コハクからこの書簡を渡された。中には幕府からの推薦状が入っているという。何もかもコハクの思い通りに進むことは気に入らないが、これで天戸への関所も抜けることができる。
虎穴に入らずんば虎子を得ず……ツクネが四菱に突入前に言っていた言葉が、ユキジの脳裏に浮かぶ。これで大きく一歩、ヤシロに近づいた。
タマモの妖気が晴れ、徐々に四菱の人々も意識を回復し始めたので、タマモと共に四菱に来たコハクは一足先に退散することとなった。
「天戸でまた会いましょう」という言葉を残し、四菱を去ったコハクの話では、ヤシロ、それに共に行動をしているカリンの父である玄鬼も、必ず近いうちに天戸に現れるはずだという。
ユキジにとって父を探すという当初の目的はもちろんのこと、大老ツクモやコハクも旅の大きな目的となりつつあった。
「天戸へ行くなら、うちの船を使うといい。天戸までは行かないが、その手前の行浜までちょうど荷を運ぶことになっている」
「いいんですか?」
遠慮して名無丸に伺いを立てるが、名無丸はもう勝手に手配を進めてしまっているようだ。一応、ツクネとカリンの方も見てみるが、二人もうなずいている。
「ありがとうございます!」
せっかくなので名無丸の好意に甘えることにした。ここまで来るのに、ほとんどが陸路を歩いてきたことを考えるとずいぶんと楽だ。
名無丸に礼を述べると、船まで案内してくれるという名無丸の部下の後について、三人は港の方へ歩き出した。名無丸から渡されたカステルラを頬ばり、カリンもご機嫌だ。
しばらく歩くと、昨夜の四菱の屋敷が見えてきた。まだ半日しか経っていないのに、昨日の騒ぎが嘘のようだ。昨日、ツクネが蹴り飛ばした正門の辺りに、人影が見える。その人影が誰であるか確認すると、ツクネの胸が締め付けられた。
「よっ! 昨日はずいぶんと世話になったな」
三人が近くまで来るのを待って、カイが声をかける。どうやら三人が通るのをずっと待っていたようだ。ユキジは軽く会釈をしたが、ツクネはそっぽを向いている。
「……なあ、ユキちゃん」
カイからは視線を逸らしたまま、ツクネが声をかける。
「……悪いけど、ちょっと先に行っててもらってええか? すぐ追いつくから」
雰囲気を察したユキジは、無言でうなずき、「ほら、行くぞ」と言ってカリンを引っ張っていく。訳が分からず、不思議そうな顔をしながらユキジに引っ張られていくカリンを見送ってから、声をかける。
「もう……大丈夫なんか?」
「ああ、あいつと長いこといた親父なんかは、まだ寝込んでいるけど、俺はもう元気だ」
「そうか、よかったな」
ツクネは、まだカイから視線を逸らしたままだ。
「ツクネはもう行くのか?」
「そやな、次は天戸。その後も、うちは香具師やし、全国を飛び回ってると思うわ」
「……」
そこで二人の間に沈黙が訪れる。お互いに言いたい言葉はあるのに、喉の奥につっかえて、そこから出てこない。
大きく息を吸い込んだ後、ツクネがやっと言葉を絞り出す。
「ほな、達者でな」
気持ちと裏腹のあっさりとした別れの言葉で、あいさつを済まし、ツクネが歩き始める。そのツクネの背中に向かって、想いを押さえきれなくなったカイが呼びかける。
「ツクネ‼」
カイの声でツクネが立ち止まる。
「昨日も言ったけど、俺、商人が安心して商売ができる国を作っていこうと思う!」
「……」
カイがひと際、大きな声で叫ぶ。
「そばにいてくれないか?」
「……」
「そばで俺の夢をずっと支えてほしい!」
ありったけの想いを込めて、カイは言葉を紡ぐ。カイの言葉は、ツクネの心の奥の奥、柔らかい場所まで、しっかりと届いた。
ツクネはしばらく立ち止まったまま動かなかった。ツクネの次の言葉を待つカイとの間に凝縮した静寂が流れる。
しばらくしてツクネは突然振り返ると、カイに駆け寄り、首に手を回して抱きつく。そのまま耳元で「夢……叶うとええな」とつぶやくと、そっとカイの頬に口づけをした。
突然のことに固まるカイを他所に、ツクネは再びカイに背を向けると「それじゃあ、元気でな」と言って走り出した。
「ツクネ‼」
カイが再び呼ぶ声には、もう振り向かない。きっと振り返ったら、もう前に進めないのだろう。そんなツクネの想いもカイに伝わっているのだろう。
「ツクネェェェー! 俺、必ず夢……叶えるから! 新しい世の中、つくってやるから!」
ツクネの背中が見えなくなるまで、カイは叫び続ける。そんなカイの声を背中で聞きながら、ツクネは息を切らしながら走った。走って、走って、ツクネはこの想いが、あふれだしてしまわないためだけに走り続けた。
陽は少しずつ傾きかけている。ツクネがユキジたちに追いついたのは、名無丸の船に、ちょうどユキジたちが乗り込むところだった。
「……ツクネさん、いいんですか?」
ユキジが遅れてきたツクネに気を遣って声をかける。
「何がや?」
「残ってもいいんですよ」
「何言うとんねん! ここまで関わって、大老の顔も見んと止めれるか!」
ユキジに余計な心配をかけぬよう、必要以上に大きな声で、言葉を返す。そのツクネの顔を横から見ていたカリンが、ツクネの様子の変化に気づく。
「ツクネ……泣いていたのか?」
カリンの指摘で、慌ててツクネは目もとをこする。
「あほか! 泣いとらんわ! 潮風が目にしみただけや」
それ以上はカリンも追及しない。ちょうど船が出港の準備を終え、帆を降ろした。
「しょうもない話してんと、いよいよ天戸や! 気合い入れていかんとあかんで!」
ツクネの激に、ユキジとカリンも強くうなずく。
大老ツクモ、コハク、そしてユキジの父ヤシロとカリンの父玄鬼、それぞれの思惑が交錯する。確かに気合を入れて臨まないと、とユキジは自分を戒める。
ユキジたち三人はそれぞれの想いを胸に、野ヶ崎の街に別れを告げる。穏やかな波の中にゆっくりと夕陽が沈んでいく。風を受け大きく膨らむ帆が、よりいっそう船体を力強く推し進めた。
決戦の時は近づいていた。
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