第五話

「タマモさん、天下の四菱があっという間に、狐の巣とはさすがですね」


 コハクは辺りを見渡して言った。


 オサキと呼ばれる狐妖怪が周囲に屋敷の中にあふれている。九尾の狐の尾の先から生まれたため、「オサキ」と呼ばれるこの妖怪は、人間のように二足歩行で歩き、着物を着ているが、その容姿は狐そのもので、特徴的な長い尾を携えている。


 屋敷の中には、カイの父親をはじめに、もともといた四菱の人間もいたが、そのすべてが恍惚の表情を浮かべ、意識が朦朧とした様子である。


 九尾の狐タマモは、自身の妖気を周囲に散布し、周囲の人間を骨抜きにして操るという力を持っていた。その効果は、距離的にも時間的にも、タマモの側にいればいるほど強まる。屋敷の中の人間は、ほぼ誘惑し終わったが、肝心のカイには効果が出る前に、逃げられてしまった。


「コハク、大老のお気に入りだからと言って、あんまり調子に乗るのではないぞ。こそこそと動き回っているのを、私が知らないとでも思っているのか?」


 タマモはその艶やかな黒髪をかき上げて、コハクを睨み上げる。コハクはヒューと口笛を鳴らし、相変わらずの微笑みで返す。


「怒った顔も素敵ですよ。タマモさん」


 コハクは素直な意見を言ったつもりだが、九尾には伝わらない。


「……愚弄するつもりか? 雷小僧‼」


 ヒリヒリと焼けつくような妖気をコハクは肌で感じた。九尾の伝説は伊達ではない。抑えきれず漏れ出た妖気からも、その実力の一端が垣間見えた。


 コハクは降参といった風に、両手を挙げる。


「そんなつもりはありませんよ。ただ感想を述べただけです。もしかして、私、嫌われていますか?」


「嫌いにきまっておろう、この人工妖怪が‼」


「……その言葉」


 吐き捨てるように言ったタマモの言葉に対して、コハクが反応する。


「……私の前で言わない方がいいですよ」


 コハクの表情は変わらないが、コハクの妖気に鋭く凍てついた殺気がこもる。タマモもその妖気に反応して、コハクを睨み返す。二人の間に緊張が走る。空気が二人の間に集束しているかのようであった。


「なーんてね、冗談ですよ」


 コハクが殺気を解く。タマモはその様子を見ても、警戒を解かない。先ほどの鋭い殺気は決して、冗談で出せるようなものではなかった。


「それで、あの御曹司の坊ちゃんはどうするんですか? 骨抜きにする前に逃げられましたよ」


「すでに、オサキ共に追わせている。すぐ連れて帰ってくるさ」


 九尾の人心を惑わす術には、効果に個人差がある。多くの者は四半刻も近くにいれば、完全に操ることができるのだが、中には生まれつき耐性があるのか、術式が効きにくい者もいる。


 カイもそうであった。少しの時間とは言え、タマモと至近距離で話をしていたのに、完全には術式が効かなかった。傀儡として利用するには、もう少し時間がかかるだろう。


「あの女性はどうします?」


 ツクネのことを指して、コハクが問いかける。


「私が連れてくるように言ったのは、あの男だけだ。それ以外は、好きに始末してもよいといってある。今頃、もうあの世へでもいっているのではないか」


 タマモは妖艶な笑みを浮かべる。何やらコハクと通じていたあの小娘は、必ず始末するよう部下に伝えてある。


「そううまくいきますかね? タマモさんが思っているより、あの人はずっとしぶといですよ」


 下っ端の妖怪に簡単にやられるようなツクネではないことをコハクは承知している。むしろ、それがきっかけで、あの三人とタマモがぶつかることになれば……


 おもしろくなってきたと、コハクは変わらず、どこか冷ややかな微笑を浮かべながら、窓の外を眺めた。

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