第四話

「……それで聞きたいこととは何でしょう?」


「ずいぶんと素直なやっちゃな、聞いたら答えてくれるんか?」


「ええ、答えられる範囲で」


 コハクの表情は変わらない。今までも、ツクネは香具師として様々な交渉に関わってきた。その経験の中でも、こういったつかみどころのない種類の人間が一番、やっかいな相手だった。


「そうやって言われると、聞きたいことは山ほどあるけど、ええねんな?」


「はい。ただ……」


 そこでコハクは一呼吸を置く。


「ただ?」


「最後に私のお願いも聞いてもらえませんか?」


 コハクの言葉に、ツクネは手のひらを顔に当てて、天を仰ぐ。


「おお、怖わ。何をお願いされるんや? ……でも、最後でええんか? 聞くだけ聞いて約束なんて守らんかもしらんで。そもそも、うちらに信頼関係なんてないんやからな」


 ツクネは掌の間からコハクの様子を伺う。互いの手札を探り合う、交渉事には駆け引きが必要だ。


「……信頼関係なんて必要でしょうか?」


 表情を変えず、ツクネは次の言葉を待つ。


「私たちに必要なのは損得勘定でしょう? どこまでならお互いにとって利益となるか? 利益を出すために払ってもいい対価はどこまでか? そういう考え方をあなたはできるはずだ」


「……なるほどな。亀の甲より年の劫。ユキちゃんらよりはうちのほうが、冷静にあんたと話ができるかもな」


 飯森藩といい、今回の野ヶ崎といい、偶然にしてはあまりにも出来すぎている。何らかの方法で、三人の足取りを追っていたのだろう。


「それじゃあ、聞かせてもらうで。まず最初に……あんた何者や?」


「何者?」


「ユキちゃんの知り合いに妖刀を売ったかと思ったら、うちらを手助けしたこともあった。ユキちゃんの親父さんとつながっているかと思えば、今度は幕府とのつながりや。正直、あんたをどう評価していいかわからん」


 ツクネの言葉も上の空で、コハクは何やら考え込んでいる。


「何者……何でしょうね? その答えを私も知りたい。今の私は人間ですか? 妖怪ですか?」


「何を言うとるんや?」


「……私には過去がないんです」


 コハクの言葉の意味が、ツクネにはわからない。表情から真意を計ろうとするが、コハクは微笑を浮かべたまま表情は変わらない。


「私の一番古い記憶は数年前の研究施設のものです」


「研究施設?」


「ええ、私は大老のツクモさんが進めていた、ヒトの妖怪化研究でつくられた人工妖怪です」


 幼いころにさらわれたコハクは複数の人買いの手を経て、最終的にはツクモが極秘裏に進めていた妖怪化研究の施設へと売られていった。


 日の本に古来より伝わる呪術的なものから、西洋の錬金術まで幅広く応用し、禁忌を問わない人体実験を繰り返すその施設は、さながら阿鼻叫喚の地獄であった。


 数々の犠牲の果てに成功した神獣級の人工妖怪の実験体が、かつての藩主の嫡男コハクだったことには、さすがのツクモも運命めいたものを感じた。自らの野望の成就のためには、手段を選ばないツクモは、コハクを自分の手駒として側に置いた。


 強大な力と引き換えに、過去と人間らしい感情を失くしたコハクを側に置くことは危険も大きい。コハクを自分のもとにつないでおく枷が必要であった。


 大老ツクモは、感情の一部が欠けたコハクにとって、唯一残った「人間に戻り過去の記憶を取り戻したい」という本能からくる欲求に目をつけた。大願成就の際には、再人間化に協力するという条件で、ツクモはコハクを側に置いた。


 コハクはツクモの「大願」のため様々な任務をこなした。実験のための人を調達することもあれば、妖刀を使って妖怪化の実験を行うこと、大老にとって邪魔なものを始末することもあった。


 どれだけの悪行に加担しても、欠けたコハクの心は痛まなかった。人間に戻るために行った様々な任務をこなすほど、人間としての生き方からは離れていっていることにコハクは気づかなかった。


 コハクにとっての転機は、ある任務の遂行中に、ヤシロという男に出会った時であった。鬼を従えて、大老に仇なすこの男は、本来、コハクが取り除くべき相手である。


 しかし、その男は驚くべきことに、コハクが求めていた過去を知っていた。ヤシロが語った飯森藩や藩主ヒスイの話を聞いても、何一つ思い出せなかったが、何度も「必ず助けてみせる」と繰り返し述べたヤシロに、コハクは微笑みを返す。その心の内はひどく冷めた温度だった。


 ツクモの「大願」が成就した際に、という約束を本当にツクモが守るという保証はない。万が一のための保険として、ヤシロのことも利用してやろうという腹がコハクにはあった。


 一方のヤシロは亡き友ヒスイの息子の、変わり果てた姿に心を痛めるとともに、「必ず連れて帰る」という約束を果たすため、ツクモ打倒の思いをさらに強めた。ヤシロにとって連れて帰るとは、人間としてという意味が含まれていた。


 この一年、コハクはうまく大老ツクモとヤシロの間を渡り歩き、事がうまくいくようお互いの情報の操作と、自身も妖怪化についての研究も行ってきた。


 事態はいよいよ切迫してきている。計画ではもうすぐヤシロたちも動き出すことになっている。ヤシロたちに対しての保険の保険として、コハクはユキジたちの動きに注意を払っていた。


「……あんたが何者で、どういった目的で動いているかは、ようわかったわ」


 コハクのここまでの話を聞いての動揺を悟られぬよう、努めて冷静にツクネが言った。ジョウケイから聞いた、消えた藩主の嫡男の話、今までのコハクの行動や言動、そのすべてがかみ合った。


 そして、もう一つわかったことがある。話の中のヤシロのくだりで、その思いに触れてなお、ツクモとヤシロを天秤にかけるコハクの心には、信頼や友情といった類の感情が明らかに欠けている。


 最初に言ったとおり、あくまでコハクは自分にとっての損得で動いている。逆に言うと、コハクにとって有用であり続ければ、コハクを制御することができるということだ。


 真に倒すべき相手は……。


 そこまで思考が行きかけて、ツクネは首を振り、心を目の前に戻す。まずはこの目の前の男に集中やと思いなおす。


「ほんで、あんたのお願いって言うのは?」


「ツクネさん……私と組みませんか?」


 微笑を浮かべるコハクをツクネが見つめる。ツクネは、その言葉の意味を一瞬で脳内で回転させる。


「……うちらで保険かけとくつもりか?」


「ええ、さすが察しが早いですね」


 一瞬で、意図を察したツクネを褒めるコハクからは、余裕が感じられた。ツクネも少し、揺さぶりをかけてみる。


「ユキちゃんらを使ったところで、抑止力になるとは限らんで?」


「大丈夫ですよ。ヤシロさんは戦いに関しては優れた剣士ですが、究極の場面では、ユキジさんをほってはおけませんよ。こうなった私ですら、見捨てない人ですよ」


 コハクの口ぶりは確信に満ちている。そのあたりはしっかり見極めたうえでのことだろう。


「大丈夫ですよ。組むといっても、主には情報提供が中心になります。あなた方は、あなた方の意志で自由に動いてくださればいい」


「……そうやって情報で踊らせて、どさくさであんたが一番ええとこ持っていくつもりやろ?」


「否定はしませんよ」


 このあたりも正直というよりは、一種の余裕からであった。


「で? あんたはどんな見返りをくれるんや」


 ツクネにとってはここが一番大切だ。コハクに踊らされるだけの価値のある情報でなければ意味がない。


「天戸への通行手形。それも、大老へのお目通りの可能性つき……というのは、どうです?」


「なっ⁉」


 ツクネが想像していたよりもずっと、コハクの用意した餌は大きかった。撒き餌としてはこれだけのものを用意していれば、コハクの余裕もうなずける。


 できるだけ平静を装おうとするツクネも、さすがに動揺の色を隠しきれない。


「今度、大老主催の武術大会が天戸で開かれるのは知っていますか?」


「大老主催の武術大会?」


「ええ、ただし、参加できるのは各藩、または幕府から推薦を受けたものだけ。その大会には当然、主催者の大老も現れます。どうです? その傘下のための切符、私なら用意できますけど……」


 確かにツクネ達にとって、魅力的な話だ。現在の規制のかかっていいる状態では天戸に入ることさえできない。それを天戸に入るだけでなく、直接、大老にお目にかかれる可能性があるというのは、おいしい話だ。


 それに、先ほどの話だと、ツクモを狙うヤシロたちも併せて動き出す可能性も十分にある。父を探すユキジにとっては、願ってもない機会となる。


「ずいぶんと気前のええ話やな。その切符……地獄行きにならんかったらええけど」


 天戸への規制が続くこの時期に、大老主催で武術大会が開かれること自体、何か裏があるとしか思えない。


「それで、お返事の方はいかがですか?」


 ツクネの思考を遮るように、コハクが言葉をかける。その言葉を無視して少し考えた後、ツクネが返事を返す。


「……今は保留や。後日返事するわ」


 結局は手を結ぶこととなっても、コハクのペースにはなるべく乗らないようにする……ある程度、ツクネの腹は決まっていたが、あえてここは間を取ることを選んだ。


 そんなツクネの様子を見て、コハクは満足そうな表情を浮かべる。


「やはり聡明な方ですね。それではいい返事をきかせてもらえることを楽しみにしています」


 そう言ってコハクは席を立つ。


 コハクが去った後も、ツクネはそのまま腰かけて、考えを巡らせていた。ハイリスク・ハイリターンのコハクの誘いに、ツクネは持てる限りの頭を回転させ、ありとあらゆる想定をしてみる。


 そのツクネの集中力は、いつの間にか、ツクネの後ろに立っていたカイに、気づかないほどであった。


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