第三話
西洋風のレンガ造りの屋敷の中は、大きなガラス窓で陽の光を取り入れているおかげで、かなり明るい。ツクネの仕事柄、西洋の品物にも明るい方だったが、カイの見せてくれた品々には驚くばかりだった。
特に蒸気機関とかいう、からくりの動力はツクネのからくりの常識を根底から覆したと言っても過言ではない。カイの話では西洋ではこの蒸気のからくりを使って船を動かしたり、物をつくったりするという。
西洋への興味と共に、西洋についての知識を熱っぽく話すカイにも少し興味が湧いてきた。当初、ただ遊び人のボンボンだと思っていたカイは、思っていたより豊かな発想を持つ、西洋風にいうと「ろまんちすと」とかいう人種だということがわかった。
カイは幕府とのつながりを強めようとする父の経営を批判していた。確かに幕府の後ろ盾があることは経営の上で、他の競合相手と比べて有利になるだろう。しかし、それは幕府の下につくことと同意で、カイの求める自由な経営からはかけ離れていた。
カイは西洋の品々をツクネに紹介しながらも、西洋の商売の仕組みを熱っぽく語った。カイ曰く、西洋では自由に商売を行うことができ、商人の社会の中での立場も、日の本よりずっと上だという。
さらに日の本でいう将軍も、民衆により入れ札で決める国まであるという話は、ツクネにとっても初めて耳にする話だった。
カイは自分の代の四菱では、むしろ幕府との特別なつながりは廃止し、対等な立場で仕事を行う中で、商人の立場の向上をはかりたいとツクネに言った。
「そんなん、ほんまにできるんかいな」
カイの夢はすばらしいと思うが、正直その実現は半信半疑だった。
「できる、できないじゃなくてやるのさ」
ツクネの疑心にもカイは真正面から強く応える。
「そうやって、日の本も変わっていかなきゃな。いつまでも侍がふんぞり返っている時代は終わりだ。そして、それをするのが四菱の跡取りの俺の天命だ」
自信満々に述べるカイに、思わずツクネは吹きだしてしまう。日の本を根底から覆す、とんでもない考えを、いとも簡単にできることのように話す。こういった楽天家でないと世の中のしくみを変えることはできないのかもしれないなとも思った。
「あんた、ほんまおもろいやっちゃな! 気に入ったわ!」
「じゃあ、あの話もかんがえてくれよな」
「……あの話?」
ツクネは首をかしげる。
「俺とつきあわないか? って話」
カイは片手を壁にかけて、ツクネの耳元でささやく。
「……っ⁉」
カイの息を頬に感じるほどの距離感に戸惑う。
ツクネは両手で思いきり、カイの胸のあたりを突きとばして距離を取る。
「あほか! さっきも断ったやろが、冗談でからかうのはええ加減にしときや!」
「……冗談じゃないって言ったら?」
カイは突き飛ばされた胸の辺りを片手で払って、ツクネを見つめ返す。ツクネはその目を逸らして、大きな窓の方を見る。ツクネはカイの軽口だと頭ではわかっているが、心は動揺している自分に気づく。
「カイ! 帰ってきていたのか……」
階下から響いてきた声が、二人のやりとりを引き裂く。恰幅のよい初老の男が、ツクネ達のいる中二階となっている場所への階段を上ってくる。その西洋風の身なりからは、野ヶ崎で成功している商人の様子が見て取れる。おそらくカイの父親であろう。
物凄い剣幕でカイの前まで詰め寄ると、カイに向かって早口でまくしたてる。
「いったいどこをほっつき歩いていたんだ。あれほど今日の見合いが、お前のこれからにとって大切か何度も話しただろ!」
「俺の……じゃなくて、四菱にとってだろ?」
カイも父親に負けず、言い返す。
「お前は将来、四菱の後継ぎとなる男だ。四菱のためになることは、ひいてはお前のためということになる。将軍様の血縁の方との結婚となれば、これほどよい話はそうそうにない」
「いやだね! 自分の結婚相手ぐらい、自分で決める」
突然、目の前で始まった親子喧嘩に、ツクネはどうしていいかわからない。
「もう、ずいぶんと前から、娘さんとつきそいの方を待たせている。とにかく、早く準備をするんだ」
「だったら、すぐにでも帰ってもらえ! それに……」
カイが隣にいたツクネを片手で抱き寄せる。一瞬のことでツクネも面喰ってしまう。
「俺にはこうして、結婚を心に決めた人もいるんだ」
「なっ⁉」
カイの発言にツクネも父親も驚いてしまう。親の決めた結婚を阻止するための方便だとはわかっていたが、さすがに否定しようとツクネが言葉を発する前に、カイの父親が大声をあげる
「このバカ息子が‼ 親の気も知らないで!」
怒号が洋館に響いた。その声に反応して、一回の応接室から人が出てきて、父親に向かって声をかける。
「ユタロウさん、何かありましたか?」
声をかけた人物が階段を上ってくる。
「これはこれは、騒がしくして申し訳ありません」
カイの父親が頭を下げた相手を見て、ツクネは息をのむ。すらっとした細身の体に、いつもとは違う西洋の礼服を着ているが、その金色の髪と冷たいまなざしは、見まがうはずなどない。
「これ、カイ、あいさつをせんか! こちらが今回の良縁をつないでくださったコハクさんだ」
カイはコハクに向かって軽く会釈をする。
「いえいえ、結構ですよ。カイさんの言うことにも一理あります。確かに結婚相手を決めるのは自分自身でするべきです」
コハクはカイに向かって微笑みを浮かべた。しかし、なぜだろう? その表情からは何か冷たいものを背中に感じた。
「だから一度お話しして、それからご自身で決定されてはいかがです? ……ねえ、タマモさん?」
コハクが視線を送った先には、黒い艶やかな髪が印象的な女性が立っている。薄紫の着物を着たその女性は静かに微笑を浮かべている。その深く深く溺れてしまいそうな微笑は、どことなく危険な香りがしていた。
その女性は静かに階段を上ってくると、カイの前で一礼をした。
「お初にお目にかかります、カイ様。タマモと申します。この度は急な話で申し訳ありませんでした」
「タマモさんまで、出てきていただいて申し訳ありません。ほら、カイ早くこちらへ来んか!」
カイの父親は慌てて、カイを促す。見合い相手まで出てこられては、さすがのカイもばつが悪そうにしている。ちらっとツクネの方を見るとツクネは、右手でカイを追い払うような手ぶりをした。
「ほら、うちはええからさっさと行かんかい。女を待たすもんやない」
ツクネの言葉を聞いても、まだ躊躇しているカイにコハクが言葉を重ねる。
「ああ言っていらっしゃるので、行かれてはどうです? こちらはこちらでつもる話もありますので……ねえ、ツクネさん?」
コハクがわざとらしくツクネに笑みを送る。ツクネも負けじとニヤリと笑みを返してみた。そんな二人のやり取りを他所に、カイの父親は手をたたきながら、声をあげる。
「なんとコハクさんのお知り合いの方でしたか! どうぞ屋敷の部屋を好きに使っていただいて構いませんので、ゆっくりとしてください」
そのままカイを引っ張って階段を下りていく。カイは心配そうにこちらをみたが、ツクネは「大丈夫や」の意味を込めてウインクをした。
階下に消えていった三人を見送ると、「……さてと」と言って、コハクの方に向き直す。相変わらずコハクは微笑みを浮かべている。それは確かに笑顔なのだけれども、どこか抜け殻のような、無機質な印象をツクネは感じた。
「まさかこんなところで、会えるとは思ってなかったわ。あんたには聞きたいことが山ほどあるで」
「私も会えて嬉しいです……立ち話も何なので、座ってゆっくり話しませんか?」
コハクは広間に設置されていた洋風の椅子と机のところに、ツクネを案内する。ツクネは黙ってついていき、促された椅子にドカッと座る。思っていたより弾力性があり、埋もれるように包まれる西洋風の椅子に、バランスを崩しそうになったのを慌ててごまかす。
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